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 清廉なる渓流の空気が、焼けつく肺腑へと雪崩込んでくる。全力疾走に躍動するノジコの肉体は今、その一歩一歩を跳躍するように馳せる。せせらぎを一足飛びに、木立を縫うように駆け抜ける。
 追いかける影は朽ちかけた吊り橋の向こうへと消えていった。
 迷うことなくノジコは、既に忘れ去られて久しい架け橋へと足を踏み入れる。
「ノジコさん、足元気をつけてくださいっ! この橋、百キロ以上の荷重で落ちます!」
 不意に背後から声がして、追従するアウラはピタリと立ち止まった。
 何故、そこまで正確な値を断言できるのだろうか? 確かに谷をまたがる吊り橋はボロボロで、ロープは所々ほつれて、渡し板も滑落が目立つ。それでもノジコは、数少ない経験と頼りない勘から渡れると直感を得ていたが。
「百キロはないですっ! 銃槍がまあ重いけど、フロギィの皮は軽いし」
 アウラの根拠のない言葉を信じるならば、二人同時に乗れば橋は落ちるだろう。だが、一人ずつなら余裕だとノジコは心に結ぶ。ハンターが扱う武具の中でも、ガンランスは比較的重量のかさむ武器だが。それを背負って盾を抱える身でも、その身体を包む防具は軽いフロギィシリーズだから。
 一方立ち止まったアウラは、全身を合金製の甲冑で固めたアロイシリーズだ。おまけに顔は特注品のフルヘルムで覆われ顔色すら読めない。だが、カタカタと泣くように鳴る橋を渡るノジコは、この奇妙な狩りの仲間を信頼しつつあった。
「先行します、アウラさんっ!」
「はいっ! わたしは、その、ええと……ここは通れないので、回り道しますね」
 即座にノジコの脳裏に地図が閃く。何度も採取に通い、日課にも等しい回数をクエストでこなした渓流だ。その地理は完璧に頭に刻み込まれている。アウラのボウガンは軽量だし、防具を加味しても百キロはないと思うのだが……彼女が迂回するというなら、はさみ込むポイントは自然とノジコには理解できた。
 危うげに揺れる橋を渡りきって、ノジコは単身クルペッコを追いかけ茂みに飛び込む。
「あんなに細いのに……変なの、アウラさん。あ、ボウガンが重い……いやいや、ライトだよ?」
 自分に疑問をぶつけつつ、ぶつぶつ呟くノジコの集中力が研ぎ澄まされてゆく。追いかける影が近付いているから。追いつきつつある中、些末なことを口にだしてみる余裕すら垣間見せる。
 ノジコが見ても同性として溜息が出るほど、アウラの体型はほっそりとしたものだ。全身を金属で覆うアロイシリーズを着てても、その見事な柳腰には嘆息する他ない。手足もすらりとしたもので、とても重さに気を遣う必要性を感じない。なのに何故? その答を得る前に、ノジコは開けた広場へと躍り出た。
 ペイントボールの刺激臭が強くなり、風に周囲の木々がそよぐ。
 クルペッコは耳障りな異音を叫びながら、再び大地へと降り立った。
「今度は逃さな――ええっ!?」
 突進するノジコの手が、背中からガンランスをたぐり寄せる。それが精緻な音をカキン! と鳴らして連結されるや、彼女はありったけの力で鋭く繰り出した。
 だが、クルペッコはまるで踊るようなサイドステップでそれを避ける。
 思わず驚愕に声が跳ね上がるノジコ。そんな彼女をおちょくるように、クルペッコは左右に揺れながら距離を取って離れてゆく。思わず頭に血が登ったノジコは、構わず強気の姿勢で踏み込んだ。クチバシは壊せているし、先程の緒戦では優位に相手の体力を削った。アオアシラの突然の乱入に戸惑ったものの、追い詰めているという感触は確かにある。ここは攻めろと、書士としての経験が見えない声をあげる。
 ノジコは躊躇わず、普段の彼女らしからぬ強引な一撃を繰り出した。
「私だって、やるときはやるんですっ!」
 小刻みなステップで肉薄するや、まっすぐ前へと銃槍を繰り出す。その刺突はしかし、虚しく宙を切った。小柄とはいえ怪鳥、その巨体からは想像もつかぬ俊敏性を魅せつけてくるクルペッコ。羽毛を散らしながらも、ノジコの刃は先程とはうってかわって、クルペッコにかすりもしない。
 焦れる心が焦りを呼んで、ノジコの五体が疲れを忘れる。
 その刹那、大きく飛び退いたクルペッコが、まるで両の手を合わせるように左右の翼を合わせた。申し訳程度に生えた爪と爪とを、勢い良く叩きつける。その隙間に生まれた火花が、たちまちバチン! と音を立てて炎を呼んだ。
「ノジコさん、危ないっ!」
 アウラの声に身体が反応した。追いついてきたアウラの声が、言葉が引き金となってノジコの肉体を律動させる。未熟ながらも自分なりに鍛えた、その四肢に電流が走って筋肉が隆起する。
 瞬間的な炎撃を生んだクルペッコは、それを真正面からノジコにぶつけてきた。
 いやに冷静な自分に驚きつつも、ノジコは鍛えられた通りに右手をかざす。重厚な盾が衝撃を受けて、同時にノジコは自分が踏みしめる大地がえぐれるのを感じていた。全身が悲鳴をあげて骨が軋み、大質量と熱量に鼓動も呼吸も止まる。
「――っ! ブレスじゃ、ない。けど、熱い……ああそうか、火打石の原理」
 自信も過信もないのに、気付けばノジコは二発目の攻撃を紙一重で避けていた。大きく身体を傾け、瞬発力を爆発させてダッキングでクルペッコをかいくぐる。そうして懐に入った瞬間、左手のガンランスは唸りを上げて引き絞られていた。だが、
「飛んだっ!?」
「ノジコさん、射線ください! 落とします」
 反射的に身を翻すや、地を蹴るノジコ。彼女が距離を置くと同時に、サイレンサー特有の押し殺した発砲音が連鎖した。アウラの放った弾丸はしかし、空中で踊るクルペッコをすれすれで掠めて空に消える。
 変幻自在のトリックスターに、気付けばノジコもアウラも翻弄されていた。
「意外に避けますね。ノジコさん、後の二人を……オルカさんとアズラエルさんを待ちますか?」
「う、うん。我慢比べになるかも」
「麻痺させる予定が……すみません。急に逃げ出したので、半端になっちゃって」
「大丈夫です。こう見えても私、先輩に鍛えられてますからっ」
 基本的にノジコの地方では、ライトボウガンを扱うガンナーの仕事は決まっている。徹底したサポート、それも麻痺弾や毒弾での援護射撃だ。だが、ノジコ達王立学術院の書士は、常日頃から狩りの仲間に無言の不文律を要求するようには教育されてなかった。
 必定、ノジコはアウラを頼りにこそすれ、麻痺攻撃を強いる気持ちは微塵もなかった。
「……よしっ、アウラさん! 勝負に出ましょう。火力を集中、一気に」
「では、わたしも前に……クロスレンジ、いきましょうっ!」
 悠々と空を飛ぶクルペッコの、その落とす影にノジコは飛び込んだ。彼女を導くような弾幕が貼られて、空に極彩鳥を弾丸で縫いつける。三次元的な自由度を失ったクルペッコへと、気付けばノジコは気勢をあげてガンランスを振り上げていた。
「私だって、私にだって……トリガーッ!」
 大きく勢いをつけて、天へとガンランスが屹立する。丁度クルペッコの真下で、ノジコは銃爪を引き絞った。垂直砲撃が火を吹いて、クルペッコの翼を焼く。生き物の焦げる臭いを避けるように、そのままノジコはステップアウト。同時に相棒を振れば、カコンとリボルバーが回る。クイックリロード、そして。
 ノジコは目の前に墜落してきたクルペッコへと、全身全霊の一撃を叩きつけた。
 重々しい精密機械の塊が一刀両断、クルペッコの中心線へと落下した。
「全弾発射……お願い、耐えて。ううん、耐える。主任の作った銃身、きっと持ちこたえる」
 ノジコの指は連続して砲撃のトリガーを押し込んでいた。リボルバーが高速回転して、装填された炸薬が一瞬で全弾弾け飛ぶ。業火が爆ぜて、クルペッコを焔の一撃で飲み込んだ。
 同時にフルバーストの余波で、ノジコの相棒は白煙をあげて沈黙する。
「やりました、ノジコさん……もう動けない、飛べません」
 ボウガンを背負ってアウラが駆け寄ってくる。その声に返事を投げることもできず、ノジコは遅れてきた疲労と緊張に冷たい肉体を硬直させていた。
「や、やった、かな? 私にも、できた……ふぅ」
「そのガンランス、凄いんですね。ミナガルデの技術力もあなどれませ……んっ!」
 ふとアウラは、その猛禽然とした金属の強面をピタリと止めた。そのまま耳に、耳がある場所に手を当て空を仰ぐ。
「アウラさん? 何か」
「この音……ノジコさんっ、早くクルペッコにトドメを! その子、まだ歌ってます!」
 言うが早いか、アウラはボウガンを突きつけ零距離射撃。息も絶え絶えだったクルペッコは、最後にノジコにも聞き取れる断末魔を叫んで、それっきり動かなくなった。
 だが、アウラにはどうやら聴こえたらしい……人が拾えぬ音域で、極彩鳥が脅威を呼ばう声を。
 狩りの終わった渓流の空を突如巨大な影が覆い、二人の背後に火竜の咆哮が響き渡った。羽ばたきにノジコは地面からひっぺがされ、ぎらつく殺気に空気は沸騰。気付けば軽々とアウラの細腕に抱えられて、剥ぎ取りもまだなのに逃げ出していた。
 瀕死のクルペッコが呼び込んだのは、恐るべき陸の女王だった。

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