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 既に腕の感覚は消え失せ、痺れるような痛みすら遠のいて。流れ出る血の一滴と共に、クエスラの意識は徐々に薄れ始める。だが、決してその素振りは見せてはならない。地に膝を付くことは愚か、よろめく事も許されない。ただ今はギルドナイトの威厳を保ち、黙って事の行く末を見守る。視線の先には今、王立学術院の書士へ食って掛かる我が子の背中…

「戻る?…おめおめ逃げ帰れと?俺が…俺達、第三王女警護隊が?」
「ええ、是非即急に。後は学術院とハンターズギルドで話をつけますから」

 合点のゆかぬ顔で、マーヤは怒りも露に詰め寄る。突然現れた第三の勢力…王立学術院の書士、トレントゥーノへ。敵か味方かは知れぬが、騎士団と同じく王都よりの使者。その姿をいぶかしげに眺めながら、ハンター達は固唾を飲んで見守った。うろたえ狼狽する騎士達と共に。

「そ、そんなバカなっ!俺は確かに王子殿下から…」
「ええ、王子殿下は確かに、貴方達プリンセスガードに命じられました。王子殿下御自身の為に、ですが」
「王女殿下は?蒼い火竜を欲しがってるって。ほら、御好きだろ?いっつも学術院に入り浸って…」
「…マーヤ君、キミは王子殿下に利用されたんですよ。それと、この件は国王陛下の御耳にも…」

 嘘だ!落ち着き払った青年の声を、マーヤは怒鳴り叫んで打ち消した。遠巻きに見詰めていた者達は、ハンターといわず騎士といわず皆、驚き互いに顔を見合わせる。既にもう若きエリート騎士の面影は何処にも無い…あくまで淡々と諭すトレントゥーノを前に、マーヤはただ涙を堪えて強情を張る子供。思わず駆け寄りたくなる衝動を、クエスラはじっと耐える。

「…撤収、する」
「王都へ帰還する!総員撤収!」
「まったく!無駄足だったであるな…」

 呟くような一言に被さる、ハンター達の歓声。溜飲を下げる数多の雑言に見送られて、忌々しげに騎士達は帰途へ就く。マーヤは再びフードを目深に被ると、その奥から鋭い眼光で睨んだ。騒ぎ立てるハンター達の中で、イザヨイに抱かれ茫然自失の少女を。未だ嘗て敗北を知らない自分に、初めて土を付けたメル=フェインを。何の成果も無く帰還する屈辱と相まって、その黒い憤りは少年の奥底で燻った。視線に気付いたメルは、怯えるように蒼火竜を抱き締める。

「はっ、オトトイ来やがれ!次はこのキヨノブ様が容赦しないぜっ!」
「調子いいスねー、こん人。つか、ラムジー!…ギルドナイトって何スか?」
「後で説明するニャ!それより女将、早く手当てを…アニャ?」

 裾を掴むラムジーを引き摺りながら、クエスラは我が子へと駆け寄った。もう既に危機は去ったから。だが、振り向く少年の眼差しは…強い拒絶の意志。差し伸べた手が思わず止まり、滴る血が大地へ黒い染みを作る。

「マーヤ、待っ…」
「嫌だ!…訳わかんないよ、何?王子殿下が俺を騙した?義母さんも?訳わかんないっ!」
「話を聞いて頂戴、マーヤ…いい子だから、ね?」
「子供扱いはやめてよね!僕は…畜生っ!義母さんなんて……………大っ嫌いだっ!」

 吐き捨てるように叫んで、マーヤは引かれて来た馬へと跨った。周囲の騎士達は困惑しながらも、最後だけは王国の騎士らしく、礼儀正しく場を辞してゆく。傷心のクエスラを残して。

「当然、か。母親失格ね、私…あら?お前達…」

 気付けばクエスラの両肩に、一対の翼が舞い降りていた。普段決して近付かず、常に警戒するように喉を鳴らしていた二匹の火竜。意外な慰めについ、クエスラは初めて手を伸べ触れてみた。逃げると知れてればこそ、今までそうした事は無いが。二匹は交互に、まるで傷を癒すように…血に染まった手を舐めた。

「人に懐いていると聞いてましたが。貴女にも近付いて来るなんて…意外です」
「ええ、ホント。私、弱くなったのかしらん?書士殿の御意見も伺いたいですわね」

 名を呼び叫んで、仲間達が駆け寄ってくる。その向こう側から静かに響く声。背を叩かれ肩を抱かれ、馴染みの面々に労わられながら。クエスラは弱々しい笑みを返して振り向いた。遠巻きに見詰める長身の男は、静かにただ見詰めている。その中に自然と溶け込む、二匹の幼竜を。

「俺ぁ見直したぜ!本気で惚れそうさ、クェス…げほっ!つかアズ、なんでお前げはぁ!」
「ちょっとキヨ、気安く呼ばないで頂戴。ま、皆も良く我慢してくれましたわ。ありがとう」
「女将モナー。俺ァ死人ガ出ルト思タ…一昔前ノ女将ハめるちょヨリ手ガ早イラシイカラナ」
「それより女将さん、手…早く手当てしないと!ほら、おいでシハキ。おいでったら」

 慕い集う面々は皆、何時もと変わらず山猫亭の女将を囲む。クエスラが何であるかは、彼等彼女等にとってどうでもいい事。何故なら、馴染みの宿屋の主である以上に、同じ日々を生きる仲間。纏う色の違いなど、ほんの些細な事柄に過ぎない。火竜にだって蒼い子が生まれるのだから。

「興味は尽きませんが…今日のところは引き上げましょう。あと、エフェメラから伝言です」

 その声に気付いた時、既に書士の姿は何処にも無かった。ただ一言…この件は貸しにしておくそうです、と言い残して。懐かしいその名と共に、改めてクエスラは思案を巡らせる。今はハンターズギルドと協調する、王国の学術院の存在…ただ純粋な知識の探求に生きる者達。その貪欲な好奇心が、幼い雌雄一対の幼竜に眼をつけぬ筈が無い。だが…

「ま、心配するだけ無駄ですわね…そうでしょ?エフィ」
「ん?何スか女将…やっぱ年取ると独り言多くなるスかねぇ〜」
「こっちの話ですわ。さて!私の可愛い貴方達、お店を早く片付けて頂戴…一杯奢りましてよ?」

 一際大きな歓声があがり、皆が皆何事も無かったかのように山猫亭へと戻ってゆく。毎夜毎晩の乱痴気騒ぎが、何時もと変わらず訪れようとしていた。

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