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 その日、タルシスは活気に賑わっていた。カーゴ交易場では既に、ウロビトの里からもたらされた特産品が飛ぶように売れている。ひょろりと長く(はかな)げなウロビトの異様すら、あっという間に町中に溶け込んでしまったのである。タルシスは元来が開拓者の町、新しきものへの許容は常として発展してきた土地柄である。辺境伯のおふれもあって、歓迎ムードが隣境の賓客を包んでいた。
 そんな中、ポラーレは休む間もなく忙殺されている。
 辺境伯より新たに依頼された、臨時の見回りをこなしていたからだ。
「ポラーレ、あっちは片付いた。なに、交易の相場で少しもめての小競り合いだ」
「こっちも、納得してもらえた。と、思う……それで、いいよね?」
 ポラーレの前で白い顔の美丈夫が、解放されたウロビトたちを肩越しに見送っている。そして、ウロビトたちに難癖をつけていた商人を改めてポラーレは一瞥した。その翡翠色(アブサン)の冷たい視線に、萎縮しない者など数えるほどしかいないのだ。
「だっ、だだ、旦那が言うなら……そりゃ、あっしもふっかけすぎやしたが」
「ウロビトたちとは多分、これから長い付き合いに、なる。誠実な商売が、いいんじゃないかな」
「へぇ……ちっ、冒険者風情が。英雄扱いされてるからってよぉ」
 納得はしてもらえていない。自分でも誠実などという言葉は、歯が浮くという形容ですら足りぬ滑稽(こっけい)さを感じる。だが、これもクエストとして依頼された仕事だ。ポラーレは黙って、自分の屋台へと帰ってゆく商人を見送った。
 その時の顔に、あまりにも表情がなかったのだろうか? ぽん、と背を叩かれポラーレは隣を見る。
「気にしても始まらん。所詮俺たち冒険者は、根無し草の無頼漢(アウトロー)だからな」
 自身がそうであることを知るからこその言葉で、そう断言して体現するヨルンにポラーレも頷く。
 そうして二人は、賑わう大通りの見回りを再開した。人だかりでごった返す往来では、人間の文明に驚くウロビトや、ウロビトの工芸品に感嘆する人間がそこかしこで足を止めていた。小さなゴタゴタは頻発していたが、今のところ大事にはいたっていない。
 連れ立って歩き出したポラーレは、後を追いかけてくる子供たちに周囲を取り巻かれながらも先を急ぐ。
 その歩調に合わせて続くヨルンは、マフラーで口元を覆うと同時に小さく囁いた。
「……気付いているな?」
「うん。さっきから、ずっと」
 視線も合さず前だけを向いて、歩きながら二人だけの囁きを交わした。
 先ほどから、一定の距離を保っての尾行を二人は感じていた。同時に、気付いている素振りも見せず、決して気取らせずにポラーレは歩き続けた。こういう時は場数がものを言うし、今ままで生きてきたのはそうした場数に物を言わせた渡世(とせい)生業(シノギ)だから。それは恐らく、隣のヨルンも同じだろう。
「この歩幅は人間だな。それも、男だ。荷を背負っている、重い……しかし歩調に乱れはない」
「素人の尾行ではないね。こうも見事な気配の消し方は、そうそう見られない」
 つぶやくポラーレの薄い唇が、自然と冷たい笑みで弧を描く。そうして彼は、前から来た大きな荷車に道を譲って路肩へと身を寄せた。そうして追跡者の視界から僅かに消えた瞬間のできごとだった。ポラーレは両手に投刃を浮かべて握り、ヨルンもまた印を結んで術式を組み上げる。
 だが、追跡者もただものではなかった。
「やあ……怖いなあ。物騒なものはしまってくれないかな? 非礼は詫びるよ、ちょっと野暮用があってね」
 目の前を荷車の巨体が通り過ぎた、その向こう側に既に追跡者は追いついていた。
 巨大な荷物を背負った、無精髭の男……名は確か、ワールウィンド。彼はばつがわるそうに頭をバリボリと掻きむしると、なんの警戒感もなくポラーレたちへと歩み寄ってくる。ヨルンが処理を繰り上げ完成させた術式を実行しなかったので、ポラーレもまた黙って身の内へと投刃をひっこめた。
「周りくどいことをしてすまないね。内密に接触したかったものだから」
「……話を聞こうか」
「内容によっては、僕もヨルンも黙ってはいないと思う、けど」
 あくまで警戒心をとかない二人にも、ぼんやりと緊張感のない笑みを浮かべるワールウィンド。その手は不意に背中の荷物へと伸びる。酷く大きな背嚢(はいのう)は、どんな武器が潜んでいたとしてもおかしくはない。
 だが、ワールウィンドが取り出したのは意外なものだった。
 それをポラーレとヨルンが見るのは、この土地に来て二度目だったが。
「これを、渡そうと思って。君たちが戦ったあと、女王の玉座から発見されたんだ」
 それは、解読不能の文字を刻んだ石版だ。古びてところどころひび割れ欠けているが、以前も同じサイズのものをポラーレたちは手にしている。それは、北へと続く閉ざされた道をこじあける鍵だった。
 とすれば必定、二枚目の石版もそうである可能性が高い。
 ワールウィンドは、差し出しても二人が受け取る気配を見せないので、「ふむ」と困った顔を作ってみせた。
「……ウロビトたちが皆、満場一致で人間との協調路線を歩んでいる訳じゃないのは知ってるだろ?」
 ワールウィンドは、二枚目の石版を入手した経緯を語りだした。
 ウロビトたちの長老会議では、いまだ人間との融和に懐疑的なのだ。それで、この石版の処遇に関しても難色をしめしたという。それでもウーファンは英断を下し、これを人間の冒険者たちに委ねることにしたのだ。もちろん、ウロビトの文武双方を司る、方陣師たちを派遣して冒険に協力することも承知済みである。
 そのことをワールウィンドから聞かされ、次いで押し付けられるように石版を渡される。
「君たちはさらに北を目指す……違うかい? 俺も同じさ、ならこれは君たちが持ってるべきだ」
「自分では先に立つつもりはない? そうとも取れるが」
 ヨルンの疑問は当然だったし、石版を握りしめるポラーレの手にも力が籠もる。
 だが、ワールウィンドはゆるい笑みで肩を竦めるだけだった。
旗頭(フラッグシップ)は君たちのような人気者に譲るよ。いいかい、先頭に立つ人間には見栄えも華も要求されるのさ」
「だ、そうだ。どうする? ポラーレ」
「僕に異論はない、けど」
 自分にそうした魅力があるとは、ポラーレ自身は思えない。しかし、必要とあらばやってみせるという気概が彼の中に僅かに芽生えていた。事実、英雄視されるのはこそばゆいが、冒険者家業は収入も地位も安定していて暮らしやすい。なにより、愛娘の育つ環境としては恵まれたものだった。貴重な経験と知識、そして仲間たちや友人たち。
 今や知らず知らずにポラーレ、自他共に認めるいっぱしの冒険者だった。
「じゃあ、俺はこれで……」
 要件は済んだとばかりに、ワールウィンドは(きびす)を返した。
 だが、バックパックを背負う背中を、以外な声が呼び止めた。
「待て、ワールウィンド。二つばかり聞きたいことがある」
 ヨルンだ。彼は静かな声に有無をいわさぬ迫力をひそめて、胸元からいつもの小さな写真を取り出す。
 横目で見るポラーレは、友が大事にしているその光景が、いつ目にしても眩しい。
「……この女を見たことはないか? この地方へ向かう道中、消息を絶った。死んではいない筈だが」
 ポラーレは見逃さなかった。その時、ワールウィンドの目が僅かに揺れて震えるのを。
 本来ならばヨルンとて、些細な変化を見て取っただろう。彼が他者へ対しての冷静さを持つ普段通りならば。しかし、手にする写真に閉じ込めた女性が、その存在の重さが彼をただ一人の男にしていた。論理と合理が感情によってわずかに陰る。


「綺麗なご婦人だね。奥さんかい?」
「ああ」
「……悪いけど見たことはないな」
「エトリアの聖騎士と呼ばれた女だ。噂を聞いたことは」
「悪いけどここは辺境でね。中央の華やかさとは無縁なのさ」
 それだけ言ってワールウィンドは去ろうとする。
 だが、ヨルンの言葉はまだ終わっていなかった。そして鋭い洞察力と観察眼が戻ってくる。
「もう一つ聞こう。お前は冒険者、ワールウィンドという名で間違いないのだな?」
 流石のワールウィンドも眉を潜めた。質問の意図がつかめないからだ。もちろん、ポラーレにもわからない。名乗りを終えている男に名をただすというのは、一見して意味のない質問に思えたからだ。
 だが、氷雷(オーロラ)錬金術師(アルケミスト)に無駄な言葉はないとも知っている。
「質問の意味がわからないな。俺はこの街ではワールウィンドと名乗ってる。本名じゃないけどね」
「どんな通り名を名乗ろうが構わん。真の名を伏せる意味も理解しているが……」
 ――()()()()()()()で間違いないのか?
 ヨルンは再度そう問いただして、その名を持つ男の頷きを拾う。
 そういえば確か以前、コッペペも同じ言葉を重ねていた。ヨルンとコッペペ、人生の半分を迷宮で生きてきた生粋の冒険者たち……彼らがワールウィンドに抱く疑念とは? そして、ポラーレが見て取った、写真を見た時のワールウィンドの心中とは?
 だが、ワールウィンドはなにも言わずに去っていった。
 背中を見送る二人の周囲に、祭にもにた喧騒が戻ってくる。
「ヨルン、その……今のは」
「いや、俺の勘違いであればいいのだがな。まだ、確証はないが……あの男」
「なにかある、それは僕も感じていた。それがなにか、わからないけど」
「ああ」
 二人は互いに顔を見合わせ、去ってゆくワールウィンドを注視する。
 まるで全財産を背負って歩くような背中は、行き交う人々の歓声の中へと消えていった。

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