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 あの日以来、この星は朝を忘れてしまった。
 曇天(どんてん)の空は低く暗雲が垂れ込め、その上に星も月も、太陽さえも隠してしまった。
 天廻龍(てんかいりゅう)シャガルマガラを討伐したことで、太古の昔から続く主なきシステムがシャットダウンした。今を生きる人類にとって何の意味もない、旧世紀の残滓(ざんし)は消え行く中で……この星もろとも全てを無に帰す最終プログラムをリブートさせたのだ。
 そんなことは露知らず、筆頭代理チームのハンターたちは船上の人だ。
 既にシナト村を旅立ち、エンジン全開で飛ばしてもう三日になる。
 強い風が吹き荒ぶ中、甲板上のラケルは、仲間のイサナとクイントの会話を耳に拾っていた。二人共、死地に飛び込む真っ最中でも平常心を失っていない。恐怖を知らぬ蛮勇ではなく、危機に際して心身を律する術を、二人は修練で身に着けていたのだった。
「しっかし、遥斗はてっきりあっちのチームに行くと思ってたスよ」
「弟たち我らが団も、イサナ船でシナト村を旅立ったとか……恐らく目的は、黒龍(こくりゅう)ミラボレアス。ハンターズギルドや古龍観測所でも追っておりますが、奴は」
「大丈夫スよ、必ず奴の尻尾を掴んでやるッス! ミラボレアスはあっちに任せて、自分たちは与えられた任務を全うするだけッスよぅ!」
 怪我が既に完治にあるクイントは、今日も金獅子(きんじし)ラージャンの体毛で編み込んだ金色の戦装束(いくさしょうぞく)だ。見た目の華やかさや艶やかさとは裏腹に、強固な防御力を持っている。まして、人とは思えぬ怪力を誇るクイントが着れば、激昂(げきこう)に吼えるラージャンに匹敵する力が宿る。
 クイントの言葉に、東洋はシキ国に伝わる益荒男(ますらお)の甲冑を着込んだイサナも頷く。
 頼もしい仲間たちを交互に見やり、ラケルは自然と軽口を唇に走らせた。
「ま、物好きが多いって話かな? ……二人共ありがとう。あと、クイント……君さ、その……遥斗に手、出してないだろうね? ほら、なんか、あるじゃん。落ち込んでる男の子を奮い立たせるよーな、なんとゆーか、そういう絵草紙(マンガ)にあるアレ」
 イサナは不思議そうな顔をして首を捻った。
 生真面目なイサナは生来の朴念仁(ぼくねんじん)で、どうしてあんな美人の奥さんがいるのかはドンドルマでもハンターの間で七不思議と言われているが。まあ、ラケルにはわかるし、クイントもわかっているのだろう。イサナは男女のアレコレを頭では理解していないが、心では熟知しているのだ。
 で、ラケルが肘で突くと、クイントはニヘラーっと気味の悪い笑みを浮かべた。
「いや、自分も正直チャンスだと思ったスよ。遥斗は好みの美少年だし、こう……傷心の美男子を手取り足取りアソコ取り……弱ってるとこに付け込み、カゴメにしたかったッスー!」
「……カゴメ? ああ、手籠(てご)めにしたかったって意味ね」
「それッス! また自分のハーレムに美形男子が一人……そう思ったらもう、もう!」
「あーもぉ、股ぐらをもそもそいじるんじゃないの。……で? なんで手、出さないの」
 筆頭代理チームのアタッカー、クイントは元はドンドルマの大老殿に務めるお抱えハンターである。文字通り大老殿に出入りするだけの権限と力量を持ち、ドンドルマでは知る人ぞ知るベテランである。
 それに、クイントが有名なのは、名声の(ほま)れも高き一流ハンターだからではない。
 クイントは、好みとあらば男とも女とも見境なく愛を育む色情魔(ドスケベ)なのだった。ドンドルマでは悪名高き両性具有の淫乱ハンター、それがクイントである。
 そのクイントだが、しおらしく寂しげな笑みを浮かべて舳先へ視線を映す。
 重い空気を引き裂く船首に、遥斗がゲネル・セルタスの甲冑を着て立っていた。
「……実は自分、あっちのメンバーに……オルカっちについてけばって、言ったんスよ」
「え? そなの?」
 驚くラケルに、デヘヘとだらしない笑みでクイントは舌をペロリと出した。
 むっちりと筋肉質の大女が、時に幼い子供に見えてしまう……そういうクイントだから、(ほだ)されて騙される老若男女があとを絶たないのだろう。彼女はじっと遥斗の背中を眺めながら、腕組み喋り続ける。
「遥斗は、あの女が……エルが好きなんすよ。へっぽこで未熟で、勢いだけですぐ凹んで、そりゃーおっぱいも尻もアレも自分と同じくらい立派で、でも腰のくびれは負けてるなー悔しいなー、って思うくらいイラつく女スけどね」
「あ、ああ、うん」
 何故か神妙な面持ちで、イサナはうんうんと頷いている。
 なんだか話が脱線しそうだが、クイントは喋り続けた。
「でも、遥斗はそんなエルが好きなんスよね。自分、昔から略奪愛はしない……ま、まあ、あんまししないって決めてるッス。それに、遥斗が自分で選んだことッスからね」
「……正直、それで助かってる。どうしても今回は危険な狩りになる……狩りと言えないような戦いになる。だから、四人で挑めるのは心強いよ。ね、イサナも」
「左様。あとはただ、世界の敵と一戦交えるのみ」
 それでも、クイントが見詰める先へとラケルも視線を走らせる。
 遥斗は風にさらされながらも、真っ直ぐ立って行き先へと目を凝らしていた。
 その背中が、心なしか今は大きく見える。
「ま、残った理由は直接遥斗に聞いて欲しいッス。ほら、来るッスよ……あと、自分は遥斗を気に入ってるスけどね、けど……遥斗に好かれる自分とゆーのが一番お気に入りッス!」
 えらく利己的で、趣味丸出しで、その上隠す素振りもなくて。だが、そういうあけすけないクイントを誰もが慕っていた。狩場では頼りにもしてるし、大剣で切り込む彼女が常に活路を開いてきたのも事実だ。
 そう思ってると、見張りに立っていた遥斗が戻ってきた。
「この先、千剣山(せんけんざん)までの航路は安全ではないかもしれません……大気も不安定だし、嵐になるかも。まるで、世界の空が一斉にひび割れ(たわ)んでるかのような異変です」
 そう言う遥斗の目には、不思議と動揺や恐懼(きょうく)の色がない。
 まだハンターになって間もないのに、遥斗は落ち着き払ってラケルたち仲間を信頼してくれている。それは、イサナの弟オルカと共に数々の修羅場を、死線をくぐってきたからだろう。
 遥斗は厳ついヘルムを脱ぐと、ニコリと笑った。
「……僕もできれば、エルを追いたい。ずっと追いかけると決めてますから。でも、以前一度……モガ村とタンジアの港を救ったあの激戦のあと、僕はおいてかれてるんです」
 エルグリーズの正体は、タンジアの港が抱く厄海(やっかい)に眠りし災禍(さいか)……煉黒龍(れんごくりゅう)グラン・ミラオスの生体コア・ユニットだ。既に古龍としての本体を失った今、彼女は人の世に人ならざる者として生きている。そして、全ての古龍を殲滅する戦いへと旅立つ際、心を通わせ合った遥斗を突き放したのだ。
 だが、遥斗はそれを追ったし、回り道と知ってもハンターとしての自分を高めることを選んだ。ドンドルマで大老殿に出入りするまでに腕をあげ、古龍観測所の一員として戦うまでに成長したのだ。
 その遥斗が、どこか清々しい微笑を見せる。
 それは、光を忘れた世界で、ラケルには眩しいほどに輝いて見えた。
「僕はずっとエルを追います。追いかけて、追いついて、そして一緒に生きるんです。どんな障害も乗り越え、くぐって、必要ならブチ破って。でも」
「でも?」
「エルに会う時はいつも、エルに恥ずかしくない自分でいたいんです。なりふり構わず追ってもいいんだけど、それは僕にはできない……仲間との狩りを放り出すような人間が、エルを幸せにできるなんて思ってませんから」
 それだけ言うと、遥斗は笑った。朗らかな、歳相応の笑顔で、先ほど見せた悟った諦観(ていかん)の滲む微笑ではない。遥斗の決意と意志を感じさせる笑みだった。
「偉いッス! よく言ったスねえ、遥斗! 自分たちも応援してるッスからね。さっさと、その、邪竜王? ダマ・アラリュラ? とかいうの、やっつけてオルカっちたちに合流ッス!」
蛇王龍(じゃうおうりゅう)ダラ・アマデュラですぞ、クイント殿」
 筆頭代理チームに笑いが生まれた。
 その声を吸い込む先に、決戦の地が待っている。飛空艇が暗い空を飛ぶ中、徐々にぼんやりと千剣山が見えてきた。そしてそれは、不気味に鳴動する大地の上で震えていた。

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