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 月に祈る。暗雲立ち込める空の、暑い暗闇の上で輝く月に。祈らず願わず奇跡を請わず、狩人たる者常に己と仲間を信じるべし。そうは言うものの、何かへ祈る時もある。奇異な事に、この世界に大きな宗教が栄えた試しは無いが…それでも人は皆、生まれながらに祈る事を知っていた。知らないのはただ一つ、何に祈れば良いのか。どう祈れば救われるのか。

「ウニさぁん、少し仮眠したらいかがでしょうかぁ?」

 低い空を見上げるラベンダーを、ゼノビアは天窓から見つけて声を掛けた。小柄な少女は真剣な表情で、振り返るが返事をしない。僅かに雲の切れ間より差し込む月明かりは、闇夜に少女の輪郭をおぼろげに刻んでいた。普段よりも陰影色濃く感じるその顔は、どこか悲壮感と苦悩を滲ませて。

「起こしてしまたでするか?ごめんなさい」
「いいえー、私も寝付けないですし。星でも見えればいいんですけどねー」

 風は強く吹き荒れ、雲脚は驚く程に速い。せめて星でもと思うのは、今この瞬間を共有する狩人達ならば当然かもしれない。ココットで決戦への秒読みを待つ者達は、明日の朝日さえ拝めぬ運命かもしれないから。

「私は明日、せーいっぱい運びますよぉ!古いけど大砲が手に入ったらしいですからー」
「…老山龍とは戦わないでするか?」

 ゼノビアは天窓から屋根によじ登り、ラベンダーに並んで腰を下ろした。しなやかな脚を折り曲げて膝を抱え、遠足前の子供のような表情で。それは強がりだと知ってさえ、どこか愛らしく感じる。

「戦いますよぉ!でも、私のバスターブレイドじゃ刃が通らないと思うんですよぉ」

 鉱石より削り出した刃は、いわば大剣使いの登竜門。実力に合わせて素材を吟味し、テンポ良く強化していかなければいけないのが鉄則だ。何故なら、ハンターズランクを決定付けるのは、どれだけ強力な飛竜を狩るか…それは即ち、どれだけ強力な武器を扱えるか。ラベンダーは口には出さなかったが、ゼノビアは実力に反してHRが低く、その原因が愛用の武器にある事は明白だった。

「私は全力で大砲の弾を運ぶんだ…それが私の戦い。恥ずかしくも辛くも無いですよぉー」
「…為すべきを為す、でするね。クラスビン博士の大砲は古いけど、威力なら折り紙付きでする」
「大砲も持って来たと聞いての、フリックさんの態度の豹変っぷり…あの分じゃ威力に期待ですぅ」
「ゲンキンなもんでするねぇ…邪魔邪魔言ってたのに、流石だ何だって。調子いいでする」

 僅かに頬を緩ませ、ラベンダーが力無く笑った。が、直ぐに思い詰めた表情で天を仰ぎ、深い溜息で空を見上げる。普段から狩場のムードメーカーだったゼノビアでも、目に見えぬ巨大な悩みを抱える少女が相手では…その深い闇を払う事は難しいのかもしれない。本人は不可能とは思っていないが。

「ウニさんもぉ…為すべきを為すべきですよぉ!為せるから為させられてるんですもん」

 冷え切った手を握り、ゼノビアは熱っぽく少女の眼を覗き込んだ。その双眸へ光る怯えは、老山龍へ向けられてはいない…むしろ同胞、志を同じくするハンター達へ向けて。許しを請うような眼差しは、大きな瞳を潤ませていた。

「あれ?為すべきを為すなら為せる時に為すべきで…あれれ?兎に角っ!為すん…なっ、何!?」

 見えない刃が不意に、虚空の闇を引き裂いて。木々を震わせ空気を沸騰させながら、激しくゼノビアとラベンダーの鼓膜を打ち鳴らした。それが音では無く声と知り、その主を直感して。二人は竦む身をただ、無力に震わせる他無かった。予定時刻を前に、老山龍の咆哮がココットを包み込む。

「くっ、遂に来た?でも速い…ゼノさん、ゴメン!オレ、先に行くっ」

 トリムは間髪居れず、転がるように勝手口から家を出た。屋根の二人へ叫ぶなり、ボウガンを担ぎ直して走り出す。家主である彼女の後を追って、ゼノビアも萎縮した我が身に鞭打うって。這い出てきた天窓に飛び込むと、直ぐに着替えて後を追った。呆気に取られたラベンダーは、ただ呆然と立ち尽くす。

「っと、そうだ…ウニさぁーん!村長をよろしくねー!オレ、無事を祈ってるからー!」

 もう姿の見えないトリムが、振り返るのが見えたように感じて。眼を凝らす闇から、ラベンダーへと叫ぶ声。村長をよろしく…その言葉に動揺して、思わず彼女は叫び返した。

「な、なっ…何で知ってるでするかー!…ご、ごめん…ごめんなさいでするー!」
「何ー?きこえなーい!兎に角っ、ウニさんもギルドナイトの任務、頑張ってー!」

 長い長い咆哮が収まると、村の家々に明かりが灯る。あちこちで慌しくハンター達が、我先にと定められた持ち場へ走る。万全を期して集まった狩人達は、王国最高の軍師の予想よりも早く到達した古龍によって…強引に決戦への火蓋を切り落とされてしまった。
 村を貫く唯一の大通りを、武装したハンター達が谷へと走る。それを見下ろし佇むラベンダーは、その人の群の中に見知った人物を見つけた。一際目立つ蒼一色の防具で、背に巨大な太刀を背負って。金髪の少女は誰よりも速く、先頭に立って走り去った。その後に続くは、百戦錬磨のモンスターハンター…その一人一人のHRから詳細まで、ラベンダーはスラスラと言ってのける事が出来るのに、今、彼女はハンター達と轡を並べること適わない。

「ウニさんっ、じゃあ私も行きますぅ!私はお祈りしませんからぁ、頑張ってくださいー」

 眼下を見下ろせば、ゼノビアも家を飛び出し駆け出していた。肩越しに振り返って叫ぶそのいでたちは、お世辞にも一流ハンターとしての装備とは思えないが。対古龍用の強力無比な武器をギルドより預かり、至高の純白を纏う自分よりも…どこか輝き眩しく感じてならないラベンダー。開戦を告げる突然の咆哮から、僅か数分足らずの内に。村に居たハンターは全て、村の存亡を賭けた戦いへと走り去ってしまった。

「為すべきを…為すでする」

 ギルドナイトが一人、ラベンダーは己に呟く。ギルドマスターより賜った使命は一つ。ギルドマスターの唯一の肉親である、ココットの村長の救出。それが拉致でも誘拐でも構わないから、必ず生還させる事。いつになく苦々しい表情で、ココットの長と同じ顔の老人は命じた。古龍をも容易く砕く、老山龍より削り出した戦槌と共に。ギルドナイトの証であり誇りでもある、純白の戦衣と共に。
 同時にそれは、ただ一度だけ私情を挟んだギルドマスターの決断。任務の遂行は、村長へ村を裏切らせる事に。同時にラベンダーもまた、多くの人を裏切る事になる。メルをお願いね、と送り出してくれた大先輩を、一緒に村を守ろう!とよくしてくれた銀髪の少女を…そして、親身に心を寄せてくれたバスターブレイド使いを。

「為すべきを…為すでするっ!」

 闇夜に純白のマントをはためかせて。ラベンダーはギルドナイトの戦衣を纏い、宙へと身を躍らせる。封印を解かれた古龍の鉄槌が、血に飢えたように低く唸り震え出した。

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