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「やだ…嘘、何で?んもぉ!黙って来た意味ないじゃない」
「人の口に戸はナントヤラ…あら、ココットから来たのかしら?剣、持ってないわね」

 港からでも良く見える…砂煙を上げて爆走する人影が、此方へと向かって来るのが。ブランカがその事を告げると、少女は振り返って溜息を一つ。わざわざ密かに、人目を憚っての船出なのに…彼女自身がそう望んだのに。全て台無しブチコワシである。最も、傍らのブランカにとってこの状況は予想範囲内であり…実際、少女は口とは裏腹に表情を緩ませた。

「じゃ、私は先に乗船してるわ…ごゆっくり。私も弟子の一人くらい持つべきだったわ」
「すぐ行くから、船長にもそう伝え…あ、転んだ!バカッ、そんな急いで走らなくても」

 ガムシャラに駆けてくるのは、唯一にして無二の愛弟子。師弟と言うよりは相棒に近かったが、少女は常に先輩と呼ばれ続けた。
 永遠に続くかとさえ思えた、時間を食い潰すだけの停滞した穏やかさ。その間にも相棒は、狩猟と修練の毎日を送り…ついには古龍の撃退に貢献出来る程にまで成長した。桟橋手前でスッ転び、間髪居れず立ち上がるゼノビアが…レイチェルには今、以前より一回り大きく見える。

「先輩っ!ハァハァ…先輩、もう怪我は平気なんですねぇー!」
「うん、完治。ううん…ずっともう怪我は治ってたんだ。ずっと前から」

 心の傷が癒え始めた頃、レイチェルが耳にしたのは相棒の活躍。多くの仲間達に溶け込み、決して高くないハンターズランクながらも経験を積み重ね…瞬く間に一人前のハンターへと成長したゼノビア。そんな彼女の師である自分は、身体よりも精神を苛まれ、狩場へ戻れぬ日々が続いた。訓練所でハンターの卵達を育てながら…レイチェルは我が身に芽生えた恐怖心と戦い続けたのだ。しかし、そんな毎日ももう終わる。彼女自身が旅立つことで。

「治って…た?先輩、だって何時も…でも良かった、ホント良かったですぅ〜」
「怖かったの。辛うじて拾った命を、再び狩場で秤に賭けるのが…ちょっと前まで、ね」

 海峡を渡る定期船は、出航を控えて黒煙を吐き出す。見送る者と見送られる者とが、互いに手を振り別れを惜しんでいる。乗船係の船員はタラップに寄りかかり、最後の乗客が乗船するのを足踏みしながら待っていた。レイチェルは目配せして少し待ってもらい、そっとゼノビアの手を取る。

「でも、誰かさんが背中をね…ドンと押してくれちゃった訳。解る?」
「誰かさん…?わ、私ですかぁ!?そ、そんな事ないですぅー」
「立派になったよ、ゼノ。背を押しそのまま…アンタは私を追い越してった」
「とっ、とんでもないですぅー!まだまだ全然…私っ、先輩が居てくれないとムグッ」

 そっとレイチェルの手が、矢継ぎ早に言葉を吐き出すゼノビアの口を塞ぐ。嘗て何度も直に触れ、手取り足取り教えてくれたその手に…今、大粒の涙が零れる。

「先輩、一人で行かないで下さいよぅー!わ、わっ、私…私も連れてって…」
「こらこら、泣くんじゃないって。もうゼノは私の先にいるんだよ?うんと先に」
「そ、そんな事ないですぅ!私はっ、先輩の先より…ずっと隣がいいですっ!」
「…なら、やっぱ行かなきゃ。私はアンタに追いついて、その隣を歩かなきゃ。ね?」

 汽笛が高らかになり、異国への船は舫を解く。一瞬、強く強くゼノビアの長身を抱き締めて。すぐさま弾かれるように離れると、カンカンと靴を鳴らしてタラップを駆け上がるレイチェル。帆を張る汽船の行く先は、遥か南のドンドルマ。古龍の襲撃とその迎撃さえも生業とする、ハンター達の最後の楽園。

「ゼノッ!ミナガルデで走り続けて…止まらず先へ!それでも私は追いつくから!」
「…うん…うんっ!先輩っ、遠く離れてても…私達は共に生きるハンター!そうでしょ、先輩っ!」

 一際甲高い汽笛と共に、船は港の岸を離れた。レイチェルの最後の言葉は、シュレイドの青い海に吸い込まれて消える。だが、これからの言葉は全て、ゼノビアと同じく見上げる空に…その抜けるような青空に響き渡るだろう。もはや見えない心の傷から脱し、死に直面した恐怖をも克服した少女。彼女は愛用のボウガン一丁だけを手に、新たな狩猟の舞台へと旅立っていった。

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