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 肌にひりつく空気を引き裂き、仲間と共にオルカは馳せる。一陣の疾風となるその身を追い越し、恐るべきモンスターへと矢が殺到した。援護射撃を受けて、強張る身体の恐怖を追い払うように斧を振り上げる。
「毒が効いてるっ! やっぱりジンオウガだって生き物っ! これなら――」
 淡い希望が胸のうちに立ち上るも、あっというまに打ち砕かれた。
 激しい衝撃音と共に、オルカの一撃は硬い甲殻に弾かれた。スラッシュアクスを握る両手にしびれが走り、反動でのけぞり吹き飛びながら大地を転がる。ジンオウガはただ微動だにせず、その身を固める天然の鎧でオルカを、続いて踊りかかったアズラエルとルナルをも弾き飛ばす。
 無数の毒矢に飾られたジンオウガは、絶叫で空気を沸騰させ、ハンター達の肌を泡立てる。
「むっ、無理! 無理だよお姉ちゃん〜! 村に帰ろうよぅ」
「この程度の武器では弾かれてしまいますね。どこか柔らかい部位はないでしょうか」
 オルカは立ち上がるや、同じく剣士として散開する仲間達の声を聞く。
 四人で取り囲むジンオウガは、その存在感と敵意こそ圧倒的であるものの、己に冷静さを呼びかければ……その身はそこまで巨大ではない。重くのしかかるような殺気が、ジンオウガを巨大な未知のモンスターだと錯覚させていたのだ。現実には毒も効くし、村でサキネが吹聴したような化物でもない。確かにその強靭な四肢には、甲殻を覆う帯電した体毛には、その隅々まで強靭な力が圧縮されているが。
 だが、今までオルカが狩ってきたモンスターと何ら変わらない、生あるイキモノだと認知できた。
「おにょれ〜! もっといい笛なら、弾かれなくなる旋律が吹けるのにい〜!」
 脱兎の如くルナルの矮躯が逃げる、逃げる、逃げる。どうやらジンオウガの第一の標的にされてるらしく、彼女は本気の猛ダッシュで逃げ惑いながら、踊りかかる孤狼を背負って身を投げ出す。そうして砕ける大地を転がりまわる彼女に代わって、アズラエルが抜槍と共に身構えた。
 もうもうと土煙をあげ、土砂を纏いながら破壊の権化が痩身に迫る。
「皆様、私がひきつけます。その隙にっ」
 刹那、耳をつんざく金切り声があがって、アズラエルの踏みしめた両足が地面を抉る。
 防御に定評のあるランスが、その主を守る大盾が大きく歪んで亀裂を走らせた。それでも右手一本でそれを支えるアズラエルが後退る。手数を稼いでダメージを稼ぐランサーが、ただ身を亀にして守ることしかできない。そしてその必死の防備は、猛追するジンオウガの爪と牙で今にも決壊しそうだった。
 アズラエルをじりじりと削るジンオウガの背に、虚しくミヅキの射る矢がただ弾かれる。
「駄目、矢が通らない……ビンはもうないし。やっぱり駄目なの? 今のわたし達じゃ」
 悲痛なミヅキの呟きを遮り、轟音と共に立木がへし折れた。そびえる巨木共々一撃を貰って、耐えに耐えて耐えかねたアズラエルがついにサイドステップで致命打を避けた。ジンオウガを一手に引き受けていた彼は、そのまま間一髪で回避と同時に天を仰ぐ。どうやら息があがったようだった。
「だからやめようって言ったのにい〜! もっ、こうなったら笛吹く! 吹くかんねっ!」
「お願いルナルッ! その間はわたしが……おいでっ! お前の相手は、わたしっ!」
 腰のビンを捨ててばら撒くや、弓に矢をつがえてミヅキが走る。アズラエルへと向いていた角がぐるりと、己の表面で跳ね返る鏃の先へ翻った。ミヅキを次なる獲物と見据えるや、ジンオウガは真っ赤な口を天地に割って襲い来る。その常軌を逸した爆発力が駆け抜けて、オルカは咄嗟の前転で身を逃がした。
 斧を支えにかろうじて立ち上がった時、オルカの足元に空のビンが無数に転がっていた。
「これは、ミヅキさんのビン……ビン、ビン……よしっ! そうだ、あれをやってみるっ!」
 雷狼竜の怒号と絶叫だけが支配する狩場に、否、狩場とは言えぬ暴虐の渓流に笛の音が響き渡った。それはスラッシュアクスを背負うと同時に駆け出すオルカの背を、優しく雄々しく強く押し出す。
 視界の隅に音符を並べて旋律を奏でるルナルと、それを必要最低限守るアズラエルの姿が過ぎった。
 オルカはただ夢中で、逃げつつ果敢に応戦する射手の背を、揺れる金髪を追って走った。
「ミヅキさんっ、そのまま! そのまま、あと少しだけ……あとっ、少しだ、けぇっ!」
 ジンオウガは今、その視界に自分を捉えていない。
 その確信が身に満ちて勇気を、蛮勇とさえ言える無謀な挑戦をオルカに決意させる。
 事実、巧みに距離を置いて無為に矢を射るミヅキへと、まるで誘導されるようにジンオウガは荒れ狂っていた。その漲る暴力の横へとオルカは、陣笠を脱ぎ捨てるや廻り込む。身を低く、まるで地を這う影のように疾く疾く。
 気付けばオルカは、縦横無尽に暴れ回るジンオウガの、その一瞬の間隙を縫って密着に成功していた。
「この距離ならっ……圧縮率は? ――いけるっ!」
 思惟に浮かぶ意志がそのまま、言の葉にのって思わず口から迸る。入れ替わりに雪崩れ込む空気が灼けた喉を伝って、疲労に悲鳴をあげる肺腑へと飛び込んできた。その瞬間、呼吸を止めて鼓動を高鳴らせるオルカ。彼が背から振りかぶった斧が、内蔵されたビンに封じられし気化薬と化学反応を起こして、小気味よい音を立てた。
 ガキン! ――猛禽が羽撃たくように、スラッシュアクスの折りたたまれた第二の刃が展開した。
「おっしゃーい、オルカっちそれ得意っ! 貰った貰った、やっちゃえー!」
「なるほど、あの武器はそういう仕組があるのですか」
 背後の歓声も遠ざかる。巨大な剣へと変形したスラッシュアクスを、オルカは全力で目の前に叩きつけた。ミヅキばかりを追っていたジンオウガは、不意打ちに近い形で側面を強襲される。スラッシュアクスはその内部に気化した劇薬を封じたビンが内蔵されていた。それは斧を振るうごとに圧縮され、一定の値を超えると、真の姿へと変貌する。真価を発揮したスラッシュアクスに、全てを切り裂く剣に断てぬものはない。
「オルカさん、距離っ! その距離……わたしが、縫いとめるっ!」
 ミヅキの声を追うように、援護射撃の矢が降り注ぐ。それは驟雨のごとく降り注ぐも、まるでオルカを避けるようにジンオウガに突き立った。初めてよろける姿を前に、オルカは身を声に絶叫を振り絞る。
 言葉にならない声が迸って、鈍い手応え。一拍の間をおいて、空へと屹立する血飛沫。
 大上段から斬り下ろした、その勢いを殺さず弐の太刀を叩き込んだところで、ジンオウガの瞳がオルカを見据えて睨んだ。だが、気迫で負けまいとオルカは歯を食い縛り、大きく前へと刀身を突き出す。
 戦意を高揚させるメロディに乗って突き刺さったスラッシュアクスの中で、圧搾された薬物を抱く強撃ビンが撃発した。スラッシュアクスに宿った属性が解放され、目の前にそびえる巨躯を砕いてゆく。
「おおおっ! ……ったぁ、はあ! は……駄目かっ」
 だが、属性開放の衝撃に大きくのけぞるオルカは、よろけながらも自分に向き直る稲妻に対峙した。煮え滾る怒りが爆ぜるがごとく、ジンオウガの体毛が帯電している。それが空気中に蒼白い光をスパークさせていた。
 たぐりよせたかに見えた勝機が遠ざかる、その足音をオルカは聞いたような気がした。
 趨勢は変わらず、痛手を与えるも逆に激怒させてしまった。今、目の前で輝く殺気の固まりは、なるほどサキネが例えた通り……鬼神か雷神か。自身を見下ろす双眸はギラつき、その視線から目が離せない。
「オルカ様っ! 狩れます。多分いけます……後は任せて回避をっ」
 一瞬尖って高ぶった声は、次の瞬間には冷たく澄んだ平静さで鼓膜に浸透してきた。その抑揚に欠く、しかし冷静さを保ったままの言葉がオルカを我に帰らせる。危機に瀕した自分に意識が戻るや、オルカは全力で身を翻した。それは自分が立っていた場所へと、巨大な稲光が屹立するのと同時だった。
 信じられないことだが、ジンオウガの怒りが雷鳴を呼び、落雷の嵐が場を包んだ。
「えっ? い、いやー、それは持ってるけど。アズにゃん、や、やるの?」
「これで駄目なら逃げましょう。もともとそういうお話でしたし」
「むぃーっ、そしよ、そうしよう。うん、討伐は無理! それ無理、ひゃくぱー無理っ!」
「ではそういう手筈でお願いします。幸い、私が罠を持ってますので――」
 朦朧とする意識の中、オルカは気付けば走っていた。
 モンスターハンターとしての、まだ未熟だが確かな経験が彼を走らせていた。自分でもスタミナ切れは自覚していたし、スラッシュアクスに蓄積された強撃ビンの圧縮率は使い切ってしまった。それでも何か、仲間達の叫びあう声を拾って、その方向へとジンオウガを引き連れオルカは走った。
「オルカさん、翔んでくださいっ! 一撃必中……貫っ!」
 凛とした声に押し出されて、オルカは無我夢中で身を躍らせた。その背に迫るジンオウガを、必殺の一矢が貫く。限界まで弓をしならせ弦を張り詰めた一撃が、ジンオウガを突き抜けてオルカを掠めた。
 同時に、大地に叩きつけられたオルカは背中でジンオウガの悲鳴を聞く。
 薄れゆく意識の中、仲間達の合図と共に、どこかで嗅いだことのある刺激臭が鼻孔へ侵入してくる。それが捕獲用麻酔薬の、ツンとする臭いだと思い出した時には、オルカは深い暗闇へと落ち込んでいった。

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