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 渾身の一撃を繰り出し、アズラエルの槍が空気を切り裂く。その穂先はそのまま勢いを殺さず、中空に座したリオレイアの尾に吸い込まれていった。鱗を突き破り、甲殻を断ち割る鈍い感触が、汗に濡れた手に響いてくる。
 そして絶叫……落下するリオレイアから弾かれたように、千切れた尾が舞い上がった。
 素早いステップで大質量を避けつつ、落下した尾の先端を片足で踏みしめ確保するアズラエル。彼は一人とはいえ、ミナガルデではリオレイアを狩り慣れたモンスターハンターだった。生態の違いから生じる僅かな差異も、臨機応変に対処する柔軟さも併せ持つ。何より――
「やはり一人は気楽だ……後は頭か」
 翼は左右共に破け、尾も先程断ち切られたリオレイアが立ち上がる。その頭部はまだ、綺麗に手付かずの状態で怒りに燃える瞳を滾らせていた。
 気付けばアズラエルは、遠い故郷の言葉を口にしていた。結果的に一人での狩りになった今、その緊張感と危機感が、何より安堵感が彼を揺り戻した。昔の、錆びたナイフのように孤独だったころの少年時代に。
「面倒だが壊しておくか。……昔、キヨ様にもよく言われたっけ。部位破壊」
 モンスターの中には、特定の部位……主に翼や尾を破壊できる種が存在する。部位破壊は狩りを有利に進めるのみならず、普段は入手不可能な珍しい素材をもたらすことさえあるのだ。しかし、荒ぶるモンスターが暴れるのを前に、特定の場所のみに攻撃を集中させるのは至難の技……いわば部位破壊こそが、モンスターハンターの腕の見せ所と言えた。
 無論、アズラエルにとって部位破壊は容易。まして相手は、狩り慣れたリオレイアである。
「ちぃ、ブレスか。面倒くせぇ、一気に距離を詰め――」
 千切れた尾を狩場の端に蹴り寄せたアズラエルへと、リオレイアが一声吠えて首をもたげる。その真っ赤に裂けた口が煌々と輝き、喉の奥から灼熱の炎がせり上がってくるのが見えた。リオレイアの得意とするブレス攻撃……だが、アズラエルは冷静にその射線から自分を押し出すように槍を背負って歩く。
 距離的にも余裕を持って回避できる間合いだったが、背中を擦過する火球の熱さを感じた刹那、アズラエルは息を飲んだ。その端正な凍れる無表情に、初めて焦りが滲む。
「なっ、なんだこれっ! 熱っ……クソッ、こなクソォ!」
 口汚い北海育ちの言葉を零しながら、アズラエルは咄嗟にその場へ身を投げ出した。そのまま無様に地べたを転がる。やり過ごしたかと思えたブレスは突如爆ぜて、完全に回避したはずのアズラエルごと周囲の地面を焦土と化したのだ。炎に包まれながらアズラエルはひたすら身を捩る。
 こんな攻撃は見たことがない……少なくとも、アズラエルの知るリオレイアは、こんな攻撃はしてこない。改めて今、異国の地にいることを思い知らされ、アズラエルは気持ちを引き締める。同時に、一人の狩りに戻ったことで増長した自分がいまいましくもあった。
 手負いのリオレイアは獲物が焦げる臭いに満足したように、ゆっくり再び空へ舞い上がる。
「畜生っ! そうか、生態が違うから……うっ!」
 どうにか炎の残滓を振り払ったアズラエルは、慌ててリオレイアを探して顔を上げる。その表情は、舞い降りる死を前に硬直した。リオレイアは両足の爪を鋭く光らせ、アズラエルへと向けて急降下。咄嗟に盾で防ごうとしたアズラエルは、己の右手が空なのに気づく。先程なりふり構わず身を舐める炎から逃れる為、無意識に手放してしまったのだ。
 アズラエルが死を察して、しかし覚悟は出来ずに北海の隠語を噛み締めた、その瞬間。
 一陣の風と共に、両者の間に影が割って入った。
「やらせはっ、しないっ! 大丈夫か、アズラエル」
 アズラエルの目の前に今、細くしなやかな、しかし逞しい引きしまった背中があった。サキネは全力疾走から一転、ズシャリと大地を踏みしめ両足で掴むと、背の大剣を構えて防御の姿勢に身を固める。
 間一髪、死の双爪が交互にサキネの骨剣を削り、サキネごとアズラエルを吹き飛ばす。
 それでもどうにかアズラエルは、無残に切り裂かれるという最期から救われた。
「っふう! 危なかったな、アズラエル。怪我はないか? ん?」
「あ、ああ……俺は、大丈夫、だけど……」
「どうした? 言ってる言葉が解らないぞ。はは、動転してるな。可愛いところがある」
「なっ、それは……その、私も時には窮地に陥り自分を見失うものです」
 サキネはひっくり返っていたが、身をバネにして跳ね起きる。その手に握る大剣は、先程攻撃をガードした衝撃で刃がはつられ、斬れ味が落ちているのは明らかだった。
 それでも砥石を使う隙を見せずに、視界の片隅でリオレイアがターンする。
「サキネ様、どうしてここに。ミヅキ様やルナル様は」
「ああ、姉妹の問題に首を突っ込むのも悪いからな。それに、未来の婿が心配だったのだ」
 先行して追いついてきたとだけ簡潔に説明して、サキネは大剣を背負いなおす。同時にアズラエルもまた、その背を追ってダイブした。今まで二人が立っていた場所を抉りながら、リオレイアの突進が通り過ぎてゆく。
 再び立ち上がったアズラエルは、隣に仲間の存在を感じて安堵している自分に気付いた。大いなる戸惑いと共に、大事な人の言葉が胸に蘇る。その人は永遠に狩場を、狩人としての生を失ってしまったが、アズラエルに居場所と生き方を今も与えてくれている。
「ハンターの最も優れた武器は……仲間だと。だから昔は三人で」
「どうしたアズラエル。次が来るぞ。ふむ、ノジコ達の話だと頭部も壊せるらしいな」
「今はでも、俺一人で。だから俺は、それで良かったのに」
 ぼんやりとうつむくアズラエルが、再び公用語を取り戻して我に返ったのは、バシン! とサキネが背を叩くのと同時だった。顔を上げれば、サキネの不適で自信に満ちた顔が鼻先で微笑んでいる。
「解るように話せ、アズラエル。それと、まずはあれを仕留める。いいな?」
「……ええ、そうですね」
「うん、その調子だ。一人にして済まなかったな、大事な婿候補を……だがもう、一人じゃない」
 再びリオレイアが顎門を赤々と染める。再びあの、業火のようなブレス攻撃がくる。
 アズラエルは先ほどとはうって変わって、己に普段の冷静さが戻ってくるのが感じられた。
「サキネ様、あのブレスは範囲攻撃です。避けることは難しいかと」
「ふむ、では真正面から受け止めるとしよう。私がディフェンス、アズラエルが――」
「私がオフェンス、ですね。丁度盾をなくしてしまったので、ありがたいところです」
 サキネが一歩前に出て、既に刃こぼれも顕な大剣をかざして構える。その後ろで飛び出すべく身を屈めるアズラエルは、背中の槍を静かに手元にたぐり寄せた。
 今、キヨノブが言っていた言葉の意味が解る。キヨノブ達と、友と馳せたミナガルデの山野が思い出せる。あれは本当に、宝石のように眩く輝かしい、貴重な時代だったのだ。そして、それはまだアズラエルにモンスターハンターとしての命を、意味をくれる。今も思い出は胸に息づいている。
 強烈なブレスが爆ぜて、その余波が爆風となって身を炙る。正面で受け止め直撃を防いだサキネが、
「よしっ、翔べ! アズラエル!」
 短い叫びに背を押されて、アズラエルは火の海を跳躍するや躍り出た。たちまちリオレイアの巨体が目の前に迫ってくる。ランスを両手で構えて突き出し、そのままアズラエルはリオレイアへと突貫した。
 浴びる返り血は熱く、響く断末魔は金切り声。アズラエルが乾坤一擲の突きを繰り出した先で、リオレイアは額の中心から流血を吹き出し、一声鳴くやグラリと揺れた。そのまま大地を轟かせて沈む。
 呆然と立ち尽くしアズラエルもまた、その場にへたり込んだ。
 今まで幾度となく、何頭も狩猟してきたリオレイア……その全てと等価にも思える獲物が、目の前で沈黙していた。改めて今、自分がモンスターハンターなのだとアズラエルは己に言い聞かせる。たとえそれが生活の糧を得るための手段でしかなくとも、それを選ぶ自分を否定などできなしない。それはすなわち、一人でいるという安穏とした孤独を捨て、多くの人と関わりを結ぶ生き方だとも解る。
「ふう、やったなアズラエル! 流石私の婿になる男だ。見事だったぞ」
「え、あ、いえ……その、とりあえずそれはお断りします。けど」
 脱力しきったアズラエルは、思ったことをそのまま呟いていた。
「その、ありがとう、ございます」
「ん、なに、気にするな。これで渓流も少しは静かになる、ユクモ村の周囲も安全に――」
 突如、二人を巨大な影が飲み込んだ。
 遅れて舞い上がる風圧に、思わずアズラエルは、次いでサキネが目をかばう。二人が佇む地面に今、巨大な影が落ちていた。そして咆哮……空気がビリビリと震えて沸騰し、二人の勝者はたちまち矮小な存在として身を強張らせるしかできない。
 狩猟環境不安定な今日の渓流には、空の王者が君臨していた。

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