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 ポラーレの手からこぼれ落ちてゆく、命。
 エクレールの一撃を真正面から受けたヨルンは、おびただしい出血でピクリとも動かない。その身体がどんどん軽くなってゆくのが、抱きとめるポラーレにはつぶさにわかった。だが、苦悶するエクレールに変わって、目の前には……帝国の筆頭騎士、ローゲル。
 更には退路を断つように、ラミューそっくりな人形たちがずらり居並ぶ。
「ちっきしょぉ、どうする旦那! こういうのはあれだぜ、ええと……禅問答のなんとかだ」
「前門の虎、後門の狼でしょうか」
「それだぜ、騎士のあんちゃん!」
 ラミューをかばいつつ剣を構えるクラッツと、辺境伯を守るレオーネと。二人のやりとりを背中で聞きながらも、絶体絶命のピンチにポラーレは身動き一つできない。
 かつて、ここまでのプレッシャーを受けた相手は数えるほどしかいないから。
 静かに砲剣を構えたローゲルは、僅かばかりの隙も見せようとしなかった。
「これは、まずいね……どうにかして、活路を――」
 ちらりと視線を走らせれば、どうやらエクレールはもう戦力としてカウントする必要はないらしい。今は寄り添うバルドゥールすら、ただの青年に戻ってしまったかのようで。先ほどの皇子としての威厳はもう、そこに見て取ることはできなかった。
 だが、そんな二人を背に庇うローゲルの眼光は鋭い。
 さてどうしたものかとポラーレが焦れていると、
「ローゲル卿! プロト・ゼロは無傷で回収したいわ。できるかしら? いいえ、そうしてちょうだい!」
 不意に現場がさらなる混乱に陥ってゆく。
 突然、白衣姿の女が皇子たちの背後に現れた。
 その姿を肩越しに振り返り、ローゲルは一言「カレン・カンナエ……教授」と呟いた。カレン・カンナエ、それが女の名か。カレンは神経質そうなつり目を細めているが、その顔立ちにポラーレは見覚えがある。それはどこか、ラミューに似ていた。
 だが、面影があるだけで、そのヒステリックな表情は似ても似つかぬ冷たいものだった。
 そのカレンが、いらだちを隠さず金切り声を張り上げる。
「とうに諦めていたプロト・ゼロが生きてたなんて……回収してデータを取るチャンスよ」


 その時、ポラーレの胸中にドス黒い暗雲が広がっていった。
 大体の話を察した瞬間にはもう、彼は言い知れぬ憎悪と憤怒で静かに張り詰めてゆく。
 どうやら、あのカレンとかいう女は、ラミューの創造主(ははおや)らしい。そしてその義務を忘れたまま、権利だけを主張しようというのだ。そういう人間をポラーレは、一人だけ知っている。鏡を見る度に思い出すことができるのだ。
「……気に、入らないね。気に入らない、よ……!」
 ぞわわ、とポラーレの影が泡立つ。その全身を包むクロークが、まるで逆巻く炎のように揺らめき始めた。だが、一瞬我を忘れそうになるポラーレを、腕の中の友が平静へと繋ぎ止める。
「……逃げ、ろ……ポラーレ」
「ヨルン! 喋っては、いけない。これ以上は」
「俺を……置いて、逃げ――」
「馬鹿を! それは、できない。できない、けど」
 ジリジリと背後の人形兵たちが、怜悧(れいり)な殺気を研ぎ澄ましながら包囲を狭めてくる。身を寄せ合うポラーレたちは、もうすでに肩と肩とが触れ合う距離に押し込められていた。
 そして、ついに前門の虎が牙を剥く。
「コラッジョーゾ卿から聞いてはいるだろうが……帝国騎士が誇る砲剣は、一撃必殺」
 低いモーター音が唸りをあげて、ローゲルの振り上げる剣が炎を纏う。
 周囲に気を配りつつ、防御に身を固めたその瞬間……ポラーレのすぐ真横を火炎の猛撃(ランページ)が通り過ぎた。ローゲルの一撃は、ポラーレたちに身動き一つ許さぬまま、無拍子に放たれたのだ。
 一拍の間を置いて、ローゲルの剣筋が生み出した真空空間を埋めるように、風が吹き荒れる。
「くっ、なんて太刀筋! だが、これは……」
「ええ。ポラーレ殿、クラッツ君も! もしやローゲル卿は――」
 そんな、まさかとクラッツが口を挟むも、レオーネの言う通りに違いなかった。
 ローゲルは自らの剣で、ポラーレたちを包囲する人形兵を薙ぎ払ってしまったのだ。そして、二の太刀を繰り出すでもなく、悠々と刀身を冷却している。
 そのローゲルが、これみよがしにわざとらしい独り言を呟いた。
「刀身が灼けたか……これでは追撃は叶わぬ。モーターも調整不足のようだな」
「……借りを作った、ということかな?」
「決着はつける。だが、今がその時ではないということだ」
「なら、逃げの一手、だね……退くよ、みんな」
 ローゲルの剛剣がこじ開けた包囲網の穴へと、ポラーレはヨルンを担いで疾駆する。たちまちその間隙を埋めるように、人形たちが殺到して槍を繰り出してきたが――
「オラオラ、どきやが、れえええええっ! 俺ぁ女は、斬らねえんだ、よぉ!」
 たちまちクラッツが当て身で蹴散らす。
 どうやらラミューそっくりの人形たちは、個々の能力はラミューに遠く及ばないようだ。それでも、ポラーレは精密機械のような統率力に戦慄を禁じ得ない。彼女たちは一糸乱れぬ連携を取ると、抜きん出た冒険者たちを影のように追ってきた。
 まばたきすらせぬ餓狼(がろう)の眼差しが、無表情に背後より次々と追いすがってくる。
 このままでは追いつかれる……そして、数で割り込まれればアウトだ。辺境伯や戦意喪失したラミューを守り、あまつさえ重傷のヨルンを抱えた身では逃げ切れない。ならばと思ったその時だった。
「ポラーレ殿! ゆかれよ! ここは私がッ!」
 真紅の鎧をガシャリと鳴らして、レオーネが一人身を翻した。
 その手に輝く砲剣が、発火用電源を投入されて唸りを上げる。
 だが、敢えて強力なドライブを放つことなく、レオーネはその巨大で重い刀身を巧みに操って人形の群を退け続けた。
「さあ、ポラーレ殿! 辺境伯を連れて気球艇へ」
「レオーネ君、君は」
「心配は無用です! 何故ならば……仲間を守り活路を開くは、これ騎士の(ほまれ)なり!」
 雄々しく叫んだレオーネは、脚を止めて人形たちと打ち合う。無数に伸びる槍衾(やりぶすま)の中、彼は巧みな剣捌きで煌めく穂先を切り払う。それでも二発三発と被弾すれば、ラミューのデッドコピーたちは我先にとレオーネの死角から傷だけを狙って殺到した。
 だが、レオーネは一歩も惹かずに獅子奮迅(ししふんじん)孤軍奮闘(こぐんふんとう)で追撃を食い止める。
「っし、エスプロラーレだ! 旦那、はやく辺境伯を。俺ぁ、騎士のあんちゃんを手伝うぜ!」
「……駄目だ、クラッツ君」
「でもよ、旦那ぁ!」
「今は辺境伯の安全が第一、それに……ヨルンの出血が酷い。早く運ばないと手遅れになる」
「くっ! ちくしょう……ちっくしょぉぉぉ!」
 ポラーレの苦渋の決断に、追い付いてきたレオーネが頷く。彼は同時に、気球艇エスプロラーレを係留していたロープを切断した。ゆっくりと南の聖堂が、レオーネの背中が離れてゆく。
 ポラーレはその手を伸ばして身を乗り出し、声を限りに叫んだ。
「レオーネ君、手を! 飛び移るんだ」
 だが、肩越しに振り返るレオーネは……静かに微笑を返すと、背中でエスプロラーレを見送った。
 そして、そんな彼の前に……美しき死神が立った。
「おのれ……おのれぇ、冒険者! グッ、頭が……だが、斬るっ! 殿下のために!」
 美貌を苦痛に歪めながら、エクレールが砲剣を引きずり現れたのだ。その刃はヨルンの血に濡れ、冷却の余波でジュウジュウと音を立てている。
 般若(はんにゃ)のごとき金髪鬼(きんぱつき)を前に、手負いのレオーネが逃げる気配は、ない。
「お相手いたす」
「……見事。手出しは無用だ、人形共を下がらせろ! コラッジョーゾ卿の相手は、私だ!」
 その時初めて、レオーネの構える砲剣がドライブを励起(れいき)させる微動に震える。
 エクレールもまた、頭痛を振り払うように金髪を振り乱して、大上段に砲剣を構えた。
「レオーネ君っ!」
 ポラーレの絶叫と同時に、二人の騎士は地を蹴った。
 そして、甲高いドライブ音の二重奏が……暁の騎士を鮮血で染め上げる。レオーネはなで斬りにされて血柱を吹き上げると、鎧の破片を振りまきながら森へと吹き飛ばされていった。

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