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 羽ばたく蝶亭は今、顔なじみの勢揃いでごった返していた。真祖を討ちフカビト達との和議を結んで以来、これだけの冒険者が一堂に会するのも珍しい。ミラージュもそうだが、皆が皆アーモロードの新たな国づくりの中で忙しい日々を送っていたから。
 中には懐かしい顔ぶれも並んでいて、思わずその名をミラージュはポツリと零した。
「あれは……エミット殿。そうか、ついに立ち直られたか」
「リシュリー嬢はあの方の姪にあたるそうです。酒に潰れておられるような方ではありませんし」
 すぐ側で、影のように寄り添う女性から声があがった。そのしとやかな声音は静かなのに、この喧騒の中でしっとりと耳朶に浸透してくる。相棒のヨタカは、ミラージュの横で店内を見回し隅のテーブルを指さす。
 ミラージュの探す人物は、一人静かに銃の手入れをしていた。
「エルトリウス殿、ここにおいででしたか」
 呼びかけたミラージュへと、普段と変わらぬ微笑を湛えた端正な顔立ちが面を上げる。次いで立ち上がるショーグンの青年は、トライマーチのエルトリウスだ。思えば、この男と船に同乗してアーモロードに来てから、随分と時間が経ったような気もする。同時に、この地を踏んだあの日が昨日のようにも思えるのだ。
 だが、今は感慨にふけっている場合ではない。それは先方も重々承知のようだった。
「これは殿下」
「その殿下というのはやめてもらえる約束だったがな」
「ふふ、そうでしたね。ミラージュ殿もメビウス殿に呼ばれて?」
「ああ、ソラノカケラの全員がこの場に馳せ参じている。呼ばれずとも駆けつけるさ」
 儀礼的な挨拶を交わして互いの雰囲気をほどよく解くと、エルトリウスは椅子を薦めてきた。だが、ミラージュはその前に手にした刀をそっと差し出す。その一振りへ視線を落として、エルトリウスは僅かに表情を固くした。
「これは……」
「なずな殿の胴太貫だ。ずっと借りっぱなしになっていたものだが、これは貴公が持っているべきだと思う」
 隣で頷くヨタカの気配を拾って、ミラージュはその簡素な作りの太刀をエルトリウスに突き出す。飾り気のない実戦的な剣は、その持ち主を象徴するかのように鋭い刃を秘めている。
 決戦のあの日、あの時、あの瞬間……この一振りがなければ、ミラージュは力を振るうことは叶わなかっただろう。太刀とは剣士の魂、そして己を写す鏡だ。よく手入れされた剣には、自然と生まれながらのブシドーの心意気がにじみ出ている。
 だが、エルトリウスは受け取ろうとはしなかった。
「……もう暫く預かってはもらえませんか? できればヨタカさん、貴女に持ってて欲しいのです」
「エルトリウス様っ! それは――」
 ミラージュはすぐ隣に、珍しく大きな声を出したヨタカを振り返った。彼女は自分でも発した声の鋭さに気付いたのか、周囲の仲間達を見回し口元を抑えている。それでも、一拍の間を置いてヨタカは落ち着いた声を取り戻すや喋り出した。
「これはエルトリウス様、貴方が持っているべきです。……なずなさんはそう思ってる筈です」
「ふむ、言い得て妙ですね。あの娘もいい友達を持てたということでしょうか」
「エルトリウス様っ!」
 このエルトリウスという男、普段から飄々としていて掴みどころがない。だが、ミラージュの慧眼は見通していた……決していい加減な男などではないのだ。素性も知れぬレンジャーあがりが、どういう訳かその姿に一分の隙もない。その言動は常に先を見通して賢明だったし、不必要なことは口にしない男だ。
 ミラージュはそっと隣で尖る空気を和らげつつ、両者の間に口を挟んだ。
「理由ぐらいは聞かせてもらえるだろうか」
「勿論。その剣は、あの娘の魂なのです。片時も離さず、数多の戦場を共に駆け抜けた分身」
「ならば、尚更ではないか?」
「だからですよ、ミラージュ殿。シノビは太刀の扱いにも長けると聞いていますが。ヨタカ殿、どうですか?」
 不意に水を向けられ、ヨタカは曖昧に頷いた。もとより彼女の腕前はミラージュには重々承知。生半可な使い手では、剣での勝負でもヨタカを相手に後塵を拝することになるだろう。シノビは短刀を主に使うが、彼女の師である祖父シンデンは、その剣技すら孫に叩き込んだのだ。
 それを見抜いたエルトリウスの眼力に感心しつつ、ミラージュは言葉を待つ。
「その太刀でミラージュ殿の背をお守りください、ヨタカ殿」
「そ、それは」
「それがなずなさんの思いを生かすことになります。残されたこの太刀を、彼女の気持ちを生かすことに」
 改めてエルトリウスは太刀を手に取ると、そっとヨタカへ差し出してくる。
「……全部、わかってらっしゃるんですね」
「ずっと一緒でしたから。小さい頃からずっと、あの娘を見てきたもので」
 ミラージュがそっと促すと、ヨタカはその太刀を受け取り手早く背負って紐を結んだ。


「それではお預かりします。なずなさんが戻られるその日まで」
「ええ、お願いします」
「それと、エルトリウス様。……側にいるだけでは恋にならないこともあります。それだけは、どうか」
「……心得ておきましょう」
 このアーモロードに来て、ヨタカは強くなったとミラージュは思う。昔から気がきいて利発で、しかしどこか機械のようだった一面が影を潜めた。以前よりも瑞々しく生気に満ちて、ヨタカは多彩な表情を見せるようになった。それはミラージュの想いをより一層強くしている。そしてそれは恐らく、目の前の男も同じだろう。
 周囲の仲間達が一際騒がしくなったのは、こうしてミラージュ達が互いを確認しあっていた瞬間だった。
「全員集まってるかい? 忙しいとこごめんよ」
 我らがギルドの首魁、ギルドマスターのメビウスがその姿を現した。久々に見るモンクの法衣姿は今、普段通り三つ編みに結った髪を揺らしている。ここ最近は議会やら王族やらのパーティに出席したり、深都との調整役に引っ張りだこだったアーモロードの英雄。その名をやんわり拒む女性は今、深刻な表情で酒場の皆を見渡した。
「お前さんで最後だぜ、メビウス! 全員揃ってる、ソラノカケラもトライマーチも……あの娘以外は、な」
 既に一杯やってたコッペペが、おどけた調子でジョッキを掲げる。笑いが巻き起こって、緊張感が僅かに弛緩していった。
 そんな周囲の仲間達を、満足気に見やるメビウスと目が合った。ミラージュはただ、静かに頷いてやる。
「さて、良いニュースと悪いニュースがあるんだけど……どちらから話そうか? コッペペ」
「あー、そうさなあ。んー、こいつぁ悩むなオイ」
 ヒョコヒョコと前に出たコッペペは、一応はギルドマスターらしくメビウスに並ぶ。彼のしまらない顔を見て、メビウスも少し表情を和らげた。そして一言、しっかりと自分に言い聞かせるように言葉を紡ぐ。
「世界樹の迷宮に第六層が発見された。昏き海淵の禍神……原初の緑渦巻く奈落への深淵さ」
「ま、そゆ訳で全員に集まってもらった訳よ。で? メビウス、良い方のニュースはなんだ?」
 酒場のアチコチから笑いが起こる。これがミラージュ達にもたらされる悪いニュースならば、どれほど気楽なことか。だが、得てして最悪の事態は想定を上回る。コッペペを適度にあしらいつつ、メビウスは言葉を続けた。
「今のが良いニュースさ。で、悪いニュースは……リシュリーが行方不明になった」
 既にミラージュの耳にも入っていたが、改めてギルドマスターの口から告げられると身に応えた。あまり普段から接点はない少女だったが、会えばいつも優雅に挨拶をしてくれる娘だった。子供達は皆が皆仲良く、剣に生きるミラージュにとっては平和の象徴にすら感じられたものだ。
 それが今、彼の地に封印されしフカビトの創造主によって奪われたのだ。
 メビウスの口から語られた、フカビトの魔女達の情報を合わせた事実は冒険者達を黙らせてしまった。
 だが、それでもメビウスが悲観を表に現さないのは、彼女が熟練の冒険者だったから。絶望こそが真に人を殺すならば、常に希望を掲げて先を照らすのがリボンの魔女という生き方だった。彼女は例えいかなる残酷な現実にも耐えるし、いかなる過酷な真実からも逃げようとはしない。ただ仲間を信じてその進む先を示し、自ら先に立って共に歩むだけだ。
「さて、お集まりいただいた両ギルドの諸君。百戦錬磨の古参冒険者諸君。準備はいいかい?」
 メビウスは軽妙な口ぶりで仲間達を鼓舞するように語りかける。親しみを込めて。
「ぼく達の商売を始めようじゃないか、冒険者家業を。新しい迷宮があるんだ、やることは一つだろ?」
 そうだそうだと声があがって、口笛が鳴り響き喝采に酒場が沸く。その騒ぎを両手を軽くあげて制すると、メビウスは身を乗り出して全員に言葉を続ける。
「ぼく達は未知の迷宮を踏破し、たっぷり稼いで……仲間を助け出す。勿論、今回は危険が伴うことは百も承知だ」
 真祖との激戦を思い出し、ミラージュは固く握った拳の内に汗を感じる。まして今度は、行く手を阻むのはフカビト達の神かもしれないのだ。世界樹と対を成し、遥か空の彼方、星の海を渡ってきたという存在。世界樹がヒトの側で文明を見守るように、フカビトを生み出し己の尖兵とした禍神。今、封印されしその恐るべき力へと立ち向かう時を迎えているのだ。
「いいぜメビウス。オイラぁ付き合う。リシュリーちゃんはうちの身内だ、ありがてえくらいさ!」
「コッペペ、トライマーチのみんなもいいかな? 勿論、ソラノカケラのみんなも!」
 異を唱える者は一人もいなかった。それを確認するようにメビウスは、もう一度だけ全員の顔を眺めてゆっくり首を巡らせる。きっと彼女の目には今、仲間を奪還して迷宮の謎を解き明かそうとする、冒険者達の生き生きとした顔が映っているだろう。
「私もまた闘おう。クジュラ殿より託されたこの剣で。ヨタカ、お前と共に」
「はい、ミラージュ様。わたしがお守りします……なずなさんの剣と一緒に」
 そっとヨタカの肩を抱いて引き寄せ、決意も新たなミラージュ。彼はすぐ側で、嫌に冷たい凍れる闘気が静かに漲るのを感じていた。
「それと、親玉にはきっちり礼をしなければいけませんね。乙女の腕一本……高く付きますよ」
 二丁の拳銃を交互に懐にしまって、エルトリウスはいつもの微笑を帯びた細面でメビウスを見ている。
 ミラージュにはその横顔が、あまりに冴え冴えとして戦慄を覚えた。エルトリウスが怒りも顕にしているのは初めて見る。それは、手練のヨタカすら側にいて気付かず、周囲の仲間達さえ察知できない。あまりに静かに、エルトリウスは怒りの蒼い炎を燃やしていた。

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