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 疾く疾く馳せる回廊の先が、ぼんやりとした光で明るい。
 メビウスは今、全力で迷宮の第四階層を疾駆していた。多くいた仲間も今は、スカイアイとトーネードだけ。そしてすぐ横では、普段の鋭利な表情を脱ぎ捨てたクジュラが共に走っていた。
「見えたっ! メビウス、あれが転送装置だ。……遅かったか」
 足を進める程に強まる光は、大小二つの人影を浮かび上がらせていた。感情に乏しい無表情が、揃ってメビウス達を振り返り出迎える。
「深王! オランピアも……」
「ほう、報告通り生きてたようだな。リボンの魔女よ、よくぞゲートキーパーより生還した」
 虚ろな闇を湛えた瞳で、深王はメビウスを眇める。その眼差しは冷たく鋭く、以前は感じなかった敵意がありありと浮かんでいた。その横からは毅然とオランピアが踏み出す。肘から伸びる刃が鋭く光って、怒りに燃える彼女を刃紋に映す。
「フカビトの力に惑わされ、堕落した冒険者達よ……この私が相手だ」
「まてオランピア! 深王も待って欲しい。人間同士が争う愚は、これは避けるべきだ!」
「下がれメビウス……この者の相手は俺がするっ!」
 真正面から斬りかかってきたオランピアを、煌く長刀が弾き返した。金属を梳る耳に痛い金切り声が響く。見れば深王とメビウスの間で二人の男女が刃を交えていた。
 既に背の太刀を抜いたクジュラは、懐より緋々色金の脇差をも手に立ちまわる。海都随一の将を相手に躍るは、既に機械の全身も顕な深都の操り人形。その四肢を操り手繰る見えない糸を握ったまま、深王は二人の闘争を突き破る視線でメビウスを貫いてくる。
「ぼくはフカビトを邪と断定するあなた達には加担できない。でも、話すことならできる!」
「何を話そうというのだ? リボンの魔女よ。百年の戦を止める一言、持ちあわせていような?」
 不気味にうなりを上げる転送装置を背にして、深王は不快感も顕にメビウスを見下してくる。
「そもそも、我の身体を見よ。我が下僕をも見るがいい……我等は既に人を捨てた」
「だから同じ人間じゃないっていうのか?」
「人を捨て、世を捨て百年の戦に挑んだのだ。邪悪なるフカビトを滅ぼし、海都を守るため」
 深王は「であろう?」と視線をメビウスから外した。その先では、トーネードが沈黙に俯いている。この深王代理騎士を拝命した深都の機兵は、剣の柄に置いた手を震わせていた。
 だからメビウスはそっと、トーネードの手に手を重ねて身を寄せる。
「大丈夫、ぼく達は戦わない。……深王! 今一度話し合いの時間を、互いの理解を!」
 トーネードに耳打ちしつつも、メビウスは哀願を込めて切実な声を作る。だが、そんな彼女の声を剣戟の音が切り裂いた。激しく斬り結ぶクジュラとオランピアの舞踏は、そのリズムを速めながら互いの破滅へと急ぐ。血と汗にオイルが交じる肉薄した攻防のさなか、不意に声が走った。
「やぁ、久々に危険な花びらでhageるとこだったぜ。なあ、まなびちゃん? っと、およよ」
 不意にモンクとファーマーの少年少女を連れ、緊張感皆無なコッペペが現れた。ブン、と転送装置が鳴るや、彼等の姿が突然虚空に浮かび上がる。
「コッペペ! いい所に……手を貸してくれ! この無益な戦いを止めなければ」
「よぉ、メビウス! 元気そうだな。……参ったな、女の頼みは断れねぇのによお」
 ばりぼりと野放図な髪を掻きむしるや、コッペペは戸惑う仲間二人の前で溜息を一つ。
 こんな状況下でさえ普段通りな彼に、メビウスは一縷の望みを託して深王と対峙した。だが、余りにもそっけない返事が響いて、メビウスは自分の耳を疑った。それは隣のトーネードやスカイアイも一緒のようで、


「コッペペ殿、今一度……ワタシは深王ではなく、深都に仕えているつもりです故。どうか」
「そうだぜ旦那、もう一度考えなおしてくれよ。メビウス、君からも言ってやってくれ」
 だが、メビウスは知っていた。コッペペは軟弱で軟派な男だが、言葉に責任を持つ男だと。
 その一言が再度、面倒くさそうに放たれた。
「悪ぃ、メビウス。今回ばかりはお前さんの頼みも聞けねぇよ。……この先、何があったと思う?」
 クイとコッペペは親指で転送装置を指さした。深王が僅かに表情を得意げに崩す。
「聖域の森だなんて嘘っぱち、モンスターだらけよ。まるでなんかこう、隠してるみてぇだ」
「そっ、それは! ……事情があった、事情が。みんなに……ぼくにだって」
 思わず握る拳の内側で、ギリギリと掌に爪が食い込む。言ってみて虚しい言葉だったが、それでもメビウスは諦められなかった。正義を奉じて相手を悪とする時、それはもう一つの正義との不毛な争いを意味するから。そして機械の身であろうが、フカビトであろうが……まやかしの若さであろうが、みな心を持った人。同じ人間が関わる二つの都の未来は、闘いの果てにないとまだ信じている。
「深都の人間に惑わされるな、メビウス! 海都の聖なる森は不可侵の地、奴らを許しては――」
「黙れ、元老院の犬め! 深王が百年、邪悪との戦いで身を削られてる時……海都は何をした!」
 メビウスの言葉を遮り、クジュラとオランピアが激昂の声を交える。同時に一際激しい一撃が行き交い、両者はそれぞれ左右の壁に吹っ飛んだ。衝撃音が走って神殿内が揺れる。
「クジュラ! トーネード、スカイアイとクジュラを頼む」
「オランピアちゃぁ〜ん! 大丈夫かい? 待ってな、オイラだってやる時ぁやるぜえ?」
 硬い床に伏して尚、弾き飛ばされたクジュラは血を吐きながらも短刀を投げつけた。緋々色金に光が刃と光る一振りが、同じく突っ伏したオランピアに吸い込まれてゆく。その狭間に躊躇なくコッペペは飛び込んだ。突き出した手が空中で、ジュウと音を立てる剣を掴む。
「冒険者、貴様……私を庇ったのか?」
「ってえ! 痛ぇ……へへ、こちとら伊達と酔狂で冒険者やってんだ。なあメビウス!」
 コッペペは握りつぶした光の刃を投げ捨てるや、珍しく声を荒げて懐の銃を抜く。
「オイラぁ、惚れた女に義理立てする! 筋を通す! それはメビウス……お前さんも同じだろ?」
 コッペペの言葉はメビウスの胸中に響いて、無限に反射してこだました。
「うん……うんっ! だからコッペペ、ぼくは最後まで力を使わない。ただ冒険者として」
「そうだ、それでこそメビウスだぜ? 追って来いよ……オイラぁ、追い駆けられるの大好きさあ」
 にんまりと笑ってコッペペがオランピアを抱き起こした、その時だった。僅かに鼻を鳴らして、深王が転送装置の中へと消えた。続いてコッペペもまた、仲間達とオランピアを支えて掻き消える。
「いかん、奴ら聖域に……くっ、この俺がついていながら、不覚っ!」
「クジュラ殿、ご無理をなされては。それよりメビウス、追いましょう。今ならワタシ達が――」
 軽々とクジュラを抱えて立ち上がったトーネードだが、視線を固定して身を硬くした。その視線の先を振り返るメビウスは、稲光と共に響く蹄の音を聴く。
「この先は通さん。メビウス、正義は深王と深都にある。二度は言わぬ、退いてくれ」
 キリンを駆るエミットが退路を絶っていた。だが、メビウスが驚いたのはそれだけではない。
「……手荒な真似は避けたかったが。大事の前の小事、やむをえぬ。心配無用、殺しはしない」
 ドサリ、とキリンは何かを床に下ろした。それは二つに折り重なる人影で、よく見ればラプターとイーグル、マーティン姉弟だ。驚愕にメビウスが目を見張るも、驚きはそれだけではなかった。
「よおメビウス! ソラノカケラはみんな強いな。オレでも流石に手間取ったぜ?」
 続いて現れた大柄な女もまた、逞しい体躯から何かを下ろした。それは、
「クフィール! ……どうしてだ、何故……まだ解らないのかっ、ブレイズ!」
 メビウスが声を上げるも、その言葉を受取る者達が悪びれる様子もない。エミットは遺憾な面持ちに表情を翳らせているものの、自分が誤ちを犯したとはいささかも感じていない様子。ブレイズにいたっては、闘いの高揚感に頬を上気させ、その顔に笑みをさえ浮かべていた。
「メビウス、前に言ったなあ? オレに……力と強さは違うんだ、って」
「ああ! そうさブレイズ、きみは間違ってる。力はただ、力でしかない」
「じゃあ、オレはオレでしかないってことだぜ、それは。オレは、これしか知らないんだ」
 幸いにも息があるようで、しかし戦闘不能な程度には痛めつけられたらしい。マーティン姉弟もクフィールも、呻いてなんとか自力て立ち上がろうとする。互いに互いを庇い合いながら。
 だが、そんな同じ冒険者を一瞥して、エミットはキリンから降りると冷徹に言い放った。
「ブレイズ、ソラノカケラの他の者達はどうか」
「神殿中に散らばってるぜ? オレが全部喰っちまってもいいのかな」
「無用な戦いは避けたい、深王に続くぞ。そう、避けたいのだ……そうだな、メビウス?」
 問いかけるエミットの声には、それが不可避の絶対的正義を信じた戦いだという意気込みが感じられる。その陶酔感にも似た感情が、メビウスにはどうにも我慢できなかった。我慢できなかったが、それを堪えねば自分も同じに落つる。正義を声高に叫んで力を振るえば、それはエミットと同じこと。
「とにかく手当を……エミット! 前に言わなかったかい? きみが真に守るべきは」
「……リシュリーのこと、感謝している。あの娘があんなに元気に……既に私は不要なのだ」
「違うっ! きみは誰よりも自分を愛してくれる、幼く無垢な気持ちを裏切っている!」
「既にリシュリーは私の手を巣立った! そして私は見つけたのだ……真に王なる存在を!」
 それだけ言うと、エミットはブレイズを連れて転送装置の中へと消えた。
 ただ静寂に怪我人の荒い息遣いだけが、メビウスの治癒の力を急かした。

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