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 扉の向こうにメビウスは気配を拾う。深い悲しみと怒り、怨嗟と憎悪……何より互いが正義と信じる者達の息遣いを。そして今はもう、自分もその一人だという現実から逃げはしない。
 大きく深呼吸して両手をドアに当てると、メビウスは仲間達と最後の部屋へと踏み出した。
「……ソラノカケラの……来て、くれた、のか。……後は、頼む……姫様を」
 その男は傷付き片膝をつきながらも、背中にフローディアとグートルーネを守っていた。既に大刀はその手になく、明滅する光の小刀を逆手に握っている。海都随一の将は、不退転の決意で己の使命を貫いていた。その目がメビウスを捉えて、安堵と同時に光を失う。
「クジュラ! ……しっかりするのです、死んではなりません」
「姫様、クジュラは大丈夫。ソラノカケラ、頼む……この老骨、命を賭して頼むよ!」
 泣き濡れるグートルーネの声も、その身を庇って前に出るフローディアの叫びも、全てメビウスの胸へと響く。だからただ、順に振り返る者達を真っ向から見定め拳を握った。
「ほう、来たか……フカビトに惑わされし冒険者よ」
「深王、お下がりを。ここは我々が……むっ!」
 怜悧な無表情に凍る深王も、その傍らで血に濡れた刃を光らせるオランピアも、メビウスの思惟を通り過ぎた。彼女が見たのは、今にも飛び掛からん勢いで身を屈めた深王の操り人形を、槍の穂先で制する声。
 背後でグリフィスやスカイアイも驚き息を飲む中、その者はメビウスの前に立ちはだかった。
「これ以上の流血は無用! メビウス……決着をつける時が来た」
 エミットだ。彼女は自分達トライマーチの面々にも「手出し無用」と短く告げると、一人マントを脱ぎ捨て槍を構える。メビウスもまた、トントンと爪先で二度三度と地を蹴り感触を確かめると、静かにその前へと歩み出る。
「そういう訳さ、スカイアイ。後をよろしく」
 何の気負いもない、気安い声が自分でもおかしい。
 だが、メビウスは自分の四肢の隅々にまで氣が満ちるのを感じた。
「エミット、君達が間違ってるとも思わないし、ぼく達が正しいなんて言わない。ただ――」
 ドン! と構えて踏みしめた大地が震脚に揺れる。半身に利き手を握って絞り、腰を落としてメビウスは探るように左手をかざした。呼応するようにエミットもまた、油断なく盾を前に前傾で槍を翻す。
「そんなことは後世の歴史家などに語らせればいいのだ。私は私の信じた道を貫く!」
「それはぼくも同じさ。エミット! ぼくはきみを止めてみせる。ブン殴ってでもだ」
 瞬間、言葉が行き交い響いて、互いの距離がゼロになる。
 同時に瞬発力を爆発させた両者は、中空で刃と拳を激しく交えた。互いの身を擦過する一撃が、当たれば致命打と知ってさえ止まらない。相手の本気を知るからこそ、メビウスの集中力と精神力は極限まで研ぎ澄まされた。
 見る者の言葉を奪う攻防は、絶え間なく加速してゆく。
 そんな中、メビウスは見守ってくれる仲間達の声を聞いた。
「た、隊長ぉ……わ、笑ってる?」
「殺気がない。エミットさんもだ」
 驚きの声はトライマーチの面々にも連鎖してゆく。
「こいつぁまるで、踊ってるみたいじゃねえか。なあメビウス」
 地を割り空を裂く拳が、蹴りが合金製の重装甲を梳る。だが、メビウスの流れるような連撃を最小限の動きでいなし、必要と有らば正面からもらいながらも……エミットが繰り出す槍が僧衣を切り裂いてゆく。
 もはや躊躇いもなく余裕すらない死闘の中で、不思議な感覚をメビウスとエミットは共有していた。
 残像を宙に刻んで、しなる槍が二段、三段と絶え間なく突きを繰り出してくる。その中を縫うようにメビウスはかいくぐる。
「流石にできるな、メビウス! 海都一の冒険者、真に強き者よ!」
「それはこっちの台詞! 重い鎧に槍と盾で、よくぼくの疾さについてくるっ」
 素直に賞賛の言葉が零れた。ここにきて両者は、互いの立場を脱ぎ捨てた個人と個人になっていた。いわば私闘、冒険者同士の戦い。熾烈さを増す度に二人は、しがらみや背負った責任、二つの都の運命やアーモロードの未来を忘れてゆく。
 ただただ、冒険者として研鑽を積み重ねた己が純化してゆくのをメビウスは感じていた。
 ただ無邪気に技を繰り出し、持てる技術を総動員して命を削る中……自然と走る、声。
「深王こそが真なる王と私は信じた! ならば何故、その障害排除へ躊躇などしようか!」
「そうは言ってもきみは迷った! ぼく等をコテンパンにしておいて。オランピアだってそう」
 ギアをトップに叩き込むメビウスの動きが、幾重にも張り出す槍衾の中で雲を引く。
 まだまだ速く鋭くなるメビウスの拳に、ニヤリとエミットが盾を投げ捨てた。
「世界樹に暮らす亜人達と、ぼくは何度も過去に会ってきた……フカビト達だって同じっ」
「どうかな? フカビトは世界樹に住まうモノではない。問おう、メビウスよ――」
 動から静へ、メビウスの拳がエミットの槍を中心で捉えた。互いに巡らせる覇気が凝縮されて弾ける。拮抗する力と力の激突に、見守る誰からも等しく感嘆の声があがる。
 先に動いたのはエミットだった。
「かのモノ達は世界樹と同じく、星の海からやってきたという。言い方を変えよう……フカビト達を追って世界樹がこの地へ根を降ろしたとしたら!」
 一瞬の思考の後、メビウスは大きく薙ぎ払う一撃をバク転で避ける。
 身動きの取れぬ空中へと逃げたメビウスへと、翻る穂先が一直線に伸びてきた。
「ぼく達は世界樹で生きる冒険者。世界樹の都合に翻弄される道理はないっ」
 渾身の一撃だったのだろう。メビウスの行動にエミットの顔は驚き凍りつきて、笑みを零した。


 空中でメビウスは鋭い突きをさばいていなすと、その長柄を握って軸に回転。そのまま遠心力で天高く舞い上がると、聖なる木々の枝葉を揺らしながら蹴り足を前に急降下した。
 乾坤一擲、全身全霊の飛び蹴りへとエミットもまた槍を放る。
「ぼくはぼくの道理で動く、筋を通す……それはエミット、きみだって同じはずだっ」
 真っ直ぐ投擲された槍を、たやすくメビウスの足刀が切り裂いてゆく。真正面から両断した上で、驚き目を見開くエミットをブチ抜いた。メビウスの氣をのせた蹴りは重装甲の上から衝撃を内部へと伝えて、流石の深王代理騎士も大きく吹き飛んだ。
 それでも立ち上がろうとするエミットに、コッペペ達パーティの仲間が駆け寄る。
 想いは伝えたし、相手の真意も解った。その上で今、メビウスが決着もやむなしと深王に向き直ったその時。不意に背後で小さな叫び声が響いた。
「メビウス、待って。わたし達の敵は違うよ……ううん、敵なんていないのかも。そう思いたい」
「おばねーさまっ! メビウスさまもふかおーも、誰も間違ってはいなかったのですわ!」
 突如、メビウスとエミット達の間に小さな少女達が転がり込んできた。
 メビウスはジェラヴリグの瞳が澄んで小さな炎を灯しているのを見る。同じ物をリシュリーの目に見たのか、血を吐きエミットは膝をついた。
「ジェラ……リシュも。みんなも?」
「うん。メビウスが言った通り、わたし達も最善を尽くしてみたの」
「メビウスさまとおばねーさまが争う必要なんてないのですわ!」
 二人が手を携え持つ、純白に輝く物体にメビウスは目を奪われる。
 ジェラヴリグとリシュリー、二人が掲げたものこそ奇跡の残滓……白亜の供物。
「フローディア、あれは……ああ、身体が。わたくしの身体が」
「姫様!」
「おお……我の頭に注がれるこの記憶は。オランピア、我が身に何が? いったい何が」
「深王!」
 白亜の供物から放たれる光は、煌々と眩しいのにぬくもりが温かい。メビウスもまた、瞳を手で庇いながら呆然となりゆきを見守った。
 二人の手の内より白亜の供物が溶け消えると同時に、異変が耳朶へと響き渡る。
「これは……姫様、御身が!」
「まあ。こんなにも身体が軽い……兄様? もしやサイフリート兄様なのですか?」
「……我には解る、解るぞ……お前は、愛しのグートルーネ!」
 そこにもう、兄恋しの一念でフカビトの術に身をやつし、異形となりて百年生きた姫はいなかった。海都守るべし、愛妹守るべしの一念で世界樹の叡智にすがり、機械となりて百年戦った王もいなかった。
 百年の時を経て、兄と妹は再会した。

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