《前へ 戻る TEXT表示 登場人物紹介へ オリジナル用語集へ 次へ》

 ズシリと重い鉄の砲弾。だがそれは、飛竜や草食竜の卵に比べれば軽く感じて。疲労を訴える手足に鞭打ち、ゼノビアは小走りに先頭を駆けた。充分な装備は無くとも、気持ちだけは谷で戦うハンター達に勝るとも劣らない。彼女を始めとする低ランクハンターの一団は、普段にも増して速い足取りで、大砲が設置された最終区画を目指す。
 それが軽く感じられるのは、未曾有の危機と闘う高揚感だからだろうか?未だ闇濃い空の下、不気味に黒光りする大砲の弾丸。その重さは卵のような生命の鼓動でも無く、灰水晶のような儚げな脆さでも無い。火と鉄で敵を砕く、純然たる兵器の重苦しさ。早く開放されたい…ゼノビアは殺伐とした球体を一刻も早く、我が身から離してしまいたかった。

「み、皆さんー!もすこーしですよ、あの橋を渡ればー」

 薄っすらと白み始めた地平。額に噴出す汗を拭うことも出来ず、滲んだ視界に僅かな光の線。ゼノビアは谷に掛かる古い吊橋へと、歩調を落とさず駆け込もうとしていた。先程から続く轟音と振動も、今は嘘のように静まり返って。自分の集中力が僅かに緩んだ今、彼女はその事に気付いて首をかしげた。どんどん近付いている筈なのに…不思議ともう、老山龍を感じられない。夜明けを待つ谷は今、水を打ったような静けさ。

「お、おーし!一気に駆け抜けるぞぉ!もう腰が痛くて痛くて…」
「もう歳だな、俺等…今回の報酬で隠居生活も考えんといかん」
「報酬が出れば、な。まぁ期待はしてないけどよ…この村で余生を過ごすのもいい」

 吊橋前で一度、ゼノビアは足を止めて振り返る。落石や運搬を引き受けたのは、低ランクのハンター達と年寄り。老練の極みとも言える技で、数多の飛竜を狩って来た猛者達。だが、よる年並みには勝てず…古龍相手では小細工無用と悟って。誰一人として意固地になる事無く、進んで裏方を引き受けた。

「いいですねぇー、隠居はぁ。私もこんな村に別荘とか欲しいですー」
「はっはっは!ゼノちゃんは先ず、も少し頑張って稼がないとなぁ?」
「ワシ等はこう見えても、若い頃からの貯蓄があ…あ、ああ…!?」

 豊かな老後を語る老人の、労働の汗が光る生き生きした顔が。不意に歪んで硬直し、そのまま引きつり表情を失う。手から落ちた砲弾が、鈍い音を立てて転がった。他の誰もが皆、一様に同じ顔で口を空けたまま。呼吸も忘れ鼓動も止めて、ただ金縛りにあったように硬直。辛うじて誰かが、節くれだった振るえる指を指す。ただならぬ気配を背に感じながら、ゼノビアは谷のほうを振り返った。

「遅かった!?…また間に合わないなんてっ!」
「大丈夫です、ユキカゼ様。誰もまだ渡ってはいません」

 対岸に人影が現れ、即座にユキカゼとアズラエルだと知れる。その叫ぶ声が鮮明に聞こえる程に、静まり返った谷に今…巨大な龍が屹立していた。ゆっくりと立ち上がった老山龍は、その上半身が谷より突き出て。静かな怒りを沸々と燃やす、巨大な双眸がゼノビア達を見下ろしていた。
 手に持つ砲弾の重さも忘れ、全身の感覚が消え失せてゆく。不用意に振り返ったゼノビアは、老山龍の視線をまともに受けてしまった。目を逸らそうにも体が動かず、ただただ身を振るわせるだけ。人を超え、竜をも超えた未知の存在…龍。その瞳は知性と神秘が混在し、不退転の怒りに彩られて。人間の小娘一人が身に受けるには、余りに恐ろしい重圧。

「橋は駄目だっ、迂回して!動いて、ゼノさんっ!みんなも!」
「いけませんね…完全に呑まれてます。ユキカゼ様、私達で老山龍の気を引きましょう」
「おまたせでするっ!誰かロープを…谷へ降りるでするよっ!」

 一発の銃声が響き、不意にゼノビアの意識を肉体へと連れ帰る。第三区の残存ハンター達が、対岸へ徐々に集まり始めた。煙を上げるパストンメイジを構えて、アズラエルが何かラベンダーと話している。老山龍がゆっくりと、その長い首を巡らせて…対岸へとその視線をうつした時。見えない束縛から解放されたゼノビアは、まだ砲弾をしっかりと持っている自分に驚いた。

「か、体が…動くっ!ぼさっとすんな、回り道だ!」
「落とした奴は取りに戻れぇ!ゼノちゃん、先頭切ってくれ!頼むっ!」
「は、はいー!うう、少しちびっちゃったかもー」

 何人かのガンナーが対岸で砲火を唸らせ、老山龍は再び絶叫でそれに応える。第四区からは待ちきれぬハンター達が、我先にと吊橋の両岸へと詰め掛けた。ゼノビア達は重武装のハンター達と擦れ違いながら、迂回する道で最終区画を目指す。そこには古いが強力な大砲が待っているのだ。ココット防衛の切り札を守る為に。
 老山龍が一際甲高く吼えると、空を走る分厚い雲が消し飛び。去り往く月の残光が、その雄々しい巨躯を照らし出す。山かと見紛うその巨大さは、畏怖と畏敬の念を感じるほど。そして同時に、勇気や希望では振り払えぬ程の、恐怖と絶望をハンター達へ叩き付けて来る。

「ウニさんっ!吊橋だ、これを使って下に降りる。アズさん、援護を」
「はいでする!むふ、ゆっきーさんはだんだん、考え方が誰かさん達に似て来たでする」
「まったくです。感心しませんよ、ユキカゼ様…ですが今はその判断、満点です」
「剣士は前へっ!一斉射撃後に走れ…吊橋を落とすぞぉ!」

 自分の前をもう、誰かが走っているような気がする。それは同時に、一緒に走っているという実感。まだこの場に居ない人も、もうこの場に居ない人も。ユキカゼは体の痛みも忘れて身構えた。直ぐ身近に、あの人達を感じる…自分もまた、彼女等や先人達と同じ景色を見ている。古龍という最高の獲物を前に、守るべき物を得て今。老山龍の怒号に負けじと響く銃声を背に、剣士達は一斉に走り出した。

《前へ 戻る TEXT表示 登場人物紹介へ オリジナル用語集へ 次へ》