九死に一生を得て、再びバノウニは帰ってきた。
いつもの街、アイオリス……仲間達が待つジェネッタの宿に。
呑気でド天然なジェネッタとネコ達を見て、ようやく生還の実感が満ちてくる。
だが、全員が無傷で無事という訳ではなかった。
ハヤタロウとアーケンに運ばれ、ささめは手当のために女性陣へと
託された。問題は、もう一人の重傷者である。
生きているのが不思議なくらいの出血で、スーリャは
既に意識がなかった。
そして、彼女の命を繋ぎ止めるかもしれない少女が、
駄々をこねる。
「ヤです! アタシ、絶対ヤです!」
「ノァン、その……緊急事態なんだよ。えっと、すんません……けど、お前しかこの
娘は救えない」
「それでもヤです! マスター、どうしてその人助けるですか! 命狙ってくる悪い子です。アタシ、マスターやニカを守るです!」
スーリャが常人ならば、出血多量で死んでいる。
だが、生きているなら輸血で生きながらえる可能性は少なくない。そして、ノァンはその特殊な生い立ち
故に、あらゆる血液型の人間へと輸血が可能なのだ。彼女の血は、七人分の肉体を繋ぎ合わせた時に混じり合い、全ての人間に適合する。
勿論、一時しのぎに過ぎない。
しかし、問答している暇はないのである。
保護者のフォリスは、普段通りぼんやりとノァンを
諭す。
「ノァン……俺が、復讐は
虚しいとか、憎しみはよくないとか、言わない。けど……」
「この子、悪い子なんです! マスターもニカも狙われてるです! そういう子は」
「許せないものを、許さず生きても、いい。お前がそう望むなら、それを俺は……許す、けど。だけど、ノァン」
「……マスター?」
「最初は、許してみることを知ってほしいんだ。お前はまだ、生まれたばかりだから……一度は許してみて、それから今後……許すこと、許さないことをちゃんと選べるように、なって、ほしい」
普段からぱっとしなくて、いつも賢者のような……一種、
隠者のよいうな
屍術士のフォリス。事情を知る者は彼を、
背教者と呼ぶ。だが、バノウニにはとっつきにくいけど根はいい人に思えたし、みんなだってそう感じている。
フォリスの言葉に、ノァンは腕組み考え込んでしまった。
助け舟が出されたのは、そんな時だった。
「ノァン、難しく考えなくていいんだよ。僕もフォスの意見に賛成だな」
そこには、ナフムやフリーデルといった面々と帰ってきたニカノールの姿があった。その笑顔で、どうやら
聖遺物が見つかったらしいことが知れる。
これで四つの聖遺物、
鎧、
兜、盾、そして銃が揃った。
ニカノールはノァンの前まで来て、髪を
撫でながら幼子に言い聞かせるように話す。だが、お屋敷育ちのお坊っちゃんの助言は、子供が大人を真似ているような
微笑ましささえ感じた。
「ノァン、この間も一緒に
絵草紙を読んだろう? いろんな
英雄譚を見たじゃないか」
「見たです……絵草紙、好きです!」
「うんうん。でさ、ほら……昨日の敵は今日の友、って話が沢山あったじゃない。悪の黒騎士も、意地悪な魔女も、田畑を荒らす巨獣も……英雄は皆、戦ったあとで時々仲間にしてただろう? そういうのってあるんだよ」
おいおいとフリーデルが口を挟みかけたが、豪快に笑ってナフムが止める。
世間知らずの性善説前提な楽観論……そう言ってしまうのは簡単だ。だが、あの地獄から生きて帰ったバノウニは、不思議とニカノールの言葉に賛成だ。
僅かな時間とはいえ、生き残るために協力して戦った人なのだから。
ノァンは一生懸命記憶の糸を
辿って「おおー!」と拳で手を叩いた。
「アタシ、そゆ話、好きです! 強敵と書いて友と読むです!」
「そうだよ、ノァン。それにね……助けてあげたら、きっとお礼をしてくれるよ?」
「お礼……お礼、貰えるですか?」
「きっとね。ありがとうノァン、って……お菓子とかさ。新しいクレヨンとか、
山羊とか」
「アタシ、この子に血をあげるです!」
すっげえ単純だ……そう思ってみていると、ニカノールはそっとバノウニにウィンクを返してきた。そうしてみんなで、ワッセワッセとスーリャを運ぶノァンを見送った。あとはキリールあたりがついててやれば、大丈夫だろう。
それより、バノウニには皆に報告すべきことがあった。
「あの、ニカさん!」
「やあ。戻る途中で別のギルドから聞いたよ。大変だったね……無事で良かった」
「はあ……いやもうホント、敵だらけの中に閉じ込められちゃって。でも、助けてくれた人もいて。さっきのあの
闇狩人とか、あとそこの――」
振り向き指差す先で、白衣のアースランがぐってりと伸びている。
香草師のチコリだ。自分をブラニーの血族と言って聞かない謎の少女である。彼女の薬草がパーティに貢献してくれたのだ。
そのことも含め、バノウニは両ギルドの主力メンバー達に全てを話す。
特に、人間とは思えぬ真っ赤な髪の少女のことを。
「シャナリア・シャルカーニュ……確かにそう言ったんだね? そして、全身が
蝙蝠になって消えた……うーん、なんだっけなあ。どこかで聞いたような。ね、イオン」
「おう、俺も気になってんだよ。すげえ昔、なにかで……その名前なあ」
血のように真っ赤な
戦衣を
纏い、死神の大鎌を持った女性だ。凍れる美貌と、驚くべき異様な存在感……群なす不死者の軍団が、彼女の一言であっという間に
瓦解した。
それはまるで、死して
尚も彼女を恐れて、
畏怖と
畏敬の念に従ったように見えた。
そのことを改めて思い返していると、優しい声が静かに響く。
「むかしむかし、大昔……
御伽噺の世界ですわ。バノウニ様は少しだけ、物語に触れられたのかもしれません」
誰もが振り向く先で、ワシリーサが冒険者達をねぎらうべく熱いお茶を
淹れてくれている。ハーブを交えた白い湯気が立ち上って、とてもいい匂いがした。
バノウニは、自分の
喉がカラカラになっていることに気付いた。
あまりに激戦で、そして死闘だった……だが、今もまだ自分は仲間達と生きている。仲間達と一緒だったからこそ、また次なる冒険へと進むことができるのだ。
皆に茶を配りながら、ワシリーサは懐かしむ微笑で言葉を続けた。
「遠い昔の
吸血姫……遥かなる太古に生み出された、夜の
眷属。真祖と呼ばれた方の一人。以前にコッペペ様が歌ってくださったカーミラ伝説のモデルとも言われてますわ」
それでニカノールとイオンが「あっ!」と声をあげた。
バノウニも、美しきヴァンパイアの婦人が活躍する
歌劇は知っている。
吟遊詩人ならば一度は歌うものだし、庶民にも貴族にも人気の演目だ。
「そうか! シャルカーニュって……お
祖父様のお祖父様も言ってたよ。生前……まだ命を持っていた時代に、会ったことがあるって」
「俺もオヤジから聞いてるぜ……おいミサキ! お前知ってただろ! なんで早く言わねえんだ……名ばかりとなっちゃいるが、
大株主様だろうが。一人でうちの株を二割近く持ってんだぞ」
「あら、いやですわバカ様……ああっと、若様。配当金を満額クドラク家へ投資してくださるので、若様は普通に知ってる、むしろ知らないってやばいんじゃねーのですわ、なんて思ってませんの」
改めてバノウニは、知った。
今日、生ける伝説に遭遇したことを。そして、それは今もこのアルカディア大陸に
息衝いている……限りある命を捨てた女は、夜の女王として
叙事詩の中で生き続けていたのだ。
「バノウニ、なにか彼女は言ってたかい?」
「いえ、別に……あ、そういえば! なんか……あっ、いえ! やっぱなんでもないです」
ふと気になったことがあったが、
自惚れてるかもしれないと思って恥ずかしかった。
あの時確かに、シャナリアは言った。真冬の月光みたいに冴え冴えとした声で、バノウニを見て言ってくれたのだ。
四種族の
絆を口にしたバノウニに、まだそう言える子がいるのねと
微笑んだ。
その白い笑みが、彼の中に新たな物語を生み出しつつある。
呪われた声を祈りと願いに変えて、人々へと伝えたい叙事詩にバノウニは想いを馳せるのだった。