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「…なんだ、これ。何時の間にこんな」
「ふに、これが秘密兵器…でするか?」
「ああ、これな…俺等も手伝ってる時はチンプンカンプンだったぜ」
「自慢じゃねぇが、今でもそうよ…こんなんで老山龍が倒せんのか」

 最終区画へ足を踏み入れ、ハンター達は言葉を失った。今までの谷を区切った区間とは、明らかに異質なその設備。最後の決戦に挑むべく、士気を高めて雪崩れ込んできたユキカゼ達は、突如一面の青色へ呆気に取られた。彼等が長い階段を不思議に思いながら、登り詰めて立ったのは…

「ダム、ですね。見た所かなりの急造物ですが」

 もはや谷底を駆け回る必要は無い。最終区画の半分以上は、大量の水で満ち満ちているから。それをせき止めるダムの上で、ハンター達は谷を一望に睥睨していた。振り返れば朝日を反射する水面の彼方に、小さくココット村が見える。まさにこの地が最後の砦。ここを抜ければもう、村はすぐそこ。

「おらおら、どけどけぇ!」
「フリックさんっ、弾ぁ持って来た!」
「直ぐに人をやってくれ、ゼノちゃんが…お前等でもいい、誰か!」

 慌しい空気を引き連れ、砲弾を抱えた男達が雪崩れ込んで来た。その声の先へと首を巡らし、誰もが視線の矢を射る。その期待と不安を一身に浴びるのは、腕を組んで微動だにせず立つフリック=セプター。彼は穏やかな笑みを返して、ハンター達一人一人を見渡した。まるでもう、既に勝敗が決したかのような表情で。

「彼女なら大丈夫だ…恐らく今、彼女ほど安全なハンターもいないさ。それより…」

 僅かに無精髭が浮く、形良い顎を逸らししゃくって。その方向へとハンター達は次々と振り返る。遂に、長い準備期間と、永遠にも思える一夜を超えて。老山龍はとうとうココット村へ。多くの血と汗を吸い上げながら、その歩みは決して衰える事を知らない。朝靄に煙る谷を突き抜け、その巨体はもう目の前。

「さぁ、仕上げといこう!みんなが稼いでくれた時間で、貯水率は充分だしな」
「この水、が…でするか?わかたっ、水攻めでするねっ!こう、ザバーンと」
「老山龍は海を超えます。この程度の水では揺るぎもしません。では…」
「ワシが説明しよう。フリック坊や…まったく素人が恐ろしい事を考えよる」

 ハンター達を掻き分け、一人の老人が前に出た。泣き腫らした赤い眼は、今はもうしっかりとした強い光を灯して。フム、と唸ってダムの上から、迫る老山龍と大量の水を交互に眺める。何かを探すようにキョロキョロと、ルミロン=クラスビン博士はせわしなく周囲を見渡した。博士の言葉を待ち切れぬ男達は、老人に続いて運び込まれた大砲へと殺到する。命を賭して砲弾を運んだ者にとっては、突如現れた貯水池よりも…黒光りする砲身に説得力を感じて。

「来たか、よし!引き付けて撃ってくれ、一分一秒でも稼ぎたい」
「ガッテン!命懸けで運んだ弾だ、全弾ブチ当ててやるっ!」

 最終決戦の火蓋は、硝煙と轟音で切って落とされた。もはや骨董品の部類と言えるものの、博士が持ち込んだ大砲は良く手入れが行き届いて、次々と砲弾を飲み込んでゆく。放物線を描く鉄の火球が、幾度も老山龍を直撃した。その歩みは止まらずとも、苦悶の咆哮と共に速度が鈍る。
 最後にモノを言うのは、やはり火力なのだろうか?身を乗り出して谷を望むユキカゼは、ここに来て自分達の役目が終わった事を悟った。漠然と、だがしかし確かに。既に個人が剣を振るい、銃爪を引いて闘う時間は過ぎたのだ。朝日が追い払う夜の闇と共に。

「何か…もう勝負は詰んだって感じなのかな。いや、それで終われば万々歳だけど」
「皆様の奮闘あればこそ、の結果ですよ。ユキカゼ様、胸を張りましょう」
「そうじゃ若いの。こんな馬鹿げた仕掛け、相当時間を稼がねば…おう、ここが射出口か」

 クラスビン博士は迫る老山龍も気にせず、ダムの下を見下ろし呟く。先刻まで悲しみに押し潰され、一人無力に泣き過ごしていた彼が。今は真剣な眼差しで、フリック作の最終兵器を精査して回る。時々大砲を気にし、振り返っては指示を怒鳴りながら。
 馬鹿げた仕掛け…それが恐らく、我等が軍師様の最後の切り札なのだろう。大量の水を前に、誰もが真っ先に思いついたのは…ラベンダーと同じく水攻め。このダムを崩せば、濁流は瞬く間に谷を覆うだろう。その激しい流れにしかし、老山龍は微塵も揺るがない。海峡の荒波を越え、この地へ渡って来たのだから。では、この大量の水は果たして、如何に老山龍を打ち倒すのだろうか。

「良く考えたもんじゃ…が、このダムはいかんの。撃てて二発…いや、一発が限度じゃな」
「博士、この水はいったい…俺等にも解るように説明してもらえませ…」
「こいつでっ、ラストォ!フリックさん、弾ぁ終わった!そっちは!?もういいのか?」

 砲声は止み、怒れる古龍が速度を増す。迫る巨体は正に、山津波の如き威容を湛えて。ちっぽけなこのダムを一足飛びに飛び越しそうな、そんな錯覚さえ覚える。長らく後方で指揮に徹していたが、フリックはその時初めて、長らく闘ってきた相手を直視した。彼は初めて敵をじっくり眺め、最後の一手を自ら下す。

「博士、これが成功したら…一緒に王国に売りつけてやりましょう」
「成功したら、の。若いの、そうそうお前さんじゃ。ほら、何と言ったかの…水竜がおるじゃろ」

 砂漠の地底湖を思い出し、ユキカゼはそこの主の名を告げた。巨大な水竜ガノトトス…それと何か関係があるのだろうか?ガノトトスと言えばその巨体から繰り出される体当たりや、大地を疾走する驚異的な瞬発力。そして何より恐るべきは…

「!…水は量を使うんじゃなく…?」
「なるほど、面ではなく線…いえ、点ですね」
「ココット周辺のあらゆる場所から水を集めた…数万トンの水圧なら、水は古龍をも貫くっ!」

 ドンッ!フリックは自信に漲るその拳で、ダムの中央に備え付けられたボタンを叩く。誰もが息をのんで、まさかの奇策が炸裂する瞬間を待ちわびた。長い長い沈黙が続き、老山龍だけが徐々に近付いて来る。勝利を確信した男達の笑みを、冷たい汗が一滴伝った。ダムの壁面に小さく開いた射出口からは、雫一滴すら流れ出ない。

「…あ、あの…フリックさん?これはアレでするか…その」
「い、いやっ!違うよウニさんっ!フリックさんに限ってそんな…」
「いえ、ユキカゼ様。これは…失敗ですね」

 ゴホン、と咳払いはクラスビン博士。フリックは既にもう、身を堅く硬直させて、彫像のように動かない。失敗…許されるはずの無い言葉が今、その双肩に重く圧し掛かる。

「…弾ぁ持ってこいっ!」
「あーもぉ、話と違うぜフリックさんっ!」
「水の撃龍槍、のぉ…アイディアはいいんじゃが」

 咄嗟に体が反応した。ユキカゼは老山龍の鼻先へと身を乗り出す。今日はもう既に、高低差に対する恐怖心が麻痺したかの如く。よくよく飛び降りる日だと苦笑する、彼の左右にアズラエルとラベンダーも続く。いざ、最終決戦へ…やはり最後は人の手で。そう意気込む彼の目は、眼下に小さな人影を捉えた。

「まだだよ、フリック。何分欲しいん?時間、稼ぐよ」

 ただ独り、谷底に立つ少女。老山龍とダムの狭間で、そのちっぽけな背中から剣を抜き放ち。メル=フェインは満身創痍の身体を引き摺り、最後の防波堤となって立ちはだかった。

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