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 紳士淑女の集う宮中に、異国の巫女シウアンの歌声が響き渡る。
 楽団(オーケストラ)の演奏さえ圧倒するその声音は、どこか悲しげに切なくたゆたった。
「あれが、遠く南より連れて来られた巫女……まだ年端もゆかぬ少女ではありますまいか」
 久々の晩餐会に招待された男は、料理の皿を片手に溜息を零す。嘆かずにはいられないのは、そのことだけではない。名はプレヤーデン・ナカジマ、普段は工房に引きこもっている砲剣技師だ。根っからの帝国臣民であるプレヤーデンから見ても、目の前の光景は酷い。なまじ綺麗できらびやかなだけに、酷く退廃的だ。
 玉座におわします皇子殿下の側には、魔女と噂される素性不明の女騎士。
 誇り高き騎士たちに代わって警護に立つのは、鉄仮面(フルフェイス)を被った人形のような少女兵だ。
 帝国は変わった……変わってしまったのだ。
 今宵プレヤーデンを招待した女は、そのことを見せつけたかったのだろうか?
 プレヤーデンは溜息を零して、懐から招待状を取り出し、差出人の名を読み上げる。
「ファルファラ……どちらのファルファラさんでしょうかねえ。ちと見ない名前ですな」
 その時、周囲の男たちをやんわりと制しながら、一人の貴婦人がプレヤーデンの前に立った。褐色の肌に白いドレスが映える、気品に満ち溢れた優美な姿だった。思わず見惚れていると、
「プレヤーデン・ナカジマ様で? わたくしがファルファラですわ。本日はようこそ」
 ファルファラと名乗った女は、そっとプレヤーデンの手を取り歩き出す。そうして壁際へと彼を押しこむようにして、ファルファラは胸の谷間から小さな紙片を取り出した。
 渡されるままに受け取ったプレヤーデンは、なにがなにやらわからぬままそれを開いた。
 瞬間、砲剣技師としての血が酒精を追い払って覚醒する。
「こ、これは!? ……設計図ですな。しかもこの線、このパーツの合い……なんというライン」
「新造した方が早いらしいけど? まあ、騎士さんにはこだわりもあるらしいのよ」
「となると、余程の名刀か……搭載モーター、フォルゴーレ? で、では……!」
「因みに図面を引いたのは小さなお嬢ちゃんだそうよ。ピッコロ社って町工場(まちこうば)のね」
「なんと!? フィアットの傘下にたしか、そういう名のいい仕事をする工房があったかと」
 ファルファラが本性も顕に口調も声色も変えたが、プレヤーデンの耳には入ってこない。彼は目の前に突きつけられた図面を読み取り、あっという間に強度計算を終え、若き才能に先ほどとは別種の溜息を零す。
 それは、いうなれば温故知新……古い刀身を極力残した上で、新たな力を宿そうというのだ。
「ふむ、刀身の取り付け角度を0.2度ほど使い手側に。それだけで随分と扱いやすくなるのですが」
「わかったわ、気が向いたら伝えといてあげる」
「貴女は、これを見せるために私を晩餐会に?」
「ふふ、それもあるけど。会わせたい子がいるのよね。ちょっといいかしら……ほら、あの子」
 訳もわからず、何度も芸術品のような図面を食い入るようにプレヤーデンが眺めていると。そんな彼の前に、少年とも少女ともわからぬ不思議な騎士が現れた。中性的な顔立ちを仮に彼と評することにして、プレヤーデンは差し出される手を握る。まだ十代の子供の手だ。
「はじめまして、プレヤーデン・ナカジマ卿。自分はブリタニアから来た駐留武官、ナルフリード・ドレッドノートと申します。ファルファラ殿のご紹介で、その、実は」
「彼、砲剣に興味があるらしいのよ。そこで、帝国でも一番詳しい人間を引きあわせた訳」
 プレヤーデンは少女の柔肌のような手を握り終えてから、再度目を見開いてナルフリードを凝視してしまった。ブリタニアのナルフリード……その名はこの帝国でも知る人ぞ知る悪名だ。円卓外の13(アウト・オブ・ラウンド)破戒の狂騎士(クリミナル・センチュリオン)……殺戮と破壊の代名詞。
 だが、目の前にいるのは、そんな言葉の似合わぬ気弱そうで柔和な少年の微笑だ。
「帝国の技術、直接目にできればと……っと、姉様、そういうのはお行儀がよくありませんよ? いけません、ナカジマ卿にだって都合があるのですから。あ、失礼しました」
「? は、はぁ」
「砲剣と呼ばれるインペリアルの武器を、俺たちにも見せて欲しいのです。無論、機密に関する部分は伏せてもらって構いません。……姉様、お静かに。いけませんよ」
「そ、そういう話でしたら……構いません、が。俺たち、というのは?」
「あ、ああ、はい! その、ええと……うん! 親友のヴェリオがですね、俺のお目付け役ですが、彼も見たいかなと……は、ははは」
 妙な独り言を会話の節々に挟むのは、この少年の癖だろうか?
 (いぶか)しげなプレヤーデンの視線に気付いたらしく、ナルフリードは引きつった苦笑に口元を歪める。その姿は礼服が霞む程に見目麗しいが、どこか影があって気になった。
「じゃ、この辺で私は失礼するわ。あとは……最後の出し物、楽しんで頂戴」
 妖しげな微笑を残して、ファルファラが一礼するや身を翻す。たちまち彼女の姿は、談笑する男女の向こう側へと見えなくなった。
「最後の出し物? と、いいますと……」
「さあ? ファルファラ殿は巫女様の家庭教師をされてる方ですが、不思議な女性です」
「え、ええ」
 ナルフリードと顔を見合わせ、プレヤーデンが小首を傾げた、その時。
 不意に優雅な音楽が中断され、広いホールに悲鳴と絶叫が木霊(こだま)する。
「くっ、くせものーっ! であえ、であえーっ!」
「騎士団、集合! 殿下をお守りしろっ!」
 誰もが声のする方を振り向くと同時に、騎士たちが殺到するホールの入口を衝撃が突き抜ける。屈強な帝国騎士が、大勢吹き飛ばされて床に転がった。その穴を埋める用に群がる鉄仮面の人形兵たちも、煙の中から歩み出た人影に触れることすら叶わない。
 そして、どよめきに包まれたままプレヤーデンは煙の中に……修羅を見た。
 ――着流し一枚を身に纏った、人狼がそこには立っていた。
 武器は持っていない。異国の着物姿で、懐手に腕を温めたまま、彼はゆっくりと下駄を鳴らして歩み出る。再び襲い掛かった者たちは皆、鉄兜を割られ、次々と同じ顔をさらしたまま崩れ落ちた。
 牙も顕に低く唸る人狼は、徒手空拳の早業で見えぬ手刀を繰り出しているのだ。
「くっ、いけない! ナカジマ卿、他の方を避難させてください! 俺があの者を食い止めます」
「まっ、まま、待ち給え! あれは――」
 ナルフリードは混乱する貴族たちをかき分け、行ってしまった。
 相手の恐ろしさも知らずに。
 だが、あれこそが南の大地、凍土に生きるイクサビト……モノノフではないのだろうか? 一騎当千、一人が一軍に匹敵すると言われる武人に間違いない。獣人たちはその力で冷たい凍土を生き抜き、今また邂逅(かいこう)した人間たちとともに北上してきたのだ。
 そして、空気を震わす怒号にシャンデリアが揺れる。
「イクサビトが一人、ミナカタ推参っ! 奸賊バルドゥール、お命頂戴致す! 命惜しさに退かば斬らぬ……されど退かずば、我が友モリエガに代わって俺が斬るッ!」
 叫ぶと同時に、獣人のモノノフはもろ肌脱いで天に吼える。
 なんとか体勢を立て直した人形兵や騎士たちが、ようやく包囲網を完成させた、その時だった。不意に天井を突き破り、なにかがミナカタと名乗ったモノノフの足元に突き立った。
 それは、一本の砲剣だった。
「なにっ、誰が?」
「まて、アレは――」
「馬鹿なっ、この駆動音……ありえぬっ!」
 動揺が広がる中、プレヤーデンもはっきりとこの目で見た、確かめた。なにより耳に聴いたのだ。ミナカタが床より片手で軽々引っこ抜く、遠く空より飛来した砲剣。その名は――


「ばっ、馬鹿な……近衛限定砲剣"(ゼロ)"!? 現存する筈は、なにせ近衛騎士は皆、先代皇帝陛下と南へ……はっ!」
 プレヤーデンは咄嗟に理解していた。
 幻の砲剣と呼ばれる、近衛限定砲剣"零"……かつて、帝国皇帝の親衛隊のみが所有を許された砲剣である。それを持つ者は皆、皇帝とともに南へと渡り、消息不明となった筈であった。
 誰もがあっけにとられる中、抜剣の煌きを手にナルフリードがミナカタの前に立った。
「くっ、皆様はお下がりを! 俺がでしゃばらせてもらいます、さあ! 並の腕では、彼は」
 それはプレヤーデンにもわかる。そしてすぐさま周囲の貴族や招待客に伝わっていった。
 華の宮中晩餐会はあっという間に、阿鼻叫喚の地獄絵図と化す。誰もが逃げ惑う中、プレヤーデンは一歩も動けない。剣を構えて客たちを逃がしながら、ゆっくりと間合いを詰めるナルフリード。その前に今、鍛えあげられた鋼の肉体をさらした孤狼が立ちはだかっていた。
 プレヤーデンは、ミナカタが肩に担ぐ一振りの砲剣からもう、目が離せずにいた。

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