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 カロンは絶句した。彼を連れ立ってここまで来た、クリオやヴェンティセッテも言葉を失う。捜し求めて流離えど、実際に遭遇した時の覚悟など、本当は誰も出来てなかったのかもしれない。しかも、予想外の状況ならば尚更。今、三人は白亜の巨体を前に、身動きできず立ち尽くした。
 それは何の違和感も無く、砂漠の風景に同化していた。圧倒的な存在感はそのままに。鋭龍モノブロス…その巨躯は話に聞くよりも尚大きく感じ、今は寄って見れる程の距離に身を横たえている。荒らぶる熱砂の王と恐れられながらも、周囲には張り詰めた空気は微塵も無い。

「クリオさん、これって…」
「…ありえない。が、現実だ」
「え?何がです?あの角竜を皆さん、探してたんじゃ…」

 三者三様に、銘入の飛竜を目の当たりに興奮しつつ。すぐさま、眼前の異様な光景に気付くクリオとヴェンティセッテ。二人は、説明を求めるカロンに応える間もなく考え込む。そんな二人に挟まれるカロンはと言えば、駆ければ百歩と無い距離で佇み眠る、鋭龍モノブロスに首を傾げる。何も不思議な光景では無いと思えたが…そこに二人が違和感を覚えているなど、想像すら出来ない。

「ん、そうだな…カロンさん、あそこ。ほら、草食竜が餌を食べてますよね?」
「別に珍しい事じゃないと思いますが…ヴェンティセッテ君、解りやすくお願いしますよ」

 身を丸めて眠る鋭龍の周囲では、アプケロスが草を食んでいる。角竜の中でも危険極まりない、凶暴で獰猛な鋭龍が居る…その事を除けば、のどかな砂漠の原風景。過酷で厳しい大自然において、その中に居ることを忘れるほど、この場所は安らぎに満ちている。

「警戒心の強いアプケロスがあんなに…こんな事、普通はありえないんだ」
「…銘入で無くとも、角竜は好戦的だからな。それがどうだ?この空気は」

 言われてカロンもやっと気付いた。そう、この場は平和すぎる…眠っているとは言え、鋭龍からは噂に聞いた殺気や威圧感が感じられない。飛竜種が放つ独特の緊張感も、銘入だけが纏う神々しさも。澄み渡る静寂が穏やかに満ちた、安息なる空間が三人の目の前に広がる。

「取りあえず合流する?信号弾は…あった。離れて打ち上げた方がいいよね?」

 無言で頷くクリオとカロンを残して、ヴェンティセッテが小走りに離れて行く。余りにも調和の取れた、平和な静けさを壊さぬように。何より鋭龍を起さぬように。小高い丘を越えてその背が見えなくなり、程無くして空に煙の尾を引いて。打ち上げられた信号弾を見上げ、クリオは強い日差しから目を背けると、改めて周囲を見渡した。
 ここには何の危険も無く、これから起こる危機も感じられない。寧ろ妙な安心さえ感じる。砂漠に来てこのかた、熟練ハンターであるクリオが、ここまで心身ともに緊張を解いたのは初めて。それが危険極まり無い銘入の前とは、不可思議な事ではあったが。

「しかし凄い、実物をこの目に出来るなんて…ん、何です?今何か?」
「…いや、何でもない」

 思わず口をついて出た質問を、慌ててクリオは胸の内に仕舞いこむ。カロンに聞こえていなかったのをいい事に。もっとも、聞こえていれば恐らく、後日の奇妙な再会は避けられただろうが。余りに穏やかな雰囲気に抱かれ、狩人でいながら一時、彼女は狩りの中で狩りを忘れた。
 意中の想い人の、その名が思わず零れた。同じ王城に居る書士ならば、知らぬ筈も無い…クリオが呟いたのは宮廷軍師の名。問うたのは他愛も無い日常。最近、城内で見かけなかっただろうか?今はどんな仕事をしてるんだろうか?身形や食事はちゃんとしてるか、また城の女中を追いかけてなどいないか…何故か無性に、気になりだしたら止まらない。

「はぁ…いや、気になります。何でしょう?答えられる範囲でなら何でも…」
「なっ、何でもないと言っている…忘れてくれ」

 珍しく生まれた会話の糸口を、その時カロンは逃すつもりは無かった。そもそも、傍らの女性の素性なり人となりが知りたくて、危険を承知で同行したのだから。それ知る最も確実で迅速な手段は、やはり直接言葉を交わす事…少なくとも悪人では無いらしい眼前の女性を、カロンはより深く知るチャンスに恵まれた。かに見えたが、それは彼の手をすり抜け逃げてゆく。信号弾を打ち上げ終えたヴェンティセッテが、何か叫びながら血相を変えて駆けて来たから。

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