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 イクサビトの里にも、平和の歓喜が満ち満ちていた。
 (いおり)で療養中のミツミネにも、華やいだ同胞(はらから)たちの空気が伝わってくる。不思議と心が安らいで、傷の治りさえ早く感じた。
 今日も布団の上に身を起こして、庭を眺める。
 縁側(えんがわ)ではイナンナが、突然の客に茶を出していた。
 春を知らぬ凍土の地の底で、イクサビトたちにも新たな季節が来たのだ。
「イナンナさんっ! ここ、ここです! 帝国の教会も素敵ですよ。で、披露宴は帝国ホテル! お色直しは四回で。それで、ええとこっちのカタログが」
「まあ……キクリさん、こんなに沢山。わたしのために?」
「お友達の大事な嫁入りですからぁ。ほら、見てください! ウロビトの里でも、素敵な式場があるんですよぉ〜! こっちもかわいくて、あと、ウロビトの花嫁衣装が」
 先程から縁側の板間にずらりとチラシを並べて、キクリがマシンガントークを続けている。その声に圧倒されつつ、イナンナも嬉しそうだ。
 ミツミネは改めて、今回の戦いでわかったことがある。
 今後もイクサビトのモノノフとして、義と仁のために剣を振るうだろう。そんな時、隣にいて欲しい人がいる。その者の隣に、ずっといたい自分がいる。それを強く確かめたからこそ、ミツミネもついに身を固めることを決めたのだった。
 祝言(しゅうげん)は特に派手に騒ぎ立てる必要もない。
 しかし、イナンナの晴れ舞台なのだから、よい式にしたいのだ。
 そんなことを考えながら、縁側の二人に目を細めていると……隣で穏やかな笑い声が響いた。傷を見に来てくれていた師匠のヤマツミが、好々爺(こうこうや)の笑みで頷く。
「ミツミネ、とうとう身を固める気になったか。なに、お前とイナンナのことだ、祝言をあげたとてなにが変わろうか。今までの二人でよい。焦る必要もあるまい」
「左様でございますか、我が師ヤマツミ……その、いまいちピンと来ないのですが」
「なに、そのうちわかる」
 腕組み頷くヤマツミの笑顔に、ミツミネもそういうものかと納得するしかない。
 だが、縁側ではそんなミツミネの想いも知らずに、勝手に一人でキクリが盛り上がっていた。
「ああ……イナンナさんの結婚式。なにを着ていきましょう。えっとぉ、この間タルシスで作ったドレスもあるんですけどぉ……でも、でもでも、晴れ着もたまには」
「気が早いですわ、キクリさん」
「あっ! それと、新婚旅行! イナンナさん、帝国の代理店で色々見てきたんですっ! このチラシを見てください。十泊八日、豪華客船で行く四つの大地! どうですかぁ」
「まあ……ふふ、ミツミネ様にも相談してみませんと」
「ですよね、ですよねっ!」
 ミツミネは改めて、平和の到来を感じていた。
 それは、イクサビトの里に安寧(あんねい)の日々が訪れただけではない。今まで閉ざされていた、別の大地との道が開かれたのだ。そして、交わる道と道とが、長らく絶えていた(きずな)を復活させた。
 人間とウロビト、そしてイクサビトの三種族は、これから協調して歩み出すだろう。
 帝国もまた、その地に眠る災厄の呪いから解き放たれ、新たな時代を迎える。
 第四の大地、帝国が根付いた場所は今も死に続けている。土は腐り、水も枯れ始めているのだ。だが、そんな大地を見下ろし見守る世界樹が教えてくれる。永い年月をかけて、大自然が大地を癒やすだろう。遥かな未来に蘇る大地のために、人は一度離れる必要があった。
 帝国の民は今、タルシスへの移民が進んでいる。
 この短期間で立派に成長を見せたバルトゥールも、指導者の才覚を見せ始めている。
 これでミツミネの心残りは、たった一つになった。
 全ての冒険が終わり、多くの者たちが故郷へと帰るだろう。
 その中で、再会を夢見て心残りを胸のうちにしまった、その時だった。
 凛とした声が響いて、庭の方から一組の男女がやってくる。
「すまない、イナンナさん。声がしたので、庭の方かと思って」
「まあ、なずなさん。エルトリウス様も」
 眼鏡をかけた美丈夫(びじょうぶ)と共に、なずなが訪ねてきてくれた。彼女は部屋のミツミネとヤマツミにも、エルトリウスと共に頭を下げる。その所作はやはり美しく、張り詰めた武人の緊張感が心地よい。彼女はミツミネたちイクサビトのモノノフにとって、尊敬すべき異国の将にして剣客、なにより信頼を分かち合った仲間だった。
 その彼女が、エルトリウスから(つつみ)を受け取り差し出してくる。
「国元へ姉者と戻ることになったので、御挨拶に(うかが)った。イナンナさんの祝言まではいようと思ったのだが。その、少し、申し訳ない」
「いいえ、なずなさん。誰にでも故郷があり、待っている人たちがいますわ」
「ありがとう。これは祝いの品なんだが、どうか納めて欲しい。イナンナさん、お幸せに」
「ふふ、なずなさんも。今度は手放しちゃいけませんよ? エルトリウス様のこと、ちゃんとつかまえててくださいな」
 なずなはイナンナの言葉に頬を赤らめ、隣のエルトリウスを見上げる。
 視力の大半を失ったエルトリウスもまた、優しいまなざしでちゃんとなずなを見ていた。例え光を失おうとも、彼にはなずなが見えているのだと思う。それがミツミネには、よくわかる。名うての野伏(のぶせり)、レンジャーだった男の聴覚は恐ろしい程に鋭敏だ。だが、そうした身体能力以前に、好いた者の気配というのは特別なものなのだ。それがミツミネにはよくわかる。
 そうこうしていると、キクリは皆を見渡し大きく溜息を零した。
「はぁ……私も頑張らなきゃ! 大きな事件も片付いたとこですし、今年はお見合い頑張るんですっ! 武芸百般……は高望みなので、武芸八十般くらいの殿方で、石高(こくだか)や地位にはこだわらず……いっそウロビトや人間とも。それもいいですねえ」
 キクリにも良縁があればと、その場が笑いに包まれた。
 自然とミツミネも笑顔になる。
 だが、そんな時にイナンナはしれっとさりげなく言葉を挟んだ。
 それは、里の誰もが思っていたことで、ミツミネの唯一の心残りだった。
「そうそう、なずなさん。(しばら)くお会い出来ないんでしたら……是非、一本お手合わせを。わたし、以前からねずなさんと剣を交えたいと思ってたんです。里の者も、皆。勿論、ミツミネ様も」
「おいおい、イナンナ。それを今、言うでない……俺は今、剣が持てぬのだぞ」
 ミツミネは止めたが、イナンナは立ち上がると腰に大小を佩く。
 一瞬面食らったように目を見開いて、なずなはすぐに笑顔になった。
「実は、私もイナンナさんたちとは一度、刃を交えてみたかった。……ふふ、ブシドーの(さが)だな。モノノフの剣技、一度この身で味わいたいものだ」
「まあ、では」
「うん」
「やりましょうか」
「やりましょうか」
 そういうことになったのだった。
 頷き合う二人は、笑顔だ。
 そして、(そよ)ぐ闘志に気を(たか)ぶらせている。
 武人とは因果な生き方だが、そのことが不思議とミツミネは嬉しかった。友と交えた剣と剣とが、互いの子々孫々へと引き継がれてゆくだろう。遠く異国の地へ離れても、なずなが共に戦った仲間だと、彼女の太刀筋がこの里に残ってくれるのだ。
 すぐにヤマツミが木刀を投げ入れると、イナンナが庭に降りた。
 なずなもまた、エルトリウスに頷き下がらせると、イナンナに続く。
「なずなさん、本気でお願いしますよ? ふふ……わたしは恐らくもう、本気で剣を振るうこともないでしょうから。今度はミツミネ様を支えての日々が、妻としてのわたしの戦いです」
「私も、剣や弓以外のことを学ばなければ……イナンナさんのような良妻でいて、いつか賢母となって家族を持ちたい。我が子、我が孫に……モノノフの剣を伝えたい」
 二人は、梅の花が咲く庭へと出て向き直る。
 なんと清冽(せいれつ)な、澄み切った闘気だろうか。
 まるで殺意も殺気も感じない。
 微笑(ほほえ)み剣を構えた二人の間で、穏やかにさえ感じる空気が弾けて()ぜた。
 イナンナとなずなの姿が、残像を刻みながら木刀の乾いた音を響かせてゆく。
 ミツミネの心残りを今、イナンナが拾ってくれている。
 二人は息を弾ませ汗を輝かせながら、目で追いきれぬ剣閃に舞い踊る。
 そう、二人で(みやび)に踊っているかのようだ。
 その姿は美しく、この瞬間がとても愛しい。
 ミツミネの横で見守るヤマツミが、重々しく頷いた。


「……剣の時代が終わるな、ミツミネよ」
「はい。これより先は、また新たなる戦い……互いを信じて歩む中で、本当の繁栄を、大地を汚さぬ幸せを探さねばなりません。我らイクサビト、剣を捨てても(くわ)(すき)を持ちて、ウロビトや人間たちとこの大地に生きる所存」
「うむ。見よ、ミツミネ。最後のモノノフたちのなんと美しいことか」
「偉大な先人たちの技も、一度眠らせてやりとうございます。子の中、孫の中へと消えてゆく剣技、今はこの目にしかと刻んで」
 まるで無邪気な子供のように、笑顔でイナンナはなずなと切り結ぶ。
 彼女はなずなの放った恐るべき剣技を受けきり、(さば)ききって身を躍らせた。
 あれは確か、遥か異国のブシドーが使う究極の奥義、ツバメ返し……神速の斬撃を重ねて放つ神業(かみわざ)だ。それを避けられたなずなもまた、笑顔でイナンナの打ち込みに応じる。
 梅花の香りがほのかに漂う中で、二人は絶え間なくぶつかり合った。
「イナンナさん! 私のツバメ返しをしのいだのは、イナンナさんで二人目だ!」
「まあ……ふふ、なんて恐ろしい技! わたし、興奮してしまいます」
「剣は、楽しいな。義手の重ささえ忘れてしまう。私は!」
「わたしもです、なずなさん! どうか、どうかお元気で……またいずれ」
「ああ、いずれ……いずれ、また!」
 どこまでも加速してゆく二人の切っ先が、木刀とは思えぬ鋭さで乱れ飛ぶ。いよいよ目で追いきれぬ領域へと、二人の剣は互いを連れてゆく。それはミツミネには、剣の時代の最後に幕を引く、美しくも(はかな)い舞いに見えていた。

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