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 第六迷宮、暗国ノ殿(アンコクノアラカ)を探索し始めて、既に二週間が経っていた。
 その進捗(しんちょく)状況は、遅いが遅過ぎず、早いとも言えないが手抜かりはない。一流の冒険者たちが挑むに相応しい、まさに魔宮としか言えぬ迷宮の調査は続いた。いつ終わるとも知れぬ闇の中を彷徨(さまよ)い、日に数フロアしか進めぬまま罠と魔物に阻まれる。
 そんな地道な探索の成果は、少しずつだが冒険者たちの前に全貌を現していた。
 呪いを封じ込めし場所……その最奥に潜む災厄。
 今、ポラーレの前に、恐るべき邪悪が姿を表そうとしているのだ。
「ごめん、遅れたね。もう始まってる?」
 いつものメンツが囲むテーブルへと、ポラーレが顔を出す。(おど)孔雀亭(くじゃくてい)の一角で、馴染みの仲間たちが出迎えてくれた。端のテーブルに陣取り、皆が(さかずき)片手に地図やメモを広げている。
 冒険のあとの慰労を兼ねた酒宴と、今後の方針を決める打ち合わせだ。
 すぐにポラーレが空いた席に座ると、グラスが運ばれ酒が注がれる。
「なに、今始まったばかりだ。地図を確認していたのだが」
「まあ、まずは乾杯と行こうぜ? なにもそう、面倒な話じゃねえ」
 ヨルンの声にサジタリオが言葉を挟んで、銘々に盃を手に取る。この場にいるのはヨルンとデフィール、そしてサジタリオだ。他のメンバーには休んでもらって、夕暮れ時を自由に過ごしてもらっている。
 勿論、ポラーレとて肩肘張った集まりにするつもりはない。
 乾杯を祝う硝子(ガラス)と硝子の音が響いて、ひとまず誰もが今日の無事に感謝して杯を乾かす。ポラーレもアブサンを口に含んで、その灼けるような冷たさに喉を潤した。
 すぐには作戦会議は再開されず、各々がメニューを手に取った。
 先ずは腹ごしらえということだろうし、ポラーレもサジタリオが差し出すままにメニューを開く。さして食に頓着(とんちゃく)がある方ではないが、ここの料理はどれも美味しかったし、ポラーレは特に季節の物を食べるのが好きだった。
 さてどうしようかと思案していると、向かいでウェイターを呼ぶ手があがった。
 ヨルンの妻デフィールはメニューを指差し、ズガガガガ! と注文し始める。


「もうカニがあるのね、これは? ふぅん、幻の黄金タラバ(ガニ)、ね……じゃあ、これをコースでもらうわ、四人分で。それと、秋野菜の気まぐれサラダをボウルで頂戴。肉料理は鹿がいいわ、今朝グルージャとラミューが(いち)に出した物を仕入れてるでしょう? そうよ、それそれ。それをローストして、あとは適当に頼むわ。他には手早く出せるものを三皿くらい、前菜でね。ええ、女将に言えばやってくれてよ? それから……ポラーレ、悩んでるならキノコになさい! キノコよ、キノコ……あらやだ、あまり食べたことない? ふふ、そう。今度ファレーナに言ってシチューでも作ってもらうのね。ウロビトは煮物に入れるらしいけど。ああ、それと――」
 ポラーレはメニューを持ったまま、ぽかーんと女傑の横顔を眺めるしかない。サジタリオも同様の表情だが、デフィールは気にした様子もなくテキパキと注文してゆく。勝手に仕切っているが、文句を言う必要がなさそうな内容なので、慌ててポラーレはこの秋の季節の限定料理を確認した。
 キノコのグラタンだとか、他にはそのままの網焼きだとか、どれも美味しそうだ。
 春夏秋冬のそれぞれにしか味わえぬ(しゅん)を食べる時、それを美味しいと感じる時、ポラーレは自分も人間に似てる気がするのだ。人間を真似て擬態した自分が、その感覚と感触だけは同じになれたような気がする。
 それに、ポラーレは存外不器用な男だ。
 だから、季節の物が出たから食べに行こうよ、というのは……好意を寄せてる女性を誘いやすくて、それも好ましい理由の一つだった。
「それからデザートは、そうね。ねえ、この間うちの子たちが……そうそう、メテオーラたちが食べてたあれはなにかしら。まあ、栗のアイスクリーム? いいわね、じゃあそれを人数分、それと――」
「ん、んっ! ……デフィール、そのくらいにしておかないか」
「あら、そう? まあ、そうね。 じゃあそれでお願いするわ」
 夫のヨルンが(たしな)めると、苦笑するウェイターをようやくデフィールは解放した。そうして彼女は、ヨルンの差し出すボトルからグラスにワインを注いでもらうと、それに口をつけてからテーブルの上に目を落とす。
 ポラーレも彼女の視線を追えば、二つのギルドの半月の成果が広がっていた。
「さて、落ち着いたとこだし、始めましょうか」
「ああ。ヨルンもデフィールも、見てくれ。こっちが地下二階の地図だ。ほぼ全て埋まってる……そして、地下三階への階段も見つかってる」
 サジタリオがビールの大きなジョッキを置いた手で、地図の一点を指差す。
 暗国ノ殿、その地下二階は率直に言って地獄だった。灼熱に燃える(いばら)が敷き詰められた大広間は、先が見渡せない程に広大で距離感と方向感覚を殺してくる。歩くだけで体力を消耗するそのフロアには、南瓜(かぼちゃ)の魔物が無数に跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)しているのだ。
 また、別ルートに進めばその先は見えない迷宮……松明(たいまつ)の光さえ先へと進めぬ暗闇の中、不可視の壁がポラーレたちの行く手を遮った。見えぬ壁は触るだけで、冒険者たちを迷宮の入り口へと転送した。そう、不思議な旧世紀の技術で作られているらしく、透明な壁に触れれば振り出しに戻るのだ。ポラーレたちはその触れた壁を地図に記してから、また一から歩き直した。地下三階への階段が見つかるまで、その繰り返しを強いられたのである。
 そのことをポラーレが振り返り思い出していると、サジタリオが話を進めてくれる。
「現在、地下二階のまだ解明されてない部分をトライマーチが埋めてくれてる。宝箱の(たぐい)もあったし、重要な文献の数々が拾えた。どうも、あの場所は……暗国ノ殿は、あれだな。世界樹で第四大地を蘇らせようとした、旧世紀の先史文明が築いた遺跡らしい」
「だな。嘗て遥かなる太古の昔、あの土地は今と同じように死滅しようとしていた。なにがあったかはわからん。だが、土は腐って朽ち果て、植えた作物は実る前に化石となる。そういう時代があったとだけ記されている。そして、その宿業(さだめ)に逆らおうと古代の人々が叡智(えいち)を結集して生み出したのが……世界樹だ」
 そう、ポラーレも冒険の要所要所でその言葉を、意思を拾っていた。
 遥か太古の昔、旧世紀と呼ばれる時代の人たちが残した、それは希望へ(すが)って明日を夢見た残滓だ。だが、それはポラーレのような出自のモノには傲慢(ごうまん)に見える。
 冒険の末にポラーレたちヴィアラッテア、そしてトライマーチが得た情報は多い。
 古代の先史文明は、自らの傲慢さ故に大地を枯らして壊死(えし)させ、破滅を招いた。
 そのさなかでさえ、種の存続のために虚ろなる生命を創造し、未来へと希望を繋いだ。聞こえは良いが、ようするに生命を弄んだが故の罰に対して、生命をいじくりまわすことで(あがな)いとしたのだ。それが、世界樹……大地を浄化する巨大なシステム。
 ポラーレはアブサンを飲み干し自分で盃に継ぎ足すと、そのことに言及した。
「ラミュー君がね、僕に言うんだ。大昔の人間たちが、滅びに瀕した中で『よかれ』と思って世界樹を生み出した、ってね。その、彼女の言葉が僕には少し……眩し過ぎる」
「相棒、お前……」
 サジタリオの気遣う言葉に頷きつつ、ポラーレは自分の想いを言葉に乗せる。
「僕は錬金生物、創造主が目的を定めて生産した物体でしかない。そういう僕が生命として皆と触れ合い、豊かさを享受し、恵まれている。それを僕は、僕の中にではなく回りのみんなに……君たち仲間に見出している。感謝しているし、とても嬉しい。好きだ」
 その上で、ポラーレは自らが目的を持って生み出された、用途を前提とした歪んだ生命体であることを吐露(とろ)しながら、想いを紡ぐ。その独白を笑う者はこの場にいなかったし、ギルドの仲間たちにも存在しない。
 それでも、己の出自に起因するポラーレの癒やし難い卑屈な劣等感は存在する。
 あらゆるネガティブな事象を生み出すために造られた、人造生命、錬金生物。
 その自分がこれだけの豊かさに包まれ、優しさと慈しみに迎えられている現実。
 知れば知るほど、ポラーレは周囲に感謝の念を強くする一方で、古代人が許せないのだ。ただ自分たちのためだけに、事態を改善させるだけの生命を生み出す者たち。生み出された生命に責任も持たず、ただ使命だけを、機能だけを期待する創造主。そういう人間をポラーレは知っているし、そうして産み落とされた生命の悲哀も感じることができる。
 心で感じて気持ちを拾うことができる、それは仲間たちがくれた力だ。
 そのことを淡々と語ったら、隣の相棒サジタリオが、ボン! と背を叩いた。
「ま、気持ちいい話じゃないわな。俺ぁ狩人だ、異形を狩る闇の狩人だが……本業は野に分け入って大自然に獣を追う生業(なりわい)さ。だから……生命の偉大さがわかる。この身で感じる。この世に一つだけの目的を持たされた、それ以外がなにもない生命なんてあるもんかよ。……許せるもんかよ」
「サジタリオ、君は」
 ポラーレが少し驚いていると、逆隣のヨルンも「ふむ」と唸って形良いおとがいに手を当てる。因みに向かいに座るデフィールはカニが運ばれてくるなり、専用のスプーンで夢中でカニを殻を剥き始めた。どうにも彼女は、夫のヨルンは勿論、サジタリオやポラーレの食べる分も剥かないと気がすまないらしい。
 自分の世界に入ってカニをほじくる妻を尻目に、ヨルンが表情を和らげた。
「ポラーレ、お前は既に我らとなにも変わらぬ人、ただの人だ。お前が感じて(いきどお)る不条理、そして理不尽に俺たちは共感する。一方で、そうまでして『よかれ』と思った古代人の気持ちを拾うラミューを見る、お前の目は優しい」
「いや、それは……だって、なんていうか」
「余談だが、ポラーレ。お前の娘はそんなラミューを甘いと笑った。笑ったが、今も仲良く冒険を共にして、いつも意見を対立させている。二人は些細なことでも真面目に討議し、時には喧嘩もするが……決して離れようとはせず、互いに相手を遺棄して楽に、無にしようとは思わないようだな」
「……グルージャは、そういう娘に育ってくれたから」
 そして、改めてポラーレは地図に目を落とす。トライマーチが地下二階の空白地帯を埋める一方で、ヴィアラッテアは地下三階を探索し始めていた。そこで見つかったのが、不思議な機械だ。
 点在して浮かぶ、蟲という言葉の先にそれはあった。
「そういえば、この機械……ヨルン、君の方でも確認してるかい?」
「ん? ああ、奇妙な溶液が一定量出される機械だな。一応、手持ちのボトルや革袋に各々入れてみたが、どうやら迷宮を出るころには揮発(きはつ)してしまうらしい」
「つまり、長時間の持ち歩きはできない物……この迷宮で使う物なんだね」
「ああ。そして、まだ未確定ながらこの謎の溶液は複数存在する。地下三階のあちこちに機械があって、それぞれに違う色の溶液を出すらしい。俺も明日、確認に出向く」
「うん、頼むよヨルン……なにか、嫌な予感がする」
 ポラーレは仲間たちがしたためたメモを一つ一つ拾いつつ、羊皮紙に纏められた地図を眺める。暗国ノ殿の地下三階、そこは階段からすぐ先に謎の部屋が繋がっており、奇妙な警告文で封がされていた。
 ヴィアラッテアとトライマーチに迂闊な冒険者はいない。
 だから、脅し文句にも見える文言の先へは、まだ進んでいない。
 だが……露骨に階段のすぐ近くに口を開いた、その扉の先に何があるのかは……まだわからないまま、冒険者たちの不安と好奇心を膨らませていた。

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