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 ラファール達一行が伝令の声を聞いたのは、丁度不審な扉を前に足を止めていた時だった。
「ハッ、退くってか? メビウスの姐御がそう言ってるのかい。そりゃまた――」
「時の趨勢は深都側にあり。今は一度退くべきかと。ミラージュ様のご判断も同じです」
 迷宮の隅々へと分身を走らせるシノビの麗人が、無表情に声を凍らせる。従兄弟の許嫁らしい女性の言葉には、淀みない事実が感じ取れた。疑ういわれもないので、ラファールはふむと腕組み頬を歪ませる。普段から女にしか見えぬその容貌が、鋭い目付きで野生をさらけ出した。
「それではわたしはこれにて……海都で合流を。忍っ!」
 細身のシルエットを刻むシノビの面影が、不意に空気に滲んで霧散する。その気配は遠ざかり、分身が掻き消えると……ラファールは仲間達の視線を吸い込み再び振り返った。
 彼がねめつけ眇める先には、異様な趣きでしつらえた巨大な門がそびえ立っていた。
「さてさて、どうしたもんかのう? メビウスは一度退く構えのようじゃが」
「若、とりあえずは我々も戻りましょう。仔細を報告せねばなりますまい」
 にんまりと楽しげに緊張感のないモンクの隣で、右腕たる重鎮が重々しく頷く。
 ラファールが即決した決断も同じだが、どうにも気になって仕方がない。周囲の扉とは明らかに雰囲気を異にする、一際巨大な門。そこには鍵穴らしきものも見当たらないのに、固く閉ざされびくともしない。先程仲間達と押してみたがピクリともせず、引いてみようにも掴む取手すら存在しないのだ。
 だが、フカビトのレリーフを刻んだ異様な扉は、現にラファール達の前に屹立していた。
「クソッ、トライマーチの連中……けったくそ悪ぃ! おう手前ぇ等、帰んぞ!」
 ドン! と扉を叩いたその手で、ラファールは乱暴に地図に現在地を記す。その瞳は北側に不自然な空白地帯を見とっていたが、先へと進む扉はただ一つ。眼前の不可解にして不可思議な門のみだった。
 仲間の誰かがアリアドネの糸を取り出した、その時だった。
「待テ、ラファール! 何か近づいてクルゾ! コレハ……ヤバイゾ、コノ駆動音!」
 先程まで採取に勤しんでいた仲間のアンドロが、普段のにこやかな笑みを凍らせ張り付いてきた。背中にしがみつく幼い顔は今、その矮躯同様に震えている。
 舌打ちを一つ零してラスタチュカをひっぺがすや、ラファールは腰の愛刀を抜剣した。
 同時に身構える仲間達の向こうから、地を蹴る甲高い機械音が現れた。
「警告する。その扉に近付くな……これ以上の接触は超攻撃的指導を持って制裁とする!」
 抑揚に欠く平坦な声音は、静かに鋭く響く。同時に撃鉄を引き上げる音と共に、巨大な弩がラファール達を牽制して向けられた。
 やれやれとラファールは剣を床に突き立て、懐から細巻きを手繰って取り出す。火を付ける間も仲間達を見やって目配せし、無言の呼吸で紫煙を吐き出す。冷たく沈んだ空気に、煙の輪が浮かび上がった。
「よう、ポンコツメイド。仕事が早ぇじゃねえか。どういう了見か聞かせて貰えんだろうな?」
 誰もが敵意を浴びる中、ラファールは泰然と余裕を持って相対する。


 返答は嫌に冷たく、人の感情を感じさせぬ冷徹さで響いた。トライマーチのメンバー兼メイド、お馴染みのテムジンが今は弩を構えて退路を塞いでいた。バイザー越しにもその冷ややかな眼差しは凍えるようで、ラファールは面倒事に再度肩を竦めた。
「質問は許さない。ただ去れ。この場所は百年の昔より、深都が定めし禁忌の地!」
「なんだそらぁ? もっとぶっちゃけて言えよう……開けられねぇんだろ? お前等でも」
「そ、そういう意味ではない! 深王が定めし法だ、我等が窺い知れぬ事情があると理解する!」
「お前等は何でもかんでも深王、深王、とくらぁ。だいたい何だ? この仰々しい門はよお」
 まるまる一本、煙草を吸い終えたラファールは手元の熱をそっと足元へ。冷たい床に跳ねた残り火を踏みつけながら、背後の扉へと親指を立てる。
 無表情のテムジンが、僅かに目元を険しくした。その反応だけでもう、この不動の扉がいわくつきの場所だと知れた。ラファールは再度、地図のこの場所を二重丸で囲んでチェックすると剣を手に取った。
「その深王様が百年かけてよう? ようするに開けられねぇ扉なんだろうがよ。違うか?」
「そ、それは……」
 深都の番犬のように振る舞うテムジンが、そのいささかも迷いのない言動が翳った。脈ありと見てラファールはさらに言葉を続ける。
「見た感じ、フカビト絡みだな? だが、開かねえとなると……この奥、何かあんだろ? あン?」
 周囲の仲間達も、ラファールの一言に騒がしくなる。
「ラスタ知ってる! この扉、昔から近づくダメ言われてるゾ。なんだかアヤシイナ!」
「師匠、少し詳しく調べてみましょうか? 戻るならそれからでも……報告する必要ありますし」
「ヴェールクト、てきとぉーにやっといておくれ? ふぇふぇふぇ、メイドロボもいいのう〜」
 不意に緊張感が弾けて「ひあっ!」という気の抜けた声が響いた。続いて弩を取り落とす音が重々しく鳴って、テムジンはその場で竦んだ。見ればニムロッドが邪笑を浮かべて、細い四肢にピタリと張り付き頬ずりをしている。
「きっ、きき、貴様、なんと不埒な、んひぃ!」
「ぬふふ、細い腰じゃのぅ。なんとウラヤマシイ……腹がすっかすかではないか」
「くっ、私を深都の特務と知って、ふ、ふあっ! ……貴様、見てないでこれを止めろ!」
 いつものニムロッドの病気が始まったと、呆れる弟子の横で二本目の煙草にラファールは火を付ける。顔を真っ赤にして指差すテムジンが涙目になってても、ラファールは揺るがぬ態度でマッチを擦った。
「海都に与する愚か者共め……ぁん、く……貴様等、まとめて今すぐ、ひううっ!」
「ひんやりするのう! 同じ機兵でもこう、ラスタとは肉付き……鉄付き? が違うのう!」
「は、離せ! 貴様……超特別指導を、んくぅ、はぁ……よ、よせと言ってる!」
 このまま眺めていても害は無いが、子供達には目の毒だ。身をくねらせ抗うテムジンの背後から、嬉しそうにニムロッドが息を荒げるその姿を、そろそろ止めてやるかとラファールが煙を燻らした瞬間。
 不意に、ビィン! と矢が両者の間に突き立った。
「ったくよお、ニムロッドさんよ。アンタ、絶対ぇロクな死に方しねえぜ?」
 その一矢を避けた為に、必然的にニムロッドはテムジンから離れた。しゅたっと地を蹴りラファールの前に転げてくるや、柔和な笑みはそのままに彼女は拳を構えて地を踏みしめる。
 弩を拾って体裁を繕うテムジンの隣に、見知った顔馴染みが姿を現した。
「よぉ、アバズレ! どした? この女中の尻拭いか?」
「概ねそんなとこさ、変態王子。おいテムジン、急いで海都に戻るぞ……やべぇことになった」
 引き金に指を置いて眼光も鋭いテムジンの横で、ジョーディがやれやれと溜息を一つ。だが、当のテムジンに退く気はないようで、殺気に身を強張らせながらモーター音を唸らせる。
 ラファールはラファールで、ここが引き時とタイミングを見定める。先程従兄弟の許嫁が分身をよこしてくれた通り、先を急ぐメビウス達本隊に何かがあった。それでソラノカケラの一同は今頃、海都に引き返してる筈だ。まずは合流して情報を統合し、件の転送装置とやらのゴタゴタを片付けるべきだと判断するラファール。
 だが、目の前で全身に無機質な明滅を瞬かせる深都の機兵は、仲間の声にも耳を貸さなかった。
「こっ、ここまで辱められてただではおかぬ! 深都機兵教練指導要綱07番――」
「いいからよ、テムジン。お前の奥様が、デフィールの姐御が待ってるぜ? それも大急ぎだ」
「奥様が?」
「ああ。おいラファール! 手前ぇ等も戻るんだろ? ここいらで手打ちってことでどうだ?」
 テムジンの顔には不満も顕だったが、ジョーディの提案を蹴る理由がラファールにはない。何より今、ソラノカケラとトライマーチに……海都と深都に何が起こっているのかも気になる。
 黙ってラファールは剣を収めると、仲間達もそれに習って敵意を引っ込めた。
「悪ぃ、一つ貸しにしとけや」
「いんや、俺等こそ借りておくぜ? 不要な揉め事はゴメンだしよ。……気になることも、ある」
 とりあえずはゴチン! と手近なニムロッドの頭をゲンコツで軽く殴りつつ、ラファールは肩越しに門を振り返った。
 ――気のせいか、奥から一瞬だが視線を感じる。ような気がする……何かがいる、その気配が確かに掴み取れる。
「おいおい、アタシみてぇなのに貸し作るとなあ……いっ、いいのかよ、ラファール」
「あ? ああ、まあ後で宿についたらゆっくり話そうや。それはそうと、この門……」
「ゆっ、ゆゆゆ、ゆっくり? は、ははは、話す……お、おうっ、いっ、いいい、いいねえ」
 何故か目を白黒させ、顔を赤らめたりしながらジョーディはテムジンをひっつかんだ。そのまま喚いて物騒な作動音を響かせるアンドロを引きずり、彼女は妙にウキウキとした足取りで来た道へ消えてゆく。
 頭をさするニムロッドのニヤケ面をよそに、気付けばラファールは門を凝視していた。

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