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「オーケー、タリズマン。音をくれ」
「オーライ、旦那」
 拍子をとって足踏みするコッペペの声に、タリズマンのマンドリンが歌いだした。この海都に来て最初に綴られた曲が、賑やかな店内をたゆたい満たしてゆく。その主旋律を追うように、コッペペもリュートを爪弾いた。
「オゥ、イイ曲だナ! 流石は世界樹の迷宮を徘徊するボウケンシャー! ド凄いセンスですネ」
 ここは『羽ばたく蝶亭』、冒険者達が集いて憩う酒場だ。ほがらかだがどこか天然な女将が切り盛りする、クエストの玄関口でもある。その女将がご満悦の様子で料理を運ぶのを見ながら、メビウスは淡い色の果実酒を僅かにあおった。
 今宵は宴。大小さまざまなギルドが皆揃って、世界樹の迷宮の第二階層への冒険を元老院より許可された祝いの夜だ。魔魚ナルメル討伐の祝勝会も兼ねて、大いに盛り上がっている。


「どうしたんだい、メビウス? うかない顔だね」
 ソラノカケラの仲間達は、めいめいに店内でくつろぎ飲食を楽しんでいる。
 そんな中、スカイアイはメビウスとテーブルを挟んでエールを舐めつつ、友の顔を覗き込んでくるのだ。
「いや、ゴメン。随分と被害も出たからさ。笑ってばかりもいられないよ」
「相変わらずだなあ、メビウス。ギルドマスターがそんなことでは士気に関わるよ」
「でも、ね」
「ならこうしよう。勇敢な御同輩達の鎮魂に。さあメビウス、杯を」
 メビウスの憂鬱を察したのか、スカイアイは表情を引き締めジョッキを掲げた。
 応えてメビウスもグラスを持ち、静かに献杯を交わす。
 スカイアイは一気にエールを飲み干し、メビウスはただ手の内に氷の溶ける音を聞いた。
「なあメビウス。俺達は無宿無頼の冒険者、明日をも知れぬ身だ。前にも話しただろう?」
「それは重々承知の上さ。承知の上で納得しても、割り切れないことだってある」
「きみのそういうところは嫌いじゃないけど。でも、だからこそ騒ぐ時は騒ぐものさ」
「だろう、ね。息抜きだって必要だし、馬鹿騒ぎで少しは忘れたい戦いだってあるもの」
 それでメビウスは、どこかふてくされたような顔をひっこめる。凛々しい端正な顔立ちに、いつもの利発に富む表情が戻ってきた。瞳にも力が湧いて輝きを取り戻す。
 スカイアイは酒精に頬を赤らめながらも、満足げに頷いた。
「そうそう、勝利の立役者があんな顔じゃ、みんな安心してハメを外せないからね」
「はいはい。……そういうきみはまた、随分と大人しいじゃないか」
 メビウスは店内を見回しながら、ちびりちびりと酒を口に肴をつまむ。
 先程からタリズマンは、コッペペとのセッションに楽しそうだ。グリフィスはカウンターで女将の相手をしているし、ネモだかエイビスだかは他のギルドのメンバーと歓談中。みんなそれぞれ、寸暇を惜しみ慈しむように楽しんでいる。
 そんな中、スカイアイはメビウスを気にかけてか、一人平静を保っていた。
「次からいよいよ第二階層だ。俺としては是非、ギルドマスターに色々考えて欲しくてね」
「くつろげ楽しめと言った、その舌の根も乾かぬうちにかい? でも、そうだね」
「ギルドのメンバーも増やした方がいいと思うんだ。パーティ編成の選択肢は多い方がいい」
「同感。ええと、うちにいないのはビーストキングとファーマーと、ウォーリアーにファランクス」
 そして、もう一種類。ソラノカケラに在籍していない職業をあげる、メビウスの視界にそれは飛び込んできた。強いて言うならそれは、職業というよりは生き方、生まれの血筋。
「メビウス様! メビウス様、メビウス様っ! わたくし、感激しましたわっ!」
 煌びやかな笑顔でリシュリーが、メビウス達のテーブルにやってきた。その瞳には星が燦然と輝き、敬愛にも似た視線をメビウスへと送り続けている。
「やあリシュリー、どうしたんだい?」
「どうしたもこうしたもありませんわ、メビウス様」
「はは、お姫様は今日も元気だねえ。メビウス、懐かれてるじゃないか」
 笑うスカイアイに笑みを返しつつ、メビウスはじゃれついてくるリシュリーの髪を撫でる。
 不思議とこの異国の姫君は、メビウスを慕ってくれていた。どうやらメビウスに、憧れの冒険者の規範を見出しているようだった。
「皆様、口々に噂してますわ。ソラノカケラのメビウス様が、あのナルメルをやっつけたって」
「でも、ぼく一人の手柄じゃないからね。ギルドの皆やエミットさん、リシュリー達のお陰さ」
「おばねーさまも驚いてましたわ。それで、その――」
 リシュリーの双眸が湛える宇宙の星々が、一際輝きを増した。
「皆様が仰ってるリボンの魔女というのは、どういうお話なんですか? メビウス様っ」
 正直、メビウスは面食らった。
 同時に、ついにきたかとも思った。
 テーブルの向かいでは、スカイアイが愉快そうに笑いを噛み殺している。その彼が、
「俺が代わって話そう。いいかい、リシュリーちゃん。そもそもリボンの魔女伝説というのは」
「スカイアイ、よせよ。ぼくの柄じゃない。その、苦手なんだよ。背びれ尾びれがついてもう」
「いいじゃないか。事実は確かで、真実は一つだ。それは全て、君が知るところだろう?」
 わくわくと拳を握るリシュリーを前に、スカイアイは足を組みなおして語りだした。
 それは北方の凍土、辺境の国ハイ・ラガート公国を舞台に謳われた英雄譚。世界樹の迷宮と諸王の聖杯を巡る、哀しくも儚い冒険物語。リボンの魔女伝説は、ソラノカケラの過酷で困難な冒険を、それを率いたメビウスを称えた吟遊詩人達の叙事詩だ。
 スカイアイが仔細を語る間、リシュリーは興奮して何度も頷き、メビウスはばつが悪くて酒をあおるしかない。そのグラスに溶けかけの氷が残るのみとなったところで、懐かしい冒険の日々は語り終えられた。
 スカイアイはメビウスを気遣い、リシュリーに一般的なリボンの魔女伝説しか語らなかった。
 ハイ・ラガート公国の世界樹にまつわる、残酷な真実は今もメビウス達の胸の内にだけ。
「凄いですわ……空にお城が。まるで王宮で読んだ物語のよう。メビウス様、わたくし尊敬申し上げます」
「ほらみろ、スカイアイ。こうなるんだ。リシュリー、そんな目で見るのはおよしよ」
「どうしてですか? メビウス様はすばらしい冒険者ですわ。その勲、誉も高き――」
 メビウスはリシュリーの言葉を優しく遮ると、胸中に浮かび上がる思い出に蓋をした。
「いいかい、リシュリー。冒険者の生活はなにも、楽しいことばかりじゃないのさ。人が英雄と謳おうとも、その本人が無念に思ってることだってある。ぼくは、ただの名も無き冒険者で十分だよ」
 大きな目をしばたかせるリシュリーには、まだ良くは解らないようだ。
 だが、なんとかメビウスの意をくもうとする少女の背後に、その保護者が現れ助け舟を出す。
「リシュリー、メビウス殿にはメビウス殿の、その場に居合わせた本人の心情があろう」
 今日は鎧を脱いだエミットが、リシュリーに優しく言って聞かせる。彼女は右手に葡萄酒の瓶を、左手にグラスを三つ持っている。差し出されるままにメビウスは、足の長いグラスを受け取った。スカイアイも自分を指差しエミットの頷きを待って、グラスを手に取りランプの明かりへとかざす。
「それにしても人が悪い。貴公があのリボンの魔女だったとは。なるほど、いい一撃だった」
 メビウスに、次いでスカイアイに葡萄酒を注ぐと、エミットは真剣な表情で自分のグラスにも豊穣なる香りを招いた。勝利の立役者同士は、小さくチン! と乾杯を交わす。
「おばねーさま、やはりメビウス様は只者ではなかったのですね!」
「そうだ、メビウス殿はでもリシュリー、そのことを人に謳われるのは好かないようだ」
 思わずメビウスは「殿、って仰々しいなあ」と手で顔を覆う。
 だが、エミットの言うことは事実だ。
「あら、不思議ですわ……冒険者としての高名は誇れることではないのですか?」
「うーん、まあ、人によるかなあ。ぼくは、別に……それとエミットさん」
 殿はやめて、と言うメビウスに、エミットは手に葡萄酒を遊ばせながら頷いた。
「ならば私のことも呼び捨てて貰おう。構わないな? メビウス」
「勿論さ、エミット」
「……貴公は欲のない人間だな」
「そうでもないよ。聖人君子じゃないし、英雄でもなんでもない。ただの冒険者さ」
 ニヤニヤと笑うスカイアイに目配せしつつ、楽しげなリシュリーの髪をなでながら。メビウスはただ正直に、思うところをそのまま口にしていた。
「来週からは更に深いところを、第二階層を進む。そっちもそうだろ? エミット」
「だといいがな。私はまだどうも、あの男のことが解せずにいる」
 メビウスは杞憂だと慰める言葉を躊躇した。
 エミットが案じるギルドマスターは、楽器片手に酒を飲み散らしながら、女の尻を追いかけ……大いに休暇を満喫していた。メビウス達が次に備える一方で、無策にしか見えないコッペペの笑い声。
「ま、まあ……ええと、うーん。と、とりあえず、コッペペは……」
 リボンの魔女からフォローの言葉は、なかなか出てはこなかった。

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