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 引き裂くような痛みに四肢は悲鳴をあげ、五臓六腑がたわんでよじれる感覚。それでもなお、コウジンサイはジエン・モーランの前に立ちはだかり続けた。手にした太刀を両手で構えて、満身創痍の身を前へと押し出す。
「あの方の治める国のために、新しい冴津の未来のために。ワシは死ねん、まだ死ねんのじゃあ!」
 すでに半壊していた龍撃船はもう、先ほどのジエン・モーランのブレスで見る影もない。すぐ背後に残骸となって転がっている。
 退路はもとよりなく、逃げる術を知らない漢の戦い。ここが命の捨て所と、コウジンサイは迫る巨大な古龍へと刃を翻した。そのまま真っ直ぐ、気勢を叫んで斬りかかる。
「お前とてこの砂海は狭かろう……恨んでくれて構わんっ!」
 鋭い斬撃が甲殻を断ち割り、鱗を散らして血飛沫を吹き上げる。その痛みに怯んだジエン・モーランは、なおも獰猛な声を張り上げコウジンサイへと牙を振るった。当たれば致命打の一撃を掻い潜りながら、コウジンサイは続けて太刀を振りかぶる。
 仲間は、あの強く気高い若者達はどうなっただろうか? 先程、突如として周囲を薙ぎ払ったジエン・モーランのブレスに吹き飛ばされただろうか? 案じる気持ちに不安は募るが、休みなく身体を動かせば自然と忘れられる。ここまでジエン・モーランを追い込めたのも、ひとえに若人達の助太刀あればこそ。今、その尊い力を結果に結びつける時。
 無我夢中で剣を振るコウジンサイの脳裏に、在りし日の面影が過ぎった。
『テンゼン、この子に剣と学問を教えてくれまいか』
 その名で呼ばれるのは久々だったし、その声を最後に聞いたのも随分と昔だ。城代家老だった自分がテンゼンと名乗ってたのは、もう二十年近くも前のこと。その頃はまだ、先代の御当主が現役で冴津も小さいながらに平和だった。隣国との戦は絶えなかったが、その大半に勝利し、勝てぬまでも領地を奪われ侵略されたこともない。
 そんな激動の日々に、主が小さな童子を連れてきたのをコウジンサイは思い出していた。
「カカカッ! これはこれは、死地ゆえの走馬灯かのぉ……お懐かしゅうございます、殿」
 荒ぶるジエン・モーランの、その巨大な身体が持ち上がる。間髪入れずに頭上を影が覆って、コウジンサイは大きく飛び退いた。今まで自分がいた場所を、圧倒的な質量が押しつぶして砂を巻き上げる。
 自然と狩人として、いくさびととして鍛えられた肉体が動く中、追想は続く。
『妾腹でも我が子は我が子、才あれば伸ばし、器足りれば跡目も継がせたいのだ。どうか、テンゼン』
 その小さな男の子は、恐らく目の前の殿が父親だとあまり実感がないのだろう。確か、主は正室の他にも一人だけ側室をおいていた。身体は弱く病に臥せりがちだが、とても美しいおなごだったのを覚えている。
 男の子にはその面影があるが、主の血を感じさせる顔立ちでもあった。
『お願い申しあげます、テンゼン様。私に文武を教えて下さいませ! 私は強くなりたいのです!』
 それが後のキヨノブだった。初めてコウジンサイが会った時には、まだほんの子供だったのだ。
 それがどうだろう、今や立派な大人になって外の世界を知り、再び故郷へと戻ってきた。それも一回りも二回りも大きくなって。禁断の恋と血みどろのお家騒動から逃げた少年は、男になって帰ってきたのだ。
「長生きはするものよなあ……ヌゥン!」
 大上段からの一撃で、深々とジエン・モーランへ太刀をめりこませる。そのまま右へと切り開いてねじ込み、噴き出る血に濡れながらコウジンサイは吠えていた。人とも獣ともとれぬ雄叫びを迸らせ、修羅のごとく太刀を握りしめて走る。
 巨大な切り傷を刻みながら、吠え荒ぶジエン・モーランに抗いコウジンサイは剣を振るった。
『守りたいものがあるのです! 母と国と、それともうひとつ』
 遠く昔のキヨノブはまだコウジンサイの中で喋り続ける。その懐かしい光景は、こんな時に嫌に鮮明に思い出された。
 そう、確かに少年はあの時言った。守りたいと……それも、
『好いたおなごがいます! その娘を守りたい。この戦国乱世で、幸せに暮らさせてやりたいのです』
 それが腹違いの妹と知った時の、キヨノブの苦悩を思えば胸が軋る。それとも、あの初めて会った日にコウジンサイが言ってやればよかったのだろうか。キヨノブが恋した利発な少女は、ぼんくら揃いな正室の兄弟達に続いた、奇跡の末妹だと。もしあの時に全てがわかっていれば、こんな悲劇は起きなかったのかもしれない。二人は爛れた関係で未来を奪い合うこともなかっただろうし、この国は正当な若殿を迎えてより発展しただろう。キヨノブの兄達が恐るべき古龍を、この砂海に放つこともなかったかもしれないのだ。
 だが、今は結果を受け止め現実に生きるしかない。己が死するとも、大事な人達に生きて欲しいと願う。
「コウジンサイさんっ! 遅れました、手伝いますっ! それと、こっちに策が」
「おお、小僧! かたじけないっ」
 声と同時に、視界にオルカが飛び込んできた。彼はしきりに暴れるジエン・モーランへと跳びかかると、真っ直ぐ垂直に剣斧を振り落とす。再びドス黒い血が飛び散って、僅かにジエン・モーランが怯んだ。
 好機とばかりにコウジンサイは、練り上げた気を剣に載せて踏み込み振るう。剣気は光となって刀身に宿り、淡い輝きを閃かせて頑健たる天然の装甲を切り裂いてゆく。
『我が師テンゼン、これよりよろしくお頼み申す! 私は色々と学ばせていただきます!』
 悪鬼羅刹と化して剣を振るうコウジンサイの脳裏には、眩しい笑顔の少年が遠ざかっていた。
 束の間に見た幻は消え去り、代わって現実での狩りが思い出される。ここでこのジエン・モーランを仕留め損ねれば、砂海に古龍ありとの報は隣国に伝わるだろう。遠からず冴津の渡部一門が呼び込んだ災厄と知れ渡り、戦争の口実を与えてしまう。
「策と言ったか、小僧っ! いやさ、オルカ。このデカブツにくれてやるトドメがあるのじゃな?」
 舞うように剣を振りながら、隣で武器を変形させた仲間へと叫ぶ。
 オルカもまた剣を振り回しながら叫び返してきた。
「今、アズさんとミヅキさんで準備してますっ! このままこいつを、龍撃船へっ!」
「委細承知っ」
 ちらりと背後を見れば、龍撃船は中程から真っ二つになっていたが、船首がこっちを向いている。
 ――そしてソレは、船首に取り付けられて朝日に黒光りしていた。
「読めたわ、オルカ。やるのう、お主等……では、準備ができるまで食い止めようかの」
「はいっ!」
 ますます怒り狂うジエン・モーランの猛攻は苛烈を極めた。
 砂まみれになって転げまわりながら、オルカの援護を得てコウジンサイの剣が唸る。握る斬破刀は刃毀れに傷つきながらも、手練の使い手を得てカミソリのような切れ味で踊った。
 ジリジリと押されながらも、余力を振り絞るハンター達。
「圧縮率解放っ、コウジンサイさん! 場所を替わってください」
「おう! ぶちかましてやれい」
 斬り下がりで一太刀浴びせて下がったコウジンサイと、入れ替わりでオルカが前へと突貫する。巨大な牙と牙の間に転げ込んだ彼は、剣へと変形したスラッシュアクスを強く強く前へと押し出した。同時に内蔵された強撃ビンが発動して、震える刀身から強力な劇薬が撃発する。
 一際甲高い悲鳴があがって、身悶えるジエン・モーランが大きく身体を揺する。
 追い打ちするように矢が飛来して、同時に瑞々しい声が響き渡った。
「コウジンサイ様! オルカさんも! 準備ができましたっ、早くこちらへ」
 辛うじて露出した甲板の上に、ミヅキが弓を構えている。そして傾いた船首の上では、アズラエルが巨大なハンマーを手に待ち構えていた。必殺の切り札を発動させるべく、巨大なスイッチを叩くための鉄槌だ。
「ようし、退くか!」
「ええ。行きましょう」
 全力疾走、ジエン・モーランに背を向けコウジンサイはオルカを連れて走った。
 その時、鈍重なイメージを裏切りジエン・モーランが砂の海を泳ぐ。砂にさざなみが寄せて荒れ狂い、たちまちコウジンサイ達は足元を取られそうになる。だが、必死で疾走する二人は、互いに庇い合いながら背中に猛追を感じていた。
「こんな時じゃがオルカ、感謝しておるわ。アズラエルにも、ミヅキにも。ワシは果報者じゃ」
「なに言ってるんですか、コウジンサイさんっ!」
「いやなに、礼を伝えておらなんだ……得難き仲間を得たのは、若だけではなかったのじゃなあ」
「いいから走ってください! おっ、追いつかれますよ」
 ジエン・モーランは身を僅かに縮めてぶるりと震え、次の瞬間には巨体を宙へと舞い上がらせた。
 登りはじめた朝日の光をかき消し、巨大な影が龍撃船ごと二人を飲み込む。
 そして衝撃、砂の海へと飛び込んだジエン・モーランを中心に、まるで渦巻く潮の如く砂の海は荒れ狂った。そのさなかに飲み込まれながらもコウジンサイは見る。オトモアイルーと共に無事なミヅキの姿を。そして、渦の中心へと沈んでゆく龍撃船の船首に、金髪をなびかせるアズラエルの姿を。
「アズラエル! 死んではいかん! お主は、お主だけは――」
「これで終わりです……キヨ様、今戻りますね。大事な人をちゃんと一緒に連れて」
 アズラエルは、砂の海から再びジエン・モーランが浮上すると同時に、ハンマーを振り下ろした。
 撃鉄が火花を散らして、内蔵された火薬を着火させる。轟音を響かせ、龍撃船の船首から巨大な合金製の杭が飛び出した。それこそ切り札、龍撃槍。乾坤一擲の一撃は全てを飲み込む巨躯へと、深々と突き刺さる。絶叫が響いて、それが断末魔となった。
 ジエン・モーランは天へと吠えると、龍撃船ごと沈んでゆく。
 あっけにとられるコウジンサイは、渦巻きジエン・モーランを中心に激しく揺れる大地に溺れそうになる。
「アズさんっ!」
「アズラエルさんが……」
 オルカとミヅキの声が立て続けに響いた。
 コウジンサイは気付けば、鎧を脱ぎ捨て砂の中を泳いでいた。流砂の中でどんどん沈んでゆく龍撃船の残骸へともがく。だが、こんな時に限って鍛えぬいた身体は披露に軋んで動きが鈍い。そうしている間にも、どんどんジエン・モーランと一緒に龍撃船は沈んでゆく。
 コウジンサイも無自覚に自然に、アズラエルの名を呼び叫んでいた。

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