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 朦朧とする意識の中、混濁とする記憶の底。ミヅキは気付けば、音も光もない世界にいた。
 そこにはただ、昔の自分が泣いていた。
『あらあら、ミヅキ。どうして泣いているの?』
 鼓膜をそっと撫でる、つややかで優しい声。
 眼の前でその声へと、幼い頃の自分が振り返るのをミヅキは見る。それは紛れも無く、十年も前の自分の姿だった。小さな女の子だったミヅキが走る先へ、そっと視線を向ければ、
『まあ、またいじめられてきたのね。大丈夫、恥ずかしいことはなにもないわ』
 幼少期のミヅキを、母の面影が迎えた。
 ああ、夢を見ている……遠い昔の記憶が再生されている。たしか自分は仲間とリオレイアの狩猟に出かけて……それから? ミヅキはぼんやりと霞のかかったような頭を振り払った。
『あのね、母様。みんなが髪を引っ張るも。眼の色もおかしいって言うも』
『それは大変ね。ミヅキ、そんなに変なのかしら……お母さんに見せてみて頂戴』
『金色の髪はおかしいって、碧い眼もおかしいって。みんな、みんながいじめるも』
『そう……じゃあミヅキは金髪も碧い眼も嫌い? とても綺麗よ、ミヅキの髪も眼も』
 小さな少女は母の胸に顔を埋めて、首を振った。
 ミヅキはその時、強く強く抱きしめられたのを今でも覚えている。
 外の国の人間との間に生まれた、その血を強く受け継いたミヅキ。そんな彼女を父無し子として育てる母にも、ユクモ村の田舎特有の排他的空気は優しいばかりではなかった。無論、コウジンサイを始めとする村の大人達は親切だったが、子供は無邪気さゆえに残酷だったのをミヅキは思い出した。
 薄暗がりにぼんやりと浮かび光る、在りし日の自分と母……ミヅキの心の原風景。
『きれい? わたしが?』
『そう、とても綺麗。お父様の血が出たのね……ミヅキ、なにも恥じることはないわ』
『でも、みんな仲間にいれてくれない。遊んで貰えないも』
『じゃあ、お母さんが魔法を教えてあげる。元気が出る魔法、仲良しの魔法……さあ、歌って』
 あの旋律を口ずさみながら、ミヅキの母は歌ってくれた。
 そう、あの歌を……ルナルが常々オカリナで吹いていた、あの曲には詩がある。それはミヅキの母が、父から託された歌だと言って聴かせてくれたメロディだった。
 それを今、ミヅキはようやく思い出した。先日より妹の笛の音に郷愁を感じていたのは、このことだったのだ。今はもう、その清らかな歌声が奏でる、詩篇の一字一句が思い出せる。
『さあミヅキ、一緒に歌って。友達にも歌ってあげて。ミヅキ……「ミヅキ』、起きろミヅキ!」
 不意に身を揺すられ、幻想が音を立てて遠ざかる。
 急激に現実の肉体へと引き戻されたミヅキの意思は、耳元でがなる声を聞いた。
「目が覚めたか、ミヅキ! 大きな怪我はないな……さあ、アズラエルを追うぞ」
 気付けばミヅキは、サキネの豊満な胸に抱かれ抱きしめられていた。僅かに顔をあげれば、安堵の表情を浮かべるその瞳が僅かに濡れている。
 同時に全身に打ち身の痛みが走ってミヅキは呻いた。
「応急薬を飲ませた、すぐに効いてくる……毒ももう引くだろう」
「え、あ、わたし……」
「リオレイアの尾に弾き飛ばされたのだ。毒が回って一時はネコタクを呼んだのだが」
「ああ……そうだ、わたし。足を引っ張って……それで、サキネさんが?」
「うん、大事な嫁だからな」
 ようやくミヅキをサキネが放したので、思わずよろけて膝に手をつく。
 その時ミヅキは、あの音色が背中で響いているのに気付いた。振り向けばそこには、解毒笛を奏でる妹の姿があった。
 目を伏せ一心に笛を吹く、その空気が収斂されて音階を刻む楽曲は……あの曲だった。
 父親が唯一、ミヅキに母親を通じて残してくれた音楽。
「――っふう、吹いたあ。っと、お姉ちゃん! 毒、どう? 抜けた?」
「え、ええ……あっ、ありがとう、ルナル。サキネさんも」
「本当に心配したんだよ、気を失って……あ、レイアは今アズにゃんが追ってる」
 ようやく鮮明になる脳裏に、現実でミヅキの身に起こった出来事が思い出された。
 ミヅキは狩りに焦り先を急いで突出し、宙を舞うリオレイアに強靭な尾を叩き付けられたのだった。確かノジコやアウラの話では、リオレイアの尾には毒をもつ鋭い棘がある。それに破られたのか、ハンターレジストの胸元が無残にも破けていた。
 谷間も顕な胸元に残った布切れを、応急処置であわせて縛るミヅキ。
「それよりリオレイアは……急ぎましょう、はやくアズラエルさんに追いつかないとっ」
「んー、それはまあ、ぼちぼちやるとして。サキネっち、ちょい先行って」
「……解った、先にアズラエルを追うぞ。今度は婿に倒れられては大事に触るからな」
 ルナルが珍しく目元を強張らせた。声音は相変わらず幼子のようだが、妙に緊張感が入り交じる。それを察したのか、席を外すようにサキネは大剣を担ぎ直して、ミヅキに頷くと走りだした。
 鍛え抜かれた竜人の狩人は、瞬く間に渓流の奥へと見えなくなっていった。
 ダメージの残る身を奮い立たせて、ミヅキも後に続こうとする。
 その肩を妹は両手で抑えて、じっと瞳を覗き込むように見詰めてきた。
「お姉ちゃん、待って。落ち着いて」
「ルナル、狩りはまだ終わってはいないわ。急いで合流しないと」
「そうだけど、お姉ちゃん変だよ? ね、何を焦ってるの? 何か怖い?」
 意外な一言にミヅキは思わず僅かに身を反らす。
「怖い? わたしが? 何が……」
「だってお姉ちゃんおかしいよ、今日のお姉ちゃんは変!」
 ルナルの一言にミヅキはビクリと身を震わす。
 変だ、おかしい、みんなと違う……小さい頃から言われてて、もはや言われ慣れてしまった言葉。今では誰も言わなくなったが、その頃にはもうミヅキは柳の社の巫女としてようやく居場所を見つけていたから。しかしルナルは再度真正面から、
「お姉ちゃん、今日はおかしい! いつものお姉ちゃんじゃないよ」
 自覚はある。
 確かに今日の自分は功を焦っている。ユクモ村に集ってくれたハンター達を、仲間と信頼して日々を精進してきたのに。いざ狩猟という時になって、妙に焦れる。
 自分が、ユクモ村生まれの忌み子のミヅキが、このクエストを修めなければと気が逸る。
「……ルナルには解らないよ、この気持ち。わたしがっ! わたしが、やらなきゃ」
「そんな、一人じゃ無理だって! や、一人で狩る人もいるけど、あたし達は一人じゃないもん」
「それでもよ! それでも、わたしがモンスターハンターとして、あの村の狩人として」
 母を亡くして巫女を継いだミヅキを、その幼い身を支えたのはモンスターハンターとしての生き方だった。コウジンサイや他のハンター達が教えてくれる、狩猟にまつわる技術と心得。何よりその生き方、生き様の高潔さにミヅキは打たれた。
 異端の自分がこの村で居場所を得るとすれば、それは母が残してくれた柳の社ともう一つ。
 自らの手で掴む居場所は、村のモンスターハンターという生き方だった。
「お姉ちゃん、それは間違ってる! だってお姉ちゃん、一人じゃないもん」
「でもっ! ……一人じゃないからこそ、わたしが先頭に立たないと」
 自分が自分でいられなくなる、そういう悲痛な想いがミヅキに己の身を抱かせた。
 だが、ルナルは鼻から溜息を零すと、やれやれと肩を竦めて苦笑する。
「変に真面目で頑固なんだから、お姉ちゃん。ま、おいおい聞くから。話したくなったら話してよ」
「ルナル……」
「あ、あたしはさ、割りと今まで苦労もなかったし……その、お姉ちゃんはもしかしたら」
 もごもごと口ごもるルナルは、不意に顔を真赤にして後ろを向いた。
 同時に手を取り、ミヅキを引っ張ってサクサクと歩き出す。その歩調は次第に速まり、気付けば二人は駆け出していた。
「兎に角っ! 意地はっても駄目だって、お姉ちゃん。みんなもあたしも、頼ってよ」
「うん。ごめん、なんか気負ってた。今も……でも、いつか話すね。ルナルにも、みんなにも」
 その時きっと、素直になれたなら。腹違いの妹が奏でるあの曲に、自分が託された詩を歌おう。その日を迎えるためにも今、この狩場から生きて帰る……狩果をあげる。
 二人はペイントボールの匂いがただよってくる風上へと、手をとりあって走った。

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