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「ゴメン、今はこれ位しか…痛くない?キヨさん」
「なぁに、掠り傷さ…他ん奴も看てやれや。足は、よ…もう痛くねーのよ。ハハハ…」

 怪我人で溢れた小屋の一角で。キヨノブは包帯塗れの不恰好な足をポンと叩いた。添え木を当てて、一応は足の形をしているが…もはや血は通らず感覚も無い。老山龍が地を抉った、その一撃が彼のハンターとしての人生を奪った。一瞬で。永遠に。
 忙しく飛び回るトリムを見送り、壁にもたれて溜息を一つ。覚悟を決めても、飲み込むのに時間が掛かるのが現実というもの。ここ最近、狩りの生活が充実していただけに…キヨノブは言い知れぬ喪失感に独り沈んだ。

「しゃーねぇな…クソッ!もう終わりかよ。へへ、泣けてきやがるぜ」

 熱い瞼を押えても、光は細く頬を伝う。ココット防衛戦は愚か、今後いかなる狩猟にも出られない…もう、仲間達と共に走れない。ただただ悔しさが込み上げて。ただ呆然と、涙は流るるままにとめどなく溢れる。今はただ、ココット防衛の成功を祈る他無い。他に出来る事はもう、何も残されていない。
 怪我人が犇くこの場に、また一台のネコタクが転がり込む。けたたましい車輪の音に、負傷者は鈍い足取りで道を空けた。アイルー達の鳴き声が近付くのを感じて、キヨノブは慌てて涙を振り払う。もし見知った顔が運ばれて来たなら、腑抜けた泣き顔で迎える訳には行かないから。乱暴に目の前へ放り出されたハンターへと、キヨノブは鼻声で呼びかける。涙と足の具合を気取られぬように。

「よぉ、お早い御着きで!…お、おい、何とか言えよ。おいって…」

 努めて陽気に振舞いながら、キヨノブは金髪の少女に呼び掛ける。だが、薄汚れてしまった蒼一色の防具は、それを身に纏う者と共に身動き一つしない。呻き喚く周囲の喧騒から切り離されて、メル=フェインは床に伏したまま沈黙を保った。不吉な予感が脳裏を過ぎり、キヨノブは思わず身を乗り出す。

「まさか、なぁ…『憎まれっ子、世にはばかる』って言うじゃねーか…おいってよ!」

 ドン!返事の代わりに、小さな拳が床を叩いた。小刻みに震えるその手は、悔恨の限りを握り締めて。食い込む爪に血を滲ませながら、メルはユックリと身を起こす。土埃と泥に塗れた顔に、炎を宿す空色の瞳。数え切れぬ裂傷と打撲に塗れて、それでも彼女は立ち上がった。安堵の溜息を零すキヨノブ。

「そこまではばかってないもん…おーイチチ、メルの玉肌がダイナシ」
「はっ、ガキが生ゆーなって。五体満足無事なだけイイじゃねーか…よ…?」

 血の気も失せた白い顔で、再度よろけて倒れるメル。それを支えたのは、すっ飛んできたトリムだった。絶句するキヨノブが見たのは、ドス黒く重い血の色。傷口を探すトリムの手は、メルの脇腹に触れて真っ赤に染まった。老山龍から落下した際に、鋭い岩盤のどこかに激突したのだろう。

「キヨさん、あっち向いて!だれか、お湯と包帯っ!あとは…」
「止血だけでいい…上手く巻いてよ?あれやったの、でんこっしょ」

 恐らく指差しているのは、普段の何倍もの太さになったキヨノブの足。軽く憎まれ口を叩くあたり、メルの意識はハッキリしているのだろう。だが、それに応えぬトリムの沈黙が、傷の度合いを無言で語っていた。ばたばたと救護の人員が慌しく行き来し、クックメイルの留め金が外される音。
 背に響くのは、悲鳴を押し殺す声。相当の出血と深手を想像して、キヨノブは身が強張るのを感じた。まだ幼い少女が、重傷で担ぎこまれて応急処置を受けている。テキパキと指示を出すトリムだけが、重苦しい空気を掻き乱していた。次の一言には仰天したが。

「あれ、メルさん剣は?ああいい、喋らないで。誰か!探してきて、お願いっ!」

 メルは礼を言うつもりが、包帯できつく胴を締め上げられて。短い呻き声に見送られて、何人かがバタバタと谷へ走った。誰もが皆、半信半疑の表情で。リタイアするハンターにはもう、それは不要のものだから。キヨノブも耳を疑う…あの漆黒に輝く角刀を、再びこの少女は振るうというのだろうか?少なくとも本人はそのつもりで、トリムは最初から察していた。

「ここにあるさね…メル、持ってお行き」
「あんがと、なるね。でんこもサンキュ。よい、しょっ…と」

 キヨノブが振り返ると、既にメルは防具を身に付けていた。少し気にした様子で脇腹をさすり、苦悶の表情を翳らせて。しかし毅然と、しっかりした足取りで剣を受け取り背負う。相変わらず顔色は悪いし、髪は乱れて泥だらけ。だが、その姿はどこか不思議と頼もしい。負傷者の誰もが皆、再び狩場へ旅立つ小さな勇者を見上げた。祈るような眼差しで、ありったけの願いを込めて。

「止めても行くよね…あーもぉ、呆れた!でも、ちょっとだけ羨ましい」
「言ったって聞きゃぁしないよ、っとに。メル、さっさと片付けておいで」
「むふ、気楽に言うなぁ…ま、みんなもあと少しだから!頑張ってっ!」

 メルは一度周囲を見渡し、一人一人に大きく頷いて。半死の重傷人とは思えぬ笑顔で、負傷した仲間達を励ました。この場で自分より死の淵に近い者など、数える程しか居ないと言うのに。そうである者には尚更に、そうでない者にもしっかりと。希望の種を植え付け、彼女は再び狩りへ赴く。

「痛くねぇのかよ。お前なぁ…無茶ばっかしてっと死んじま…」
「めっさ痛いよ。意識ももーろーとするし。でも、キヨも痛いっしょ?」
「ばっかおめぇ、俺の足ぁもう駄目だ…痛くも痒くもねぇよ」
「…バカ。だからバカキヨ言われるんよ。ここがっ、痛いだろって」

 トン、と軽く自分の胸を叩いて。屈みこむメルは、その手でクシャクシャとキヨノブの頭を撫でた。

「何すんだよ、よせって…」
「いいハンター生活だったっしょ?いいよね、モンスターハンターって」
「な、何言ってんだよ当たりま…お、おう」
「良かったじゃん、仲間にも恵まれて。へちょいキヨでも結構狩れたっしょ?」
「………おうっ」
「ハンターが終わってもね、日々は終わらないんよ?でも…痛いっしょ?」
「……………痛ぇな…痛ぇよ」

 気付けばもう、箍が外れたように。堰を切ったように涙が溢れ出た。キヨノブの短い狩人人生が終わり、メルは再び狩場へ。彼女は颯爽と金髪を靡かせ、独り黙って戸口へ立つ。見送る誰もが力んで立ち上がり、転んでも起き上がって叫んだ。力の限り声を張り上げて。敗者の切望を胸に、その背に受けてメルは征く。

「…頼むぜ、メル=フェイン!奴を…老山龍を狩ってくれっ!」

 開け放たれた扉から、眩しい日の光が差し込んでくる。親指を立てた拳を突き出し、メル=フェインは生まれたての朝日へ溶け込んでいった。そのハンターはもう眩しくて…ただ眩しくて。眩しすぎてもう、涙に濡れるキヨノブには見えなかった。

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