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 クラッツと傭兵団シャドウリンクスの少年少女に、旅立ちの朝がきた。
 傷はまだまだ痛むが、泣けてくるほどじゃない。
 だが、これ以上の長居は気持ちが根を張ってしまう。だから、デフィールとヨルンがネの国へ帰るタイミングで、クラッツたちも同行することにしたのだ。
 準備で忙しいセフリムの宿で、クラッツはぼんやりと一組の男女を見守っていた。
 隣には、いつものように相棒のクラックスがいた。
 二人の視線は、いつも憧れていた、時々ふれあいを持った女に集中する。
 それから、やはり憧れで兄貴分で、ギルドマスターの相棒の男を見やる。
 ポラーレと話し込むのは、サジタリオとしきみだ。
 二人は、クラッツとクラックスにとって特別な人間だった。
「ねえ、クラッツ。サジタリオとしきみは……どうするのかな」
「ヘッ、わかってねえなあ、相棒。こういう時くらい、二人しとくもんさ」
 今ではすっかり打ち解けたポラーレは、サジタリオに肘で小突かれたり、小突き返している。その二人が、昔は仇敵(きゅうてき)同士だったというのは、今は信じられな。
 だが、理解できるし心で納得してしまう。
 クラッツにとっても、クラックスは最初は敵だったのだから。
「まあ見てろよ、クラックス。こういう時くらい、男と女の別れってのはな」
「うん。なんかこう……寂しいよねえ」
「こりゃー、あれだな! サジタリオの旦那は口説(くど)くかもしれねえな!」
「あっ、いいね! 僕、そういうの好きだよ。好きな人と好きな人がね、くっつくのって……なんか、上手く言えないけど幸せなんだ」
「だよな! そういうの、ありだよな!」
 笑ってバシバシとお互いの背中を叩きながらも、クラッツは二人を見守った。
 とびきりタフで、したたかで冷静で、そして熱い兄貴分……サジタリオ。そんな彼と愛し合った、奔放で自由な女、しきみ。ポラーレが最後の挨拶を終えると、どちらからともなく二人は互いを見た。
 僅か、一秒にも満たぬ時間、両者を結ぶ眼差しが交錯(こうさく)する。
 その中でクラッツは、最後のドラマを期待した。
 今なら、クラックスの言うことがよくわかる。
 好きな人には、幸せになって欲しいのだ。
 自分の手の届かぬところでも、そうなって欲しいと思うのは自然なことだった。
 だが、サジタリオとしきみは、互いに小さく笑った。
 そして、別れが訪れる。
「行くのか? サジタリオ」
「おう」
「達者でな」
「お前もな、しきみ。あばよ」
 それだけだった。
 涙も包容も、くちづけすらもなかった。
 ただ、二人はどちらからともなく手をあげる。
 朝の清々しい空気に、手と手が交わり、パァン! と鳴った。
 それで終わりだ。
 あまりに呆気なく、情動も感慨もない。
 そこにはクラッツの理解が及ばぬ男女の仲があった。
 そしてそれは、終わるべくして終わったのだ。
「あ、あれ……ね、ねえ、クラッツ」
「お、おう。おーいっ! サジタリオの旦那っ!」
 最強の狩人、無敵の射手はなにも言わずに去った。
 振り返らず、クラッツの声に手を上げて見せて、そのまま歩いていってしまう。しきみもただ、いつもの笑みで煙管(きせる)に紫煙を(くゆ)らしている。
 あまりにそっけない、それなのに……クラッツは胸が熱くなった。
 ――やっべえ、滅茶苦茶かっけえ!
 憧れの二人は、最後の別れの時までクラッツの憧れであり続けた。
 そうしてサジタリオは、湿っぽい未練を微塵も残さず旅立っていった。
 隣を見れば、クラックスもうんうんと大きく頷いている。
「……見たか、相棒。あれが大人ってもんだぜ」
「うん! うんうん! 二人の深い仲っていうのは、それを演じてみせる必要がないんだね。僕たちと一緒だね!」
「おうよ!」
 クラッツとクラックスにも、別れの時は迫っていた。
 だから、相棒にして弟分のクラックスを見上げて、クラッツも手を出す。
 応じるようにクラックスも手をかざした。
 乾いた音を立てて、手と手を叩き合う。
「あばよ、相棒」
「またね、相棒」
 完璧だ。
 やっぱ、かっけえ。
 最高だぜ、クールだぜ。
 そう思っていたら、何故か自然とクラッツの視界がぼやけていく。そして、輪郭の歪んだ世界では、クラックスが目に大粒の涙を浮かべていた。
「うっ、うう……クラッツゥゥゥゥゥ!」
「おお、馬鹿野郎っ、この……クラックスッ!」
 二人はどちらからともなく、泣き出して抱き合った。
 やっぱり二人にはまだ、大人の別れは無理だった。
 そして、素直に別れを惜しんでいい二人でいられたのだった。


 周囲もはばからず、クラッツはクラックスとおいおい泣いてしまった。これでは、病室のベッドでずっと一緒だったサーシャのことを言えたものではない。だが、恥ずかしいと感じることもなくクラッツはクラックスの背中を叩き続けた。
「いいか相棒、アルマナの姉御をちゃんと守るんだぞ」
「うん! クラッツもサーシャのこと、大事にしなきゃ」
「バキャロォ、ありゃ殺しても死なねえタイプだ、安心しろい!」
「僕もそう思う! けど、女の子は大事にしなきゃ。僕もアルマナのこと、うんと幸せにするよ。二人で幸せになってみる」
「ああ、そうしな! 俺もまぁ、かわいかねぇけどサーシャの言うこと聞いてやらあ」
「かわいいよ、サーシャは。見た目もそうだし、そりゃ胸はぺったんこだけど」
「だろ? アルマナの姉御はいいよなあ! 胸はほんのりやわらかで、サーシャと違って寸胴じゃなくて腰もくびれてて、尻もこう」
「うんうん! でもクラッツ、それサーシャに言っちゃ駄目だよ。あと、アルマナも胸は少し気にしてて、僕がミモザの格好でいると羨ましそうに揉んでくるよ」
 当然だが、すぐにサーシャとアルマナが飛んできた。
 クラッツとクラックスは、二人共耳を引っ張られて引き剥がされる。
 別れの時がここにも今、訪れていた。
「い、痛ぇ! ま、まてサーシャ、もげる! 耳がもげちまう!」
「クラッツ、このウスラトンカチのクズ野郎が! 貴様なんぞ団長という名の雑用係だ、その自覚が出るまで私がその尻を蹴飛ばしてやるから覚悟しろ!」
「アルマナ、痛い痛い、ちょっと痛いよ。あと、笑顔が怖いよ」
「クラックス君……ベッドでのことは言いふらさないって、約束しましたよね? ね?」
 そんな二人を見て、周囲は笑っていた。
 旅支度を終えてやってきたデフィールやヨルンも、なずなとエルトリウスも笑顔だ。
 やはりというか、当然のようにポラーレとヨルンは言葉少なげだ。そっけなく挨拶を交わして、互いの拳に拳をコツンとぶつける。それでもう、無頼の友と友とは全てが伝わった。クラッツは珍しく、氷雷(オーロラ)錬金術師(アルケミスト)が笑うのを見たのだった。
 やがて、そこにしきみとフミヲが加わり、出立の時間となった。
 今日も風は吹いている。
 その風に背を押され、冒険者は再び旅立つ。
 次なる冒険は未知の秘境か遺跡か、それとも家事か育児か、宮仕えか。それは、今日も遠くの大地で民を見下ろす世界樹だけが知っている。
 クラッツは改めてクラックスを見て、その横に寄り添うアルマナを見た。
 最後にポラーレを見たら、力強く頷いてくれた。
 憧れた大人たちに今、並べぬまでも追いついたような気がした。
 そして、心なしか表情の柔らかいポラーレの瞳が無言で語っている。
 追い越していけと言ってくれてるような気がした。
「じゃ、行こうぜみんな! あばよ相棒、しっかりやんな」
「クラッツもね。手紙書くから! 遊びにも行くから!」
「おう、俺もまた来るぜ。このタルシスはもう、とっくに俺の……俺らの街だからな!」
 クラッツは、見送るクラックスと別れて歩き出す。
 いつまでも背中では、クラックスが手を振ってくれていた。
 だからつい、振り返って手を振り返す。
 クールに去るのは無理だ、この街と仲間が好きで、相棒が大好きだから。
 そうして何度も振り返っては、お互い声をかけあう。
 その距離が開いてゆく。
 気付けばしきみが、隣でにやにやとクラッツを見下ろしていた。
「な、なんだよしきみ、気持ち悪ぃな」
「お主もかわいいとこがあるのう。それに比べて……見よ、あの二組を。我が愚妹(ぐまい)にも呆れるが、あっちの熟年夫婦はなんじゃありゃ」
 目が悪いからと、なずなはエルトリウスの手をしっかり握っている。
 デフィールなんかはもう、ヨルンの腕に抱きついてべったりだ。
 見てられない中で、クラッツはドン! としきみに背を押されてよろける。気付けばフミヲも、サーシャをクラッツの隣に並べて押し込んだ。
「……な、なんだよサーシャ」
「フン! 貴様こそなんだ」
「なんだって、なんでもいいだろうが。ったく……ほら! 手!」
 クラッツは半ば強引に、サーシャの手を引き歩き出す。サーシャは驚きに顔を赤くしたが、黙って手を握り返してきた。
 新たな日々への旅立ちは、今日も世界樹を揺らす風が静かに拭いていたのだった。

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