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 ざわめきがさざなみとなって、未だ闇に沈む意識を揺さぶる。オルカはそれでも重い瞼をうっすらと持ち上げ、ぼやける視界に笛が鳴るような声を見た。焦点定まらぬ眼前の光景は、いつの間にかユクモ村。
「アズにゃんの罠にこう、ズボーッ! と入ったとこにね、あんね、あたしがグワーって!」
 要領を得ない、しかし勢いだけはノリノリで声を弾ませている。オルカは目を擦りながら身を起こし、自分が荷車に乗せられていることに気付いた。それにしてもルナルの声は妙にいきいきと得意気に響いて、村人達の「おおー」という感嘆を引き連れてゆく。
「ほいで捕獲したのがこれーっ! ……あ、オルカっち。目、覚めた?」
 ルナルが振り向くや、ピシリとオルカを指さした。それでまだ状況も飲み込めぬオルカも、半目をしょぼつかせながら自分を指差す。だが、村人達の視線はオルカを貫き、その後ろに載せられた……荷台からはみ出て積載された、眠れる獣に注がれていた。
「大したもんだ、流石はモンスターハンターさんだねえ」
「これでユクモ村も安泰ってもんだ」
「ここ最近、こいつのせいで渓流が危なかったもんなあ」
 村人は口々に安堵を呟き、互いに顔を合わせては頷いている。
 オルカが振り向けば、背後には伏したジンオウガの巨体があった。
 未だ回転の鈍い頭が、今朝の激闘をゆっくりと思い起こさせる。何の準備もなく突然の遭遇にしかし、オルカ達四人は挑んだ。ユクモ村周辺を昨今騒がせる、驚異の害獣ジンオウガへ。その雷神の如き猛攻を前に苦戦するも……どうやら無事、仲間達の機転で捕獲に成功したようだった。
「そっか、捕獲、できたんだ。……ふぅ、俺も全然まだまだだなあ」
 オルカは苦笑と共に軽く頭を振って、自分をコツンと叩くと荷車を飛び降りる。
 善戦こそしたものの、狩りの最中に意識を失った……少しだけ自分が情けない。
「オルカ様、お気づきになられましたか?」
「オルカさんっ、大丈夫ですか? 突然倒れこんじゃって……みんな心配してたんです」
 大地に降り立ち少しよろけたオルカを、そっと支えてくれた長身から声が降ってきた。あいも変わらず平坦で玲瓏なその声とは対照的に、駆け寄ってくる少女の声音は興奮に弾んでいる。
 オルカは傍らのアズラエルにも、詰め寄るミヅキにも笑顔を返した。
「俺は大丈夫、ちょっと張り切り過ぎたみたい。ごめん、少し後先見えてなかった」
「そんな、オルカ様のお陰で捕獲できたんですよ?」
「そうですっ! わたしも助かりました。あそこでオルカさんが割って入ってくれなかったら」
 ミヅキがようやく笑顔をみせた。ほっとしたように頬をほころばせる。それでオルカも、ようやく勝利の実感が己の身に込み上げてくるのを感じた。自分達は、勝ったのだ。
「みんな、勿論あたしもお姉ちゃんも、アズにゃんも頑張ったけど――」
 村人を連れてぽてぽてと、ルナルが拙い足取りで疲れも見せずに走ってくる。
「今回の勝利の立役者は、だれであろー、このオルカっちだよっ!」
 ルナルはミヅキに並んで、バシバシとオルカの背中を叩いてくる。村人からも歓声があがって、それは次第に拍手の波を連鎖させてゆく。何か照れくさいオルカが頭をかくと、喝采は瞬く間に村の広場を包みこんでいった。
 込み上げる充足感が、今になって感じる恐怖を払拭し、不思議と心を満たしてゆく。
 オルカは他の仲間達と共に胸を張って、今日の狩りを誇れる自分が嬉しかった。
「お館様、ハンターの皆さんがあちらに」
「おう! おうおうおう、おおう! こらぁ見事! 若いの、やりおったな!」
 嫌に冷たく白い声が、人混みの中から巨漢を引き連れて現れた。確かこの禿げ上がった頭に無数の戦傷を刻んだ、筋骨隆々たる大男は、
「コウジンサイ様、先程戻りました。皆、無事です」
「そうかミヅキ、それは重畳っ! 他の者も皆、怪我は無いみたいだな。うむっ!」
 そう、このユクモ村の先任ハンター、確か今はコウジンサイとか名乗る老人だ。彼は今、見事に真っ白な口ひげを撫で付けながら、しきりに感心した様子で目を細めている。その足元には、酷く華奢な矮躯が希薄な存在感で立っていた。その唯一色彩を帯びた真っ赤な双眸と目が合い、オルカは目礼を交わすもどこか奇妙な居心地の悪さを感じた。少年とも少女ともとれぬ白い影は、ただ薄い笑みを浮かべている。
 その時オルカは、酷く慌てた、しかし既に聞き馴染んだ声を聞いた。
「おい、待ってくれよコウジンサイ。俺ぁ足がよ……っとっと、おお! アズ! あんちゃんも」
 キヨノブだ。彼は杖を突きながらひょこひょこと片足を引きずりつつ、広場に現れるや真っ先にオルカの隣へ視線を投じて、安堵の溜息。ついでオルカを、ミヅキとルナルを見て破顔一笑した。
 いい年をした大の大人が、まるで同世代の少年のように顔をしわくちゃに崩す。
 オルカもまた、何故かその笑顔にほっと一息つき、同時に隣のアズラエルが僅かに纏う雰囲気を解く気配を感じた。狩猟中も今も、ずっと淡麗な態度を崩さなかったアズラエルが、キヨノブを迎えてその見つめて来る笑顔に近寄る。その足取りはオルカには、小走りで軽やかに見えた。
「キヨ様、ただいま戻りました」
「おうアズ、やったな! 伊達に長年ハンターやってねーな、おい?」
「皆様の協力あってのことです。ルナル様の笛、ミヅキ様の援護射撃、何よりオルカ様の反撃」
「うんうん、いいもんだよなあ狩りってのは。……しかし、なんだ……無事でよかったぜ」
 突然のエンカウントだったが、オルカは不意に訪れた危機が、それ自体がこの村から消え去ったことに改めて安堵した。この為にユクモ村へと訪れたが、その目的を果たした今も、まだまだ狩猟生活は続く。自分がこれから生きていく、その生き方を探す場所として、オルカはこのユクモ村が好きになりかけていたから。何より、仲間がいてくれるから。
「へへー、あのアズにゃんも可愛いとこあんね。あのおっちゃんにはデレデレだね」
「はは、ちっこいの。若はああ見えて器量がおありですからな。あの異人も、ほんに懐いておる」
「あーっ! おじーちゃん今、あたしのこと小さい言うたでしょ! むーっ、子供扱いっ!」
「何を言うか、子供ではないか。子供だてらに大したもんだ、どらっ!」
 コウジンサイは豪快に笑うと「もう十七だもん!」と頬を膨らますルナルの身を、ひょいと軽々肩に載せた。そうして再び、村人達の間から朗らかな笑い声があがる。村が迎えた若きハンター達を労い、眠りに囚われた先日までの驚異をも称える。そういう歌と踊りとが、どこからともなく持ち出された楽器の音に混じって広場を染めていった。
 自然と祭の雰囲気が広がって、気付けばオルカもミヅキも、その中央へと押し出される。
 だが、そんな明るい場の空気を小さな呟きが引き裂いた。
「これは……これが、ジンオウガか? この村を困らせていた……いや、違う。違う、筈だ」
 村人にもみくちゃにされながらも、どうにか人の輪を抜け出たオルカは見る。浴衣を懐手に着崩したサキネは、今日は蓬髪を結って荷車を見上げている。その身にはまだ包帯と絆創膏が痛々しかったが、彼女は凛とした表情で油断無くジンオウガへ視線の矢を射る。そのままぐるりと周囲を回って、まるでオルカ達四人の狩果を検分しているようだ。
「どうしたんですか、サキネさん。あの、何か……あっ、そういえば」
「うむ。私はこの村にくる途中、ジンオウガに襲われたのだが……おかしい」
 サキネの表情は真剣そのもので、手を伸べ甲殻と体毛を撫でてゆく。強力な捕獲用麻酔薬で眠っているジンオウガは、その逞しい体躯を僅かに上下させていた。
「……小さい」
「え?」
 不意にサキネが零した言葉に、思わずオルカは疑問符を返す。
「私を襲ったジンオウガは、もっと大きかったのだが。……これは、それより二回りほど小さい」
「そ、それじゃあ」
「む、すまんなオルカ。せっかくの興を削いで。だが、小さい。小さいのだ」
 長身の竜人が、その端正な表情を凍らせ間近でオルカを見下ろしてくる。目線二つほど高いその整った顔立ちを見上げて、オルカは思わず息を飲んだ。
 もしや、まさか、しかし。
 だが、その答えはまだ誰も持ち得てはいない。
「それはともかく……立派だな、オルカ。私は感心したぞ」
「は、はあ。でも、これより大きな個体が――」
「やはりあれだな、うん。里に婿にこい。いい腕だ、私達と子供を作ろう」
 込み上げる緊張感が、いつもの一言で瞬時に霧散する。駆逐したかに見えた驚異が、その奥にさらなる恐惶を隠しているような気がして、オルカはただ曖昧にサキネの言葉に首を横に振った。

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