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 清流のせせらぎが朝の空気を静かに鳴らす。絶景に煙る朝もやの渓流は、自然が奏でる響きの他にはなにもない静寂かに思われた。だが、登り始めた太陽へと牙を向け、荒ぶり咆える獣が一頭。
「ミヅキさんっ、合わせますっ!」
「お願いします。距離をっ」
 隣で一緒に馳せる返事を聞きながら、オルカは一直線にドスファンゴへと突撃してゆく。その手が背負われた武器を展開させ、手に馴染んだグリップを強く握った。既に視界に迫るドスファンゴはこちらを捉えて、鼻息も荒く地を蹴っている。
 その瞬発力が爆発した瞬間、オルカとミヅキは左右へと身を投げた。
 すぐ側を、風切る猪突が擦過する。
「っと、どこの地方も変わらないな」
「そうなんですか? わたし、ユクモ村を出たことないですから」
 大地を転がりながらも地面を掴んで、スラッシュアクスを支えにオルカは立ち上がる。独り言に答えた返事は今、矢筒に手を伸べていた。もう片方の手は同時に、素早く腰元からビンを取り出す。
 一瞬で遠ざかったドスファンゴが、はるか向こうで踵を返した。再びこちらへと、立派に屹立した一対の牙が向けられる。
「脚、止めますね」
「了解っ!」
 ミヅキとは今日が初めての狩りだったが、別段オルカに戸惑いや不安はない。ここまでの道のり、採取地点や近道、抜け道の説明をしてくれる彼女は親切だったし、他のメンバーと一旦別れた後も、率先してドスファンゴの捜索を名乗りでてくれた。
 オルカとしては地道に採取や採掘も魅力的だったが、まずはこの地域の狩りを、その空気を肌で感じたかった。ピッケルや虫あみをしまいこんで同行したのはそういう訳で、二人で手分けして探せば狩りの標的は手早く見つかった。
 それが今、逆にこちらを狩らんばかりの勢いで襲ってくる。
「麻痺ビンで……いきますっ!」
 張りのある声が凛と響いて、駆け出すオルカの背中を押す。同時に、彼の間近を追い越して、幾筋もの矢が空気を切り裂いた。それはこちらへと距離を詰めてくるドスファンゴに、次々と突き立つ。五本目、六本目の矢が続いて背を穿った時には、オルカは炯と輝く野獣の瞳の、その奥に野生が炎と燃えるのを見とれる距離まで近づいていた。
 一際鋭い一矢が眉間にカツン! と突き刺さり、ふらりよろけたドスファンゴが歩調を弱めて止まる。
 鏃にぬられた麻痺毒が効き目を発揮すると同時に、零距離を取ったオルカの全身で筋肉が躍動した。両手で握りふりかぶった斧が、ヒュンと翻るや振り下ろされる。
「――っ、もう、一撃っ!」
 鋭い刃が毛皮を裂き、肉を断ち割る。そのままずるりと払い抜けた反動に身を預けながら、オルカはすかさず弐の太刀を叩きつける。踏みしめる大地が抉れて、より強力な振り上げがドスファンゴにめり込んだ。
 同時に肺腑へとどめていた呼気を解き放ち、吹出す汗に呼吸を貪りながらオルカは距離を取る。
 麻痺から解放されたドスファンゴは、怒りの咆哮をのぼらせデタラメに牙を振り回した。それが咄嗟に回避運動へ転がるオルカの陣笠を掠める。ひやりと背中を冷たい感覚が刺し貫いた。
「やっほー! 真打とーじょーっ! お待たせっ」
 不意に気の抜けた声が元気に響いて、同時にオルカと入れ替わりに華奢な矮躯がドスファンゴに踊りかかった。その身よりも巨大な狩猟笛が鈍い音を立てて、向けられた牙と激突する。ルナルはバラバラと、採取した虫や鉱石を零しながら、まるで鈍器に振り回されて踊るように立ちまわる。彼女は大きく振り上げた狩猟笛を叩きつけるや、そのまま横転と同時に大きく息を吸った。
「はいっ、吹くよぉ〜! お姉ちゃん、オルカっち、ガンバッ!」
 竜骨より削り出した楽器が、ルナルのいぶきを迎えて空気に旋律を刻んでゆく。そのリズムが自然とオルカの鼓膜に浸透して、猛る闘争心に拍車をかけた。身体が熱く燃えて、血潮が全身を駆け巡る。
 狩猟笛の奏でる楽曲には皆、狩人を高揚させる不思議な力があった。
「ルナルッ、そんなとこで吹いてちゃ危ないじゃない! ……もうっ、あの子ったら」
「大丈夫っ、これでっ……終わりだっ!」
 矢をつがえながらも頬を膨らますミヅキに代わって、オルカは再び斧を振り上げる。全体重を浴びせるように、一撃。血飛沫が舞ってぐらりと巨体がゆらめき、ドスファンゴは致命打に暴れ始めた。
 手応えはあった……勝負はあった。これで終わりと額を手の甲で拭うオルカは、その時驚くべき光景を目にして息を飲んだ。後は出血に任せてその場に崩れ落ちるばかりのドスファンゴが、口から泡を吹きながら突進してきたのだ。慌てて避けるのが精一杯で、
「あっ、逃げられるっ! お姉ちゃん」
「任せてっ! ……!? アッ、アズラエルさん!?」
 必死で生への逃走を試みるドスファンゴの、その進路の先に細長い影が現れた。両手いっぱいに特産キノコを抱いた、それはアズラエルだった。彼は目の前に突如現れた狩場にも、そこから必死で逃げ出そうとするドスファンゴにも、顔色ひとつ変えない。普段の玲瓏な無表情のまま、少しだけ億劫そうに胸に抱いたキノコの山を手放した。
 バラバラと散らばるキノコが重力につかまり、地へと転がるより速く。ジャキンと音を立ててアズラエルは背の槍を構えるや、右手に固定した盾を付きだした。そして、衝撃音。オルカはその金切り声と同時に、ドスファンゴの身体を貫通して背からランスが生えるのを見た。
「ナイスカウンター、さっすがアズにゃん! これで終わり、終わりっと」
「遅れて申し訳ありません、皆様。キノコが沢山生えていたものですから」
 ドサリと身を横たえるドスファンゴの影から、ランスを引っこ抜くやアズラエルが姿を現した。彼は血糊を拭うと、改めて散らばったキノコを集め始める。
 オルカも一息ついて、無事に狩りが終わったことに安堵した。矢を収めて弓を畳むミヅキと、苦笑を交えながらもお互いを労う。そうしている間も、狩猟笛を背負うなり軽やかなスキップでルナルがぴょこぴょこアズラエルに駆け寄っていった。
「ねね、アズにゃん。虫あみ持ってない? あたし、全部使っちゃってさ……エヘヘ」
「一本だけなら残ってますが。お使いになりますか?」
「やたっ! あんねあんね、あっちにまだ虫がいっぱい……アズにゃんはもう回った?」
「ええ、一通り」
 生死を賭けた緊張感が瞬く間に霧散し、狩人達は少年少女に戻った。ルナルにいたっては幼子のようですらあり、嫌な顔ひとつせず虫あみをポーチの中にさがすアズラエルは逆に、どこか興奮も感動も置き去りにして大人びた様子だった。
「こら、ルナルッ! ほんとにもう……妹がすみません、アズラエルさん」
 オルカもまた武器をしまって、獲物を剥ぎ取るべくハンターナイフを腰から引き抜いた。先を歩くミヅキは、貰った虫あみを広げて無邪気に振り回しているルナルに眉根を釣り上げている。
 ちょっぴりの冒険と、それを終えた充実の一時。集った誰もが、ドスファンゴごときに苦戦することはないだろう。たとえ一人でも。それが解っていても気が抜けないのが狩りであり、気を抜かないのが狩人……モンスターハンターだ。大自然は時として先程のように、死にかけた獣に未知の力を与えることがあるから。
「さて、じゃあ今日はこれで終わりかな?」
「ですね。村長さんも安心すると思います。わたしも、凄く安心しました」
 もとからユクモ村のハンターだったミヅキが、ニコリとオルカに微笑んだ。その金髪を今、完全に地から離れた太陽が稲穂のごとく輝かせている。うっすらと汗ばんだ頬も上気して、素朴な笑顔をどこか魅力的に飾っていた。
「これでコウジンサイ様も楽隠居できると思いま――」
 オルカに振り向いたミヅキの声を突然、遮る咆哮。
 今まで聞いたことのない怒声が、絶叫が空気を沸騰させた。
「なっ、何だ? まだ何か、いる? ミヅキさん、今のは――」
「解りません、こんなの初めて……この距離、近い」
 同時にオルカは、霧散して掻き消えた狩りの緊張感が、先程の何倍も危険をはらんで集束してくるのを感じた。泡立つ肌が敏感に、刺すような空気の中の殺気を感じ取る。
「……調べてみますか? 一応」
 一人驚いた様子もなく、両耳を塞いでいたルナルの隣でアズラエルがぼそっと一言つぶやいた。いつも通りの落ち着いた様子の彼だが、もう獲物を剥ぐのも、落としたキノコを拾うのもやめてランスを構えていた。

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