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 愛しのコッペ様こと、コッペペとのお出かけ。
 シャオイェンは今日という日、小さな胸を張り裂けんばかりに高鳴らせた。
 もっとも、コッペペの外出にシャオイェンが勝手に押しかけた形だったが。コッペペは駄目とは言わなかったし、シャオイェンも行き先を知って落胆したりもしなかった。
 二人は今、寒風吹き荒れる凍土を谷へと下っている。
「風が強えな、おい……シャオ、手だ。オイラと手を繋いでな」
「はっ、はいですぅ!」
 コッペペの手の平は、広くて大きくて、そして暖かかった。
 ぶら下がるようにして手を繋ぎながら、シャオイェンは吹雪の先へと目を凝らす。
 視界が不意に開けると同時に、小さな小さな(いおり)が眼前に現れた。
「コッペ様、小さいお家ですぅ〜……ちょっと、素敵かもです」
「はは……遅かったみたいだな」
 その時シャオイェンは、見上げたコッペペの表情が陰るのを察した。同時に、視線を放る先に見知った人影が立ち上がったのに気付く。
 シャオイェンたちを認めて、一礼するのはミツミネだ。
「コッペペ殿。……今、ちょうどミナカタ殿にもお話をしておりましたが」
 シャオイェンは、凍てついた空気が重く沈殿しているのを敏感に察する。こういう時、子供の感性というのは鋭敏で、それでいて繊細だ。だから、ミツミネが再び座った、その隣にいる男へ自然と視線が吸い込まれる。
 ミツミネと同じイクサビトの男が、黙って庭の片隅で切り株に腰掛けていた。
 その背後には、小さな小さな墓があった。
 墓標代わりに突き立つのは、あの帝国のインペリアルとかいう騎士たちが使う、機械じかけの巨大な剣だ。
「悪いな、ミツミネ。オイラも埋葬は手伝おうと思ってたんだがよ」
「既に荼毘に付しました。今は弔いを」
「付きあうぜ。そっちが?」
「ええ、同胞ミナカタ。かつて里で将の(ほまれ)と謳われた方です」
 ミナカタと紹介された男は、立ち上がると無言で深々とコッペペに、次いでシャオイェンに頭を垂れた。筋骨隆々たる長身が今は、どういう訳か小さく見える。
 緊張に礼を返したシャオイェンは、自然と墓へと瞳を向けてしまう。
 無言で説明を強請(ねだ)るシャオイェンの代わりに、コッペペは重々しく口を開いた。
「お悔やみ申し上げるぜ、ミナカタの。……いい女だったかい?」
「唯一にして無二の友だった。俺には……それ以上の存在だった」
 ミナカタの声は低く重く、多くを語らないのにシャオイェンの耳に浸透してくる。同時に、キクリやイナンナといったギルドの姉様方から、風変わりなモノノフの話を聞いていたのを思い出した。
 その男は、巨人の呪いを患わった女騎士のために、世捨て人になったという。
 男の名はミナカタ……里での将来を約束されて尚、その未来より友を取った人物だ。
 そのミナカタは、コッペペに(さかずき)を渡して酒を注いでいる。
 墓には花もなく、ただ異形の大剣だけが雪化粧に屹立していた。
「コッペ様……シャオ、花を摘んでくるです! これじゃ、あまりにも寂しいですぅ!」
 コッペペの手をおずおずと離すと、シャオイェンは走り出す。この凍土に咲く花など、走る限りに走っても見つかるかどうか……だが、それでも彼女は探さずにはいられなかったし、彩りのない風景に沈む大人たちが見ていられなかった。
 子供ながらにシャオイェンにもわかる、子供だからこそ感じる。
 大人たちが酒を交わして弔う中、自分にできることは少ない。少ないが、決してない訳ではないのだ。
「もぉ、コッペ様ってば手ぶらでくるんですからぁ、言ってくれればシャオが……あっ!」
 頭上を嵐が行き来する谷底とはいえ、吹き込む風は冷たい。
 それでも、切り立つ崖の(ふもと)には小さな花が身を寄せ合うように咲いていた。早速手を伸ばして、根こそぎ摘み取ろうとしたが……手を止めシャオイェンは、その半分だけをそっと手に取る。雪よりも白い花びらは風に揺れて、今にも散ってしまいそうだ。
 胸に花を抱き寄せ、息せき切ってシャオイェンは走り出した。
「コッペ様ぁ! 皆様もっ! お花を、ハァハァ、摘んで、きま、キャッ!」
 転げるように走って、文字通り転んで丸まった。胸に抱く花を守って、シャオイェンは雪まみれで立ち上がる。抱き上げてくれるコッペペが、そのまま彼女を腕の中に持ち上げてくれた。
 そして、顔をあげれば目の前にミナカタが立ち上がっている。
「あっ、あの……これ、お花ですぅ! 供えて、あげて……ですぅ」
「……ありがとう、ウロビトのお嬢さん」


 小さな震える手で、シャオイェンは花を差し出す。
 ミナカタは不器用に笑うと、それを受け取り墓の前に屈んだ。そのまま随分長い時間、彼は花を手に動かない。まるで、物言わぬ墓と語らっているかのようで、シャオイェンは見守るしかできない。憧れのコッペペの胸に抱かれているのに、そのときめきすら忘れてしまう。
 ようやく花を供えてミナカタが立ち上がった時、ミツミネが重い口を開く。
「ミナカタ殿。此度は重ねてお悔やみ申し上げる。されど、されど! 非礼を承知でお願い申し上げる! このミツミネ、素っ首かけて願い奉る!」
「……帝国の件、だな」
「はい。冒険者たちは帝国の非道を正し、巫女の救出を……されどレオーネ殿は生死不明、ヨルン殿はまだ意識が戻らず……しきみ殿もなずな殿も戦闘不能。人手が足りぬのです」
 ミツミネの、己を噛み締めるような告白にコッペペが続いた。
「ミナカタの旦那、よければ力を貸しちゃくれねえかい? 帝国騎士だったツレのためにも……今、力を束ねて誰かが起たなきゃよう。帝国のあやしげなくわだてが世界を飲み込んじまう」
 だが、ミナカタは切望に質問を返してきた。
「……話は、聞いている。その、ポラーレなる男……どういう人物なのだ」
「真っ直ぐで、正直な奴さ。闇を知り影に生きてきた、そういう哀しみを最近はわかりはじめている。が、純粋すぎて危ういから……オイラたちのような(ワル)がついてやらにゃあならねえ」
「ふむ。信用に値する男……(おとこ)なのだな。ミツミネ、これを」
 ミナカタは不意に腰の太刀を鞘ごと引き抜くと、ミツミネに突き出す。
「これは……姫鶴一文字(ひめづるいちもんじ)! ミナカタ殿の愛刀では」
「ミツミネ、俺に代わってその者を……ポラーレとやらを支えよ。三つの種族の気持ちと意思が交われば、必ずや悪は倒されよう」
「し、しかしミナカタ殿は……はっ!」
 ミツミネが言葉を失う気配が、シャオイェンにも伝わった。同時に、彼女もまたミツミネが見てしまった光景に目を見張る。
 剣を差し出すミナカタの腕には、既に無数の蔦が茂って覆い、着物の奥へと続いているのだ。
 それは、忌まわしき巨人の呪い。
「……俺の身体も長くは持たん。されば、俺は俺でケジメをつけてくれよう。なに、ミツミネ……お前ならば大丈夫だ。次代の将たる器、この俺の目に狂いなどない。よいか?」
「クッ……委細承知っ!」
 短いやりとりを終えると、シャオイェンとコッペペにも一礼して、ミナカタは歩き出す。その足取りが谷の向こう、吹雪の彼方へと消えるまで、気付けば三人は微動だにせず見送っていた。シャオイェンにもわかる……あの男は死ぬ気だ。
 だが、シャオイェンに止められる筈もなく、誰も止めようとはしなかった。
「コッペ様……ミツミネ兄様も。どうして……どうして、あの方は」
「男ってイキモノはな、シャオ。見栄とか仁義とか、義理とか覚悟とか、そういうのを飲み込んで進むしかねえ時があるのさ」
 黙って頷くミツミネが、珍しく目元を手で抑える。
「……コッペ様も、そうなのですかぁ? だったらシャオ、悲しいですぅ〜」
「オイラはそう綺麗にゃできちゃいねえさ。けど、けどよ……」
 既に吹き荒れる風の向こうへと、去ったミナカタの姿は見えない。
 そして、不意に気配もなく背後から声が降ってきたのは、その直後だった。
「ヌゥゥゥウ! あのっ、馬鹿者めがぁ! 一人で()きよったか!」
 振り向けばそこには、巨木を肩に担いだアラガミの巨躯があった。彼はドシドシとミツミネの横を通り、墓から剣を引っこ抜くや……代わりに持ってきた樹木を突き刺すように植える。
「アラガミ殿!? そ、それは」
「なに、花を探しておったが、なかなかいいのがなくての! 隣の第二大地へ赴き、一番枝ぶりのいいのを引っこ抜いてきたわ! ワッハッハ……雷竜に追い回されエライ目にあったわい」
「は、はぁ」
「それにの、この剣はまだ生きておる。魂のそよぐ声がワシには聴こえるわい! 墓標と朽ちるにはまだ早い……されば!」
 言うが早いか、アラガミは手にした砲剣を……ミナカタの去った北へとブン投げた。
 (ごう)! と空気が唸って断ち割れた。低く垂れこめた雲を引き裂き、あっという間に嵐を消し去って、空の彼方に剣は光と消えてキラリと光る。大人たちが唖然とする中、アラガミの笑い声を聞きながらシャオイェンは祈った。願わくば、次は笑顔でミナカタと再会できる日を、と。

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