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 世界樹の迷宮第五階層、白亜ノ森……かつて神聖なる封印の地だったのも今は昔、現在は多くの冒険者に門戸を開いている。もっとも、強力な魔物が跳梁跋扈するこの森を自由に歩ける冒険者は少ない。
 新たに民政アーモロード共和国として生まれ変わった海都と深都からは、それでも冒険者達が我先にとこの地を訪れていた。
「ジェラッ、今ですわ!」
 振り下ろした剣を優雅に踊らせ翻して、可憐な少女が飛び退く。彼女が斬り付け足止めした魔物は、純白の毛並みを激怒に逆立てる妖狐。だが、その牙を剥く野生へとジェラヴリグは精神を集中して手をかざす。たちまち周囲のエーテルが圧縮されて、天に輝く星々の力が炎となって爆ぜた。
 轟音を響かせ唸る業火が、煌々と森の静寂を照らして燃え盛る。
「これで終わり。リシュッ!」
「はいですわっ!」
 紅蓮の焔に身を焼かれてひるむ白狐へと、リシュリーは剣を納めるや跳躍する。その背を援護するように、ジェラヴリグは連続して迅雷の占星術を呼び起こす。その手が術式の構築に淡く光って、次の瞬間には轟く稲妻を走らせていた。
 同時に、両手を振りかぶるリシュリーの手に光が集って、巨大な鎚を浮かび上がらせる。
「これでっ、トドメですわっ」
 リシュリーは中空に突如現れた巨大なハンマーを手に取るや、それを垂直に神罰をもたらす者へと振り下ろす。ピコン! と緊張感のない音が響いて、電撃に脚を奪われていた魔物は音を立てて崩れた。その死骸は静かに小さな結晶へと凝縮されてゆく。このフロアで冒険者達を脅かす、最も獰猛な魔物の最期だった。
 にわかに信じがたいことだが、この絶妙な連携は全て十代半ばの少女達の仕業だった。
「ふう、これで殺生石はオッケー、と。リシュ、怪我はない?」
「ええ、ジェラのお陰で平気ですわ。図鑑、随分埋まりましたわねっ」
 少女達は今しがたの狩果を手に取り、互いに大きな写本へ目を落とす。通常の討伐では手に入らない希少な素材も、いくつかの条件をそろえれば手に入れることができる。そればかりか、航海で外の地から手に入れた技を使えば、先ほどのように比較的容易にその条件を満たすことができた。どの魔物がどんな素材を持っているか、それを調べて図鑑に記すこともまた冒険者の大事な仕事だった。
 ジェラヴリグとリシュリー、二人の少女は互いに顔を見合わせニコリと微笑む。
「これで白亜ノ森のモンスターは全部、図鑑に詳細を記すことができた。これもリシュのお陰」
「ジェラが事前に色々と調べてくれたお陰ですの。後は細々とした部分を埋めるだけですわね」
「少しはメビウス達の役にたてばいいんだけど」
「少しだなんてちょっぴり凄く謙遜ですの。ジェラはうーんと、たーっくさん役にたってますわ!」
 アーモロードを救ったリボンの魔女の逸話は、伝説として瞬く間に世界に散っていった。潮騒の都に住む吟遊詩人達は、彼女の偉業を称える歌を我先にとしたため、それを歌いながら世界全土へ散っていったのだ。そのメビウスだが、相変わらず忙しい日々を送っている。冒険者として迷宮に潜る暇もないくらい、政府の高官や王侯貴族の末裔、はたまた豪商から場末の酒場までとあちこちに招かれている。
「でも、メビウスさまは素敵でしたわ。この間の夜会、とてもドレスがお似合いでしたの」
「本人は少し居心地が悪そうにしてたけど。でも、よかった。この国は平和になったもの」
「ええ。世界樹の迷宮も踏破され、わたくし達の役割ももうすぐ終わりですの」
 微笑むリシュリーの笑顔がしかし、ジェラヴリグには少し寂しい。
 旅の終わり、冒険の終焉に待つものは別れだから。冒険者は未知と神秘のない場所には生きられない……それはそう、この世界を取り巻き循環して巡る風のようなものだから。世界のワクワクとドキドキが眠る場所へと、ただ風は吹き抜けてゆくのみ。
「ねえ、リシュ」
「はいっ。……どうしたんですの、ジェラ? お顔が優れませんわ」
「リシュは、リシュ達はこの後……ううん、でも。わたしに止める権利なんてないものね」
「ジェラ?」
「このアーモロードの世界樹は全て攻略されてしまった。リシュ、あなたはこのあとどうするの?」
 ジェラヴリグはつい、切なく狂おしい寂しさ故に言葉にしてしまった。口にした言葉はすべからく、一度発してしまえば戻る術を知らない。だから彼女は次の瞬間には後悔してしまった。無垢で純真なプリンセスの少女は、ぶすぶすと煙をあげながらジェラヴリグの言わんとする事を少し理解したらしい。その顔は笑顔で固まったまま、頬に一滴の光を落とした。
 二人が二人でいられる時間を急かすように、別れの時は迫っている。それをしかし、否定したい幼さが両者の間に横たわった。
「……ごめんなさい、リシュ。でも、少し前からずっと考えてたの。考える度に悲しくて。でも――」
 そっとリシュリーの涙を拭ってやるが、当の本人は泣いてる自分に驚いたようだ。
「だっ、大丈夫ですの。わたくし、ジェラより少しお姉さんですもの。大丈夫ですわ、大丈夫」
「リシュ……」
「その時が来たらすっごく寂しいですけど、笑ってお別れしますの。だって、ジェラとは気持ちで一緒ですもの」
 そう言うリシュリーはしかし、ぐずぐずと幼子のように泣き出した。こうなるともう、きらびやかなプリンセスの貫禄は容姿を裏切り、泣きじゃくる彼女は子供にしか見えない。だからジェラヴリグは、そっと小さな手にハンカチを握らせた。辛うじて号泣を堪えるリシュリーは、そのシルクの薄布でおもいっきり鼻をかむと、目を真っ赤にして照れ隠しに、
「そ、そういえばみなさんの姿が見えませんわ。ホロホロさんにラスタさん、どうなさったのでしょ」
「そういえば。アゲハが飛んでるから、すぐ近くにいると思うけども」
 ゴシゴシと瞼をこするリシュリーの回りに、紫色のアゲハチョウがふわふわと漂っている。それはビーストキングの友人が呼び寄せ使役してるもので、その本人がそばにいることを指していたが。
 ようやく泣き止んだリシュリーに寄り添いながら、ジェラヴリグは首を巡らし周囲の回廊に目を配る。
「あ、いたよリシュ。あんなところに。あれは確か」
「行ってみましょう、ジェラ。あっちはまだ、地図に書かれていない場所ですわ」
 普段からお姉さんぶってるのに泣いたのが恥ずかしいのか、照れ隠しにリシュリーはジェラヴリグの手を取った。そのまま握り返してやると、暖かな柔らかさがジェラヴリグを引っ張り歩き出す。
 二人が歩を進める先に、小さなビーストキングの矮躯が立っている。
 そしてその場所は地図の空白地帯……かつて彼女達二人のギルドの先駆者が、互いに向き合い鎬を削った場所。地図に明記されていないのは、その場所で起こった二つの都の転換期と、そこからの決戦が激動だったから。誰もがマッピングを忘れた場所へと、ジェラヴリグはリシュリーに手を引かれて歩いた。
「ホロホロさん、この場所は……まあ、ここは確か」
「白亜ノ森、その最奥。海都の王家の聖地。そう、ここから終わりが始まったの」
 今はもう、その場所には誰もいない。ここで二つのギルドが互いの奉じる都のために戦った、そのことを知る人間すら少ないのだ。だが、ジェラヴリグは忘れない。自分が大事な仲間達、リシュリーやホロホロ、ラスタチュカと一緒にこの場所にいたことを。最善を、最良を求めてベストを尽くした、その結果をこの場所に求めたことを。
 ホロホロが無言で指差す先に、小さなアンドロが振り返った。
「ラスタさん、なにをなさってるんですか?」
 リシュリーの言葉にラスタチュカは周囲を見渡し、俯いてしまう。
「や、改めて来たらちょっぴりズシンだゾ。もう、深王はいないんだなって思ったら」
「ラスタ……」
 ジェラヴリグは今度はリシュリーの手を引き、静かに友へと歩み寄る。ホロホロがその後を静かに追った。
 少女達は手に手を取って、この場所で数日前に起こった出来事を振り返る。
「深王は悪い王様ではなかったゾ。でも、強い王様ではなかったかもダナ。ラスタ、キライではなかった」
「そうね……それは多分、グートルーネ様も一緒なのかもしれない」
「百年を孤独に生きて、求めることも忘れて……それってラスタ、寂しいと思う」
「うん。でももう、あの人は一人じゃない。ようやく思い出して、取り戻したもの」
 それが例え歪な禁忌の恋でも。今はただ、去ってしまった人を想えば自然とジェラヴリグは優しくなれる。そう、あの人達は百年生き続けた、待ち続けたのだ。全てを忘れ、全てを捨ててまで。そうまでして、互いに惹かれ合った二人なのだ。だから、送り出して見送ったメビウスの気持ちが、二つのギルドの大人達の想いがジェラヴリグにもわかる。そして、こうしてこの場所に立つ仲間達にも伝わればいいと思う。否、伝わるという確信が心を満たしている。
 同時に胸中を締め付ける疑問……自分は、大事な人をこの場所から送り出せるだろうか?
 ふと隣を見れば、やはり同じ表情でリシュリーがジェラヴリグを見つめていた。
「ハハハ! ラスタ、今日はガラにもないこと言ったゾ! 平気、ちょと気になっただけだナ」
「も、もうっ、ラスタさんったら。でも、わたくしも考える時がありますわ」
「リシュはダイジョブ、ジェラもホロホロも。ラスタが保証するぞ、だってラスタ達四人は――」
 ラスタチュカは気付けば、リシュリーをリシュ、ジェラヴリグをジェラと呼ぶ仲になっていた。あの激戦と苦難の日々が、共に歩んで駆け抜けた四人を近付けていた。そのことが嬉しいジェラヴリグは、次の瞬間驚愕に目を疑った。
 照れてバリボリ頭をかくラスタチュカは、後退りした瞬間に三人の前から消えてしまった。
「まあ! ラスタさんが消えましたわ。ジェラ、これは」
「この場所はマッピングも十分じゃないから。リシュ、地図を。ホロホロは周囲を警戒して」
 そうしてジェラヴリグは、ラスタチュカの消えた先へと単身歩みだして飛び込む。
 周囲の景色がその一歩を踏んだ瞬間、遥か遠くへ飛び去った。そして目の前に現れたのは……


「オオウ……ジェラ、見たか? 見たな、見えてるな? ……あれ、転送装置だゾ」
 信じられない光景に、ジェラヴリグは続けて背後に現れたリシュリーの手元を覗き込む。即座に自分達の歩いた距離を目算して、現在位置を割り出せば……そこは正しく、前人未到の秘境。この聖域たる白亜ノ森にあって、さらに誰も脚を踏み入れたことのない場所。
 そこで静かに機械音をブン! と響かせながら、ツタの緑に覆われ植物に飲み込まれかけた転送装置があった。
「まあ……見まして、ジェラ! この迷宮、まだ先があるみたいですの! いってみましょう」
 ジェラヴリグの直感が警鐘を鳴らしていた。この先へ行ってはいけない。なぜ、海都の王家は百年に渡ってこの地を聖域として閉ざし、その奥にこの転送装置を隠していた? その答がわかりそうなのに、知りたくもない。だが、まるで何かから逃げるように、冒険が続くことを喜ぶようにリシュリーは転送装置に乗ってしまった。
 慌ててあとを追って一塊になった四人を載せ、転送装置は唸りをあげて光を迸らせた。

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