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「そ、そんな…まさかっ!」
「村まで響くあの咆哮…そのまさかとしか思えません」
「どうして…村の存続も危いのに、この上まだ闘うでするか!?」

 彼等彼女等にとっての鶏声は、その身から眠気を剥ぎ取ってゆく。同時に疲労さえ、感じる事を許されない。討伐完了かと思われた老山龍の咆哮が、突如として村全体を揺るがした。毛布に包まり床に転がっていたユキカゼは、本能的に飛び起きるなり剣を探して。アズラエルが放る蛇剣を手に、一足先に駆け出したラベンダーを追いかけ走った。

「ぷはっ!ツゥさん、ホントにカナヅチだったスかぁ!?」
「タ、助カッタポ…転覆シタ時ァ死ヌカト思ッタゼ」

 ユキカゼ一同と、それに続くハンター達の一団。それを出迎えたのは、ズブ濡れ半裸で岸に這い上がったサンクとツゥだった。とても直視に耐えない、あられもない姿の二人…だが、人の事を言えた義理ではない。ユキカゼは剣こそ携えては居たが上半身裸だし、アズラエルはボウガンは装備していても弾が無い。よほど慌てたか寝ぼけたか…ラベンダーが握っているのはクマのぬいぐるみ。

「何スか、みんな…その格好」
「ウホッ、ソレジャらんぽすモ狩レンゾナモシ」

 返す言葉も無いが、自分達以上に酷い格好の二人には言われたくない。そして、呑気にそんな会話を交わす現状でも無かった。誰もが目を疑う…例え耳は確かでも、その目で見るまで信じられなかったから。だが今はもう見聞きし、その空気を肌で感じている。落日を映す水面に佇む、老山龍の圧倒的存在感を。

「やるしか…無いでするか?」
「うん。守る村の明日はもう無いけど…村の人だけはっ!」
「では決まりですね…急いで村に戻りましょう。直ぐに体勢を…」
「それには及ばん、既にもう老山龍は進まぬ。何故なら…良く見るがいい」

 妙な威厳に満ちた少女が、細く白い指を伸ばす。確かに、地平に触れそうな太陽を背に、巨龍のシルエットはピクリとも動かない。が、目を凝らすハンター達はその影絵のような静止画の中に、僅かに動く何かを見て取った。老山龍の前足、その掌で揺れるのは…逆光にあって尚蒼い、たおやかな風に靡くポニーテイル。

「いっちゃん!?な、なっ…何やってるスか、そんなとこでー!」
「くっ、助けにいかなきゃ!待ってて、イザヨイさ…」
「及ばぬと言っている。見るがいい…超常の力、異能の血を。その奇跡を」

 書士隊のマントを羽織る少女は、苦悶に眉を潜めながらもハンター達を制した。竜人族特有の長い耳が今、小刻みに揺れている。体内で暴れる何かを押さえつけるように、堅く握る手に血が滲む。竜人族はその血筋故に、チカラの余波に影響される。昂ぶる気持ちを抑えながら、エフェメラは黙って事の顛末を見守った。既に闘う術も無く、多くのハンター達もそれに倣う。

「太古の遺産、確かに…されどこの世は我等が時代。だから、老山龍っ!」

 良く通る声が夕暮れに響く。手の内にイザヨイの声を聞きながら、老山龍はピクリとも動かない。何か神々しい、神聖な雰囲気を感じ取って。ハンター達も固唾を飲んでその声に聞き入った。普段の温和で柔ら赤な、どこか呑気な口調とはまるで違う。神事に携わる巫女の如き、凛として張り詰めた言葉。

「記録と記憶は私の胸にだけ。私は…未来だけ見て生きてくよ。直向に」
「私達は、だよねっ!解ったらさっさ帰りんさい。今回はこれ位で勘弁しちゃるよ?」

 イザヨイの傍らに立ち上がる人影があった。黄昏の夕日を反射して輝くのは、金色に靡く長い髪。イザヨイの手を堅く握りながら、メル=フェインはもう片方の手を大きく振った。遠く見守る仲間達は一斉に、歓声と足踏みで生還に応える。老山龍は一声鳴くと、ゆっくり二人を崖の上へと降ろした。
 その時代その時代に必ず、遺産を受け取る者が居る。老山龍は龍脈を巡る旅の中で、自らに託された祈りと願いを守り続けて来た。自らに立ち向かってくる者の中に、虐げられた文字も言葉も無い蛮族の中に、戦に明け暮れる野心と権力の中に…人を見出し遺産を託してきた。数百年に一人程のペースで。

「うおおおお、いっちゃぁぁぁぁん!メルメェェェェル!」
「っと、危なっ!むふ、ただいまサンちゃん。ツゥさんもみんなも」
「ばかー!抱き殺す気かー、ってイテ、イテテ…痛いって」

 揉みくしゃになりながら、仲間達の手荒い歓迎に微笑む少女。彼女が始めてである…遺産を受け取り、それを微塵も生かさぬと声高に宣言したのは。彼女の前に遺産を受け取ったのは、群雄割拠の世にあって老山龍と一人対峙した青年。彼は老山龍と理を語らい、世を知り遺産を得て…この地を統べる名君となった。彼の国は東西に分かれたものの、その名を今に残している。
 だが、彼女は違う。彼女は"かつて"を知って尚、自分自身の揺るがぬ"これから"を生きるつもりだ。周囲に集う、自分とは違うか弱い普通の人間達と。神代の時代の奇跡の業や、太古の文明の英知…それに及ばぬものの、全ての歴史を手にして尚。それは同時に、自らの血の力をも手放す覚悟。

「ん、待ってみんな…ごめん、ちょっと通して。よしっ、老山龍」

 イザヨイは周囲の人を掻き分け、再び老山龍に近付き触れる。翡翠の輝きを放つ目が見開かれ、額に紋様がくっきりと浮き出ると…誰もが皆、どよめきあって互いの耳に口を寄せる。見るまでもなく、今日のイザヨイは普段とは違ったが。今目の前に居るのが、イザヨイとさえ思えぬ者は少なくなかった。

「昔の古龍は、龍脈から離れて動く事が出来た…それは塔が生きてたから。こうやって…」

 目に見えぬ力がイザヨイを包み、膨張して弾けた。彼女を媒介として溢れ出た龍脈の力は、傷付き一度は倒れた老山龍へと注がれる。多くのハンターが見守る中、一度きりの奇跡に全ての力を振り絞って。イザヨイは瞳から輝きが失せると同時に、額の紋様も掻き消え…ふらりよろけて倒れこむ。即座に駆け寄ったメルの腕の中に。

「塔も多分…こう、だよね?ホントはあれは…こうやって。誰かに分け与える何かだったの」
「いっちゃん!いっちゃん、大丈夫?やいこらー、何したラオー!もぉ、はよ帰れー!」

 目にいっぱいの涙を浮かべて、メルは子供の喧嘩レベルの言葉を無造作に放る。その意が理解されたか否か…老山龍は僅かに目を瞬かせると、轟音と共に着水。踵を返して水を掻き分け、来た道を谷に沿って歩き始めた。英雄達が守り抜いた、飢えと渇きの未来が待つココットを背に。
 龍脈より一気に力を吸出し、それを限界まで充填されて。今の老山龍にはもう、龍脈に沿って進む必要は無い。少女の願い通り、人を避け村を避けて移動し、次の刻を待って眠る。イザヨイの龍眼が見出した、龍脈の注ぐ場所…世界に隠れて点在する、龍穴と呼ばれる秘境にて。追い縋る災厄の翼も、もう彼を苛まない。自分を捕らえ征した封龍士達以来、久方ぶりに彼は人と約束を交わしたから。

「ら、老山龍が帰ってゆく…」
「むふ、ギルド的に撃退完了と見ていいでするね」
「学術院としても、そう記録する他無いだろう」

 メルの腕の中、多くの仲間達の心配する視線を浴びながら…イザヨイは今、静かな寝息に胸を上下させている。夢も見ぬ深い眠りは、彼女の血から異能の力を奪うだろう。龍脈と通じて老山龍へと、その全てを渡してしまったから。
 沈む日の光を浴び、水面に僅かな漣を寄せながら。老山龍は去ってゆく…その巨体はまだ、手を伸ばせば掴めそうな位置で。しかし確実に遠ざかってゆく。ここにココット村の存亡を巡る、人と龍の闘いは幕を閉じた。勝利と敗北の狭間に、小さな絆の輝きを残して。

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