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「うーん、これはちょっと…流石に無理か」

 雄々しい足取りで地を往く、老山龍の背に立って。ユキカゼは踏み鳴らされた谷底を見下ろした。張り出す触角の一本に掴まりながら。長く棚引く尾は悠々と全てを薙ぎ払い、追い縋るハンター達を近付けさせない。フム、と小さく唸るユキカゼは、自然と零れる溜息を抑える術がなかった。
 高さもさる事ながら、危険なのは降りた後。やむを得ず飛び降りて、仮に無事着地できたとしても。例えば振動に耐えながら、後足を伝って降りたとしても。間髪入れずに、尾の一撃がユキカゼを襲うだろう。無論、無事に降り立てたらの話だが。

「俺にも翼があればなぁ…お前みたいにさ」

 背の雌火竜は首を巡らし、眼を細めて一声鳴くと。再びユキカゼの首にしがみ付いて丸まった。未だ疲労色濃く、その生命力も弱々しい。それでも火竜の素材が落ち着くのだろうか?先程からぴたりとユキカゼに寄り添い、決して離れようとしない。幼子をあやすように軽く揺すりながら、少年は古龍の背で途方にくれた。

「よしっ…覚悟を決めろっ、ユキカゼッ!…いや、やっぱりよそう。あーでも…ん?」

 ふとユキカゼの耳を、その奥の鼓膜を何かが揺さぶった。酷い地響きに混じるのは、気勢を張り上げる仲間達の声。尾が巻き上げる砂塵の奥から、揺らめく人影が駆けて来る。何人かが吹き飛ばされ、その中には動かぬ者も居たが。身を乗り出すユキカゼに手を振りながら、老山龍の巨体に並走しようとひた走る。一人の少女を先頭に。

「ユキカゼさーん!無事でするかー!」
「お、おお…ウニさーん!無事だよーっ!聞こえないかな?おーいっ!」

 巨木も森ごと薙ぎ倒す、老山龍の尾を掻い潜って。ラベンダーは聳え立つ後足に取り付いた。が、すぐさま小柄な身体は宙を舞う。大質量の古龍はともすれば、歩くだけでも嵐を纏う。ユキカゼは一瞬、言葉を失った。その姿が再び、土砂のカーテンを振り払って現れるまで。一瞬止まった鼓動と呼吸を、並んで走る少女が思い出させる。彼女は区画を区切る堰を飛び越え、老山龍と共に最終区画へ向かう。

「あ、居たぁ…見つけたでするっ!おーい、やっほー!」
「や、やっほー…って、ウニさん。危ないからっ!下がって!」

 手を振るラベンダーに続いて、多くのハンター達がユキカゼに追い付く。その何人かは弾き飛ばされ脱落してゆき、それでも何人かが追い縋って来る。下から見れば解るのだろう…無事にユキカゼを降ろす術が、今の自分達に無い事を。
 我に策アリ…フリックは確かに、何かしらの切り札が有るとほのめかした。とすれば、最終区画で老山龍を待ち受けるのは、その巨躯を打ち倒せるであろう何か。それがどんな物かは想像も出来ぬが、ただ一つハッキリとしている事は。その背に取り残されたままでは、ユキカゼの身にも危険が及ぶと言う事。

「みんなも!離れて、無理だよ…付き合う必要なんてない!吹き飛ばされるっ!」

 有らん限りの声を張り上げても。下を走る仲間達には聞こえない。よしんば聞こえたとしても…その声に足を止める者は居ないが。例え無力と解っていても、走らずにはいられないのだ。決して諦めない、折れない心が身を馳せる。無茶と知っても無理とは認めぬ、仲間を想う強い気持ち。そこに奇跡が起きると言うなら、勝利の女神は何時でも首を縦に振るだろう。無論、今この瞬間も。

「ラベンダー様、これで受け止めましょう。この生地なら決して裂けない筈」
「あや、良く見つけたでするね。おっし、ユキカゼさーん!ばっちこーい!」

 朝日よりも眩しい純白が、ユキカゼの視界の隅ではためいた。真っ白な布地を手に、アズラエルが老山龍に並ぶ。もはや撃つ弾薬も尽き、ボウガンすら持ってはいないが…背に蛇剣を背負い、彼はラベンダーへと何かを手渡す。それは栄えあるギルドナイトの証…火竜の業火でも燃えず、角竜の一突きにも裂けぬ純白のマント。二人は互いにしっかりマントを握ると、広げてピンと張りながら走った。それは老山龍の背から見れば、手の平ほどの広さ。

「そっちをもっと引っ張ってください、ラベンダー様」
「だれか、ここ持って…そそ、たるませちゃ駄目でするよ?」
「っしゃ、ボウズッ!いつでもいいぜ、受け止めてやらぁ!」
「駄目で元々、ボウズ…男だったらやってやれ!だっ」

 皆が皆、手に手を取って。白い布地は少しずつ広がってゆく。ギルド創設時より伝わる秘伝を用いて、数多の稀少素材を惜しみなく注ぎ込んだギルドナイトの戦衣。小さく刺繍されたギルドの紋章も、今は伸び切って上からハッキリ見える。

「翔べ、ボウズッ!」
「チャンスは今しか…ウニ等を信じて翔ぶでするっ!」
「ユキカゼ様っ、今ならまだ間に合います…お早くっ」

 躊躇う少年を見上げて、誰もが息の限りに叫んだ。砂埃に眼を凝らし、吹き荒れる暴風に耐えて。激震に揺れる大地を駆けながら、固く固くマントを握り締めて。誰かが脱落しても、すぐに他の誰かが代わりを務めて。ココット壊滅が秒読み段階へ入り、老山龍討伐が山場を迎えた今…ただ一人の仲間を生還させようと、狩人達全員が命を賭ける。その誰もが、奇跡の瞬間を眼のあたりにした。大きく跳躍したユキカゼの背に…小さな、しかし力強い翼が羽ばたいた。
 その瞬間は恐らく、深夜から続く討伐戦でも最長の緊張。誰もが息を呑んで、木の葉のように揺れるユキカゼを眼で追った。身体は自然と、疲労も忘れてその身に追い縋る。重力に抗う小さな翼は今、見上げる狩人達を目指して、最後の死力を振り絞る。が、その悲壮な羽ばたきも虚しく、ユキカゼは迫る大地へと眼を見開いた。落下の速度だけが、スローモーションの周囲を置き去りに少年を誘う。ただ一つの死へと。

「離せって!…もう充分だよ。鍛えてるんだ、死にはしな…!?」

 不意に体が軽くなった。迫る大地はゆるやかに近付き、激突する筈だった砂岩質の谷底を、追い付いた仲間達が埋め尽くす。暫し何が起こったか解らず、呆然とするユキカゼ。その背に生えた火竜の翼は、碧蒼一対となって狩人を地へ帰した。ふわりと柔らかい感触が身を包み、手荒い男達の抱擁がユキカゼを迎える。もう背中に、幼い火竜の温もりは無い。

「はーっ、はーっ…バカヤロッ、無茶しやがって!でかした、ボウズッ!」
「危機一髪って奴だな!チビ助共に感謝しろよ?しっかしすげー悪運だぜ」
「最悪、手足の五、六本は覚悟してもらうトコだったでする。よかた…」

 呆気に取られるユキカゼをバシバシ叩きながら、誰も彼もが歓喜に沸き立った。見上げればもう、霞む老山龍の背は圧倒的な高さ。奇跡的な生還に沸き立つ狩人達を尻目に、その巨躯は轟音を轟かせて去ってゆく…いよいよ討伐の最終局面となる、ココット防衛最後の砦へ。まだ見ぬ切り札が待つ、最終区画へ。

「よくぞ御無事で…ユキカゼ様。あれを…私も驚きました。いったい何処から…」

 アズラエルが指差す先に、一対の翼が身を休めていた。精根尽き果てた妹を、まるで労わるように寄り添うのは…以前より一回り程大きく成長した、蒼い翼の雄火竜。どこから飛んで来たのか、それは解らないが。間違いなくここ、ココットへと飛んできたのだ。恐らく、自らの主人を引き連れて。その露払いを務めるかのように、一声甲高く鳴くと…多くの名を持つ蒼火竜は、遠ざかる老山龍を追って疾風と化した。

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