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 それは一瞬の惨劇。
 僅か一呼吸の間に、稲妻の権化と化したジンオウガが荒れ狂った。用意周到に準備したモンスターハンター達を、紙くずを千切るように蹴散らしてゆく。その驚異を目の前で肌で感じて、ルナルは総身を震わせる怖気に固まった。思わずその場にへたり込めば、弛緩した我が身は情けなく失禁してしまう。
「あわわ、サキネっちぃ……ノジノジも、つるこもぉ」
 若輩ながら熟練の狩人、ルナル。彼女が今までドンドルマで踏破してきた、恐るべき古龍や飛竜……それらの狩猟では感じたことがない、かつてない戦慄。今、蒼雷を纏い荒ぶる雷狼竜の碧玉にも似た双眸がルナルへ向けられていた。
 光を集めて光そのものになったジンオウガは、わずか一瞬でハンター達の包囲網を容易く瓦解させた。覚醒した怒れる鬼神は、その身から発した電圧でサキネを吹き飛ばし、そのままノジコを捩じ伏せ、後衛のアウラを食い破って捨てた。瞬きする間の出来事で、逆上したルナルの一撃を弾くその甲殻。体毛は眩く帯電して闇夜に恐るべきモンスターを浮かび上がらせていた。
 突然の孤立にしかし、尻に感じる濡れた感触、肌に張り付くインナーの湿り気を忘れるルナル。
「うう、怖い……怖いよお姉ちゃん。怖いよぅ」
 歯の根が合わずガチガチと鳴る。一度発症した臆病という病気は、ルナルから狩人として生きる術を全て奪っていた。
 だが、その矮躯と幼い容貌からは想像もつかぬ経験の蓄積が、辛うじてルナルを立たせる。狩猟笛を握る手は震えて、膝もガクガクと笑う。それでもルナルは、言うことを聞かぬ我が身に鞭打って武器を構えた。
「怖いけど……やらなきゃ。あたしが、やらなきゃ。ううん! やるんだっ!」
 刹那、耳をつんざく咆哮と共にジンオウガが襲い来る。闇夜に光の尾を引いて、その巨体がルナルへと降ってくる。
 ルナルは咄嗟に大地へ身を投げ出し、そのまま無様に転がり逃げまわる。既に体裁を取り繕っている余裕はない。それでもジンオウガから逃げまどいながら、ルナルは徐々に普段の冷静さを取り戻していた。下着が乾かぬうちから、その目に強い光が戻ってくる。
「クエストリタイアを告げるネコが来ない……まだみんな、大丈夫っ。ならっ!」
 逃げまわる劣勢から一転、距離を取って身構えるルナルがジンオウガに対峙する。
 すぐにその距離を喰い潰すように、巨体が爪を振りあげ踊りかかってきた。その一撃を紙一重で避けると同時に、ルナルは狩猟笛を振り上げ空気の中に旋律を拾ってゆく。僅か数瞬の隙でメロディを組み立てながらも、彼女は踊るように連撃を避けていなした。
 そのままジンオウガと付かず離れずで立回りながら、一瞬の隙をついてヴァルキリコーダーへと息吹を込める。瞬間、ルナルの身に眠る潜在能力が解き放たれ、無限のスタミナが満ちるのを感じた。続いて短い旋律を刻んで、攻撃が弾かれなくなる祈りを奏でる。
「おっし、準備完了ぉ! 今日はお姉ちゃん、いない……あたしがやるんだっ! あたしが!」
 ガシャリとレイアシリーズの防具を鳴らして、守勢から一転。ルナルは狩猟笛を担いで攻撃に転じる。その口から意味不明な震えた雄叫びがこぼれ出る。自分でも何を喚いているかわからない状況でしかし、自らが張り上げる声にルナルは恐怖を忘れた。
 気迫を叫んで殴りかかるルナルを、ジンオウガもまた真正面から迎え撃つ。ルナルの小さな体は、振り下ろされる爪をかいくぐり、繰り出される牙に身を削りながらも前進。前へ、前へと踏み込み脳天へと狩猟笛を振り下ろしてゆく。
「あーもぉ、固いっ! 弾かれないけど、攻撃が通らなんですばい? どないなっとんじゃー!」
 半ばヤケクソだったのもある。だが、未だクエストは生きている……それは、あっという間に蹴散らされた三人の仲間が、その全員がベースキャンプ送りになったわけではないと無言で語っていた。だとすればパーティを率いるリーダーのすることは一つだけ。
 時に狩猟笛を振りかざして連打を浴びせ、それに倍する時間だけ武器を背負って逃げ惑う。その繰り返しを演じながらも、ルナルはペイントボールを投げつける。再合流の準備を整えるや、覚悟を決めて彼女はジンオウガへと向き直った。
「おっしゃ、やったろーじゃん。……せえ、のぉ、だらっしゃあああああっ!」
 乾坤一擲、突進してくるジンオウガへとカウンターで狩猟笛を振りかぶる。フルスイングで雲を引く雌火竜の戦笛が、加速する空気の奔流を吐き出し甲高く鳴いた。
 ――インパクト。確かな手応えを感じるルナルはしかし、真正面で芯を捉えた感覚が尚も踏み込む気配に驚愕。
「うっぞおおおお!? スタンしねーしっ! うがー」
 そのまま笛を振り抜きよろける、その背中が背後に立ち上がる気配を拾う。
 紅い月を喰らうように、天へと向けてジンオウガの巨体が持ち上がった。だが、
「いい気合だ、ルナル。ふっ、もう少し大きくなったら……私が嫁に貰ってやろうっ!」
 不意に聞き慣れた声が、ルナルを抱き上げると同時に宙へ舞った。
 月明かりが刻む陰影が、上気して興奮に瞳を光らせる竜人の美貌を刻んでいる。それを間近で見上げて、ルナルは思わず胸が高鳴るのを感じた。
「って、ときめくかボケェ! もっ、サキネっち! なにやってたのよさっ」
「ふふ、済まぬな。少々意識を失っていたようだ。だが、助かった……ルナル、お前が時間を稼いでくれたお陰だ」
 ズシャリと着地するや、お姫様のように抱えられていたルナルは放り投げられた。その扱いに抗議の声をあげながらも、ルナルの心に安堵の気持ちが込み上げる。
 サキネは見るからに満身創痍で、額から溢れる血を手の甲で拭うや抜剣。怪我を怪我とも思わせぬ素振りで油断なく大剣を構えた。
 ようやくルナル一人の時間は終わりを告げ、視界の隅に忙しそうに走るネコタクのアイルー達が映る。
 ルナルも体勢を整えると、低く唸るジンオウガに改めて向き直った。
「まさしくバケモノだな。あの日、私が出会ったのもコイツだ。フン、面白い……狩るぞ、ルナル」
「狩るぞ、ってねえサキネっち。もー、簡単に言ってくれるなあ。なら、やっぱやるしかないじゃん?」
 獲物が二つに増えたところで、ジンオウガに大きな動きは見られない。今も気圧されそうな程に強力なプレッシャーを放ちながら、輪の中心に二人を捉えて、その周囲をぐるぐるとゆっくり歩き出す。いつでも飛びかかれる構えで、隙を見せれば瞬く間に噛み殺される……そういう間合いで、サキネとルナルは互いに背中を預けて武器を構えた。
「ねえサキネっち。さっきの話、ほんと?」
「ん? ああ、本当だ。ふふ、もう少し大きくなったらな。私が強い子をバンバン産ませてやろう」
「あのねえ……あたし、これでももう十七歳なんだけど? お姉ちゃんと同い年だよ?」
「ほう? もっと幼いと思ってたがな。まあ、小便をちびってるようではまだまだだ」
「むぐっ! み、みんなにはナイショだかんね? 今日はたまたまだぜっ!」
 強がるルナルの肩から、余計な力が抜けてゆく。上手に脱力した彼女の研ぎ澄まされた感覚が、周囲の狩場を徐々に狭めてゆく。集中力が極限に高まった時、モンスターハンターは狩場を狭く感じるという。ルナルがまさしく今、その境地へと僅かに踏み出していた。
 一方でサキネは、引き絞る肉体の内に燃えたぎる血潮をにらがせる。
「仕掛けるっ! ……はああああああっ!」
「おっしゃ、いったろばい? ……おりゃああああっ!」
 輪唱を奏でる覇気を放って、気勢を叫んだサキネとルナルが地を蹴る。
 それはジンオウガが長大な尾を振り回して夜空へ駆け上がると同時だった。
 中空に金切り声を滲ませ、狩人達と雷狼竜の一撃が交差する。互いの血が月よりも赤く空気を染めて、焼けつくような痛みを互いの身に刻み込む。だが、肉体を凌駕する強靭な精神力が、二人の狩人を着地するや疾走へと駆り立てた。
「手応えありっ! 畳み掛けるっ」
「速攻っ、今度こそスタン取るよぉ!」
 ゆっくりとこちらへ振り向くジンオウガへと、サキネとルナルが突貫してゆく。
 サキネの背中だけを見詰めて走るルナルは、不思議と心地よい高揚感に身を震わせていた。今、己の生命と獲物の生命が見えない天秤を吊り合わせている。厳しい大自然の中で、その摂理に身を委ねて一体となる……言い知れぬ多幸感にしかし、冴え冴えと意識が研ぎ澄まされてゆくのを感じるルナル。
 一閃、サキネの全体重を載せた抜刀斬りがジンオウガの脳天を割った。短い悲鳴をかき消すように、彼女はそのまま剣の腹で痛撃を食らわせる。金属が骨身を叩き割る音だけを残して、サキネが飛び退いたスペースへとルナルは滑り込んだ。
 大きく振り上げた狩猟笛を、よろけるジンオウガへとまっすぐに振り下ろす。
 初めてのた打ち回るような甲高い声を聞くと同時に、目の前で巨体がひっくり返った。
「やたっ! スタン、大成功っ!」
「私は尻尾を斬る! ルナル、頭部の角をへし折れっ!」
「アイサー、任せてちゃぶだいっ! せーのっ、おいしょっ!」
 闘争の流れを引き寄せ、強引にでも自分達のペースへと巻き込んで。湧き上がる闘志に身を躍らせながら、ようやく大きな隙をさらけだすジンオウガへと、二人の猛攻が始まった。

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