遠くで
星からたなびく風が、
ニカノールはまんじりともせず、お茶の入ったマグカップで手を温めていた。
目の前には今、航路を緊急閉鎖した見えない壁がある。
その向こうにはもう、
「キヒヒ、ニカ。落ち着かねえのかい?」
不意に、あどけない声がくぐもるように響く。
振り返れば、エランテがにんまりと口元を歪めている。閉じた
エランテとクァイ、二人は共生関係にある。
両者がどうしてこの状態を望んだか、それはわからない。冒険者同士では詮索は無粋とされたし、ニカノールはなんとなく察していた。
クァイは斜に構えて得体が知れないところもあるが、危険な存在ではない。それどころか、エランテをギルドごと守りながら冒険を助けてくれるのだ。
「やあ、クァイ。どうにも小心だよ、僕は」
「そのようだなあ。だが、悪かないさ」
「ん、まあ……ちょっと格好がつかないなと思って」
「なに、ギルドマスターはデーンと構えてりゃいいのさ。常に『してやったぜ』な顔をしてりゃ、あとは仲間があれこれ片付けるもんだ」
幼い少女の容姿からは想像もできぬ、世間慣れして
だが、元気づけてくれてるのだと知れば悪い気もしない。
そして、ニカノールは肩を
「ま、僕もあれくらいリラックスできればいいんだけどね」
そう言って二人で振り返る。
その視線の先、持ち込んだ薬品類やアイテムの木箱の上で……一人の少女が大の字に天を仰いでいた。豊かに実る胸の膨らみが、呼吸に合わせて上下している。
この局面でも堂々と爆睡している、それはノァンだった。
先程までは、ワシリーサが持ってきてくれたお手製のマフィンを食べて、
「キ、ヒヒ! キモが太いというか、まあ……気にするなよ、ニカ。ノァンだってああしてねえと、落ち着かなくてたまらねえのさ」
「……そっか」
「ああ」
ニカノールは改めて、仲間たちを見渡す。
ワシリーサとスーリャは、アイテムの整理をしながら談笑している。星々の
無表情の
まるで、お月様みたいに輝いて見える。
そんな二人をしみじみ眺めてると、背後で突然ずるりとなめるような声。
「あーれ? ニカちゃーん、どったの。自分の恋人眺めて、ニヤニヤしちゃってらあ」
「わっ、コッペペ! ……お願いだから、気配を消して近寄らないで」
「いやいや、オイラの存在感って特別だろ? 常に自然体のつもりだがねえ」
振り向く先で老人がガハハと笑う。
白髪交じりの髪をバリボリと掻きむしりながら、コッペペはクァイとも頷きを交わし合った。
今日のメンバーは、ニカノールとノァン、ワシリーサ、スーリャ、そしてコッペペ。
物資の運搬と護衛をしてくれた仲間たちは、一足先に引き上げた。
検品を終えたクァイも、これからアリアドネの糸で戻るところである。
「なあ、ニカ。コッペペの旦那も」
ふと、クァイが声のトーンを小さく落とす。少女の美貌が僅かに陰って、なんともいえぬ大人びた印象をニカノールに与えた。
クァイは
「死体を
なんとも夢喰いのクァイらしい言葉だった。
そして、ニカノールにはその答えがすぐに伝えられる。
「見るさ、寝ても覚めても夢ばかりだよ。僕だって……不死者だって夢を見る」
「いいねえ、ニカ。お前さんの夢は本当に
「おすそ分けできたらいいんだけどね」
「なに、もう十分にもらってるさ。なあ」
コッペペもまなじりをさげて、優しい好々爺のような表情を見せる。
ワシリーサやスーリャも、うんうんと頷きを交わしてはにかんでいた。
だが、そんな穏やかな時間が突如として引き裂かれる。
仲間たちが二手に分かれて挑む先で、確かに轟音が響き渡った。まるで、巨大ななにかが打ち下ろされたような、なにかが断たれて術式が解除されたような気配だった。
そして、瞬時にフロアの空気が凍りつく。
「っ! ――来たか、いよいよだね。クァイ、急いで戻って。僕たちの出番って訳さ」
ニカノールに気負いはなかった。
彼は戦いは苦手だし、道の強敵にワクワクできるほどの闘争心を持っていない。
それでも、この戦いが不可避であることはわかる。
勝利を求めてベストを尽くすとも決めていた。
そして、その意志を共有する相棒が立ち上がる。
「なんか来たです! アタシ、今ビビッと感じたです!」
背筋だけでピョンと立ち上がると、ノァンがとてとて隣に駆けてきた。
彼女にも、過度な緊張はない。
青白い肌の全身に、うっすらと縫い傷が浮かび上がる……高揚する中で、そんな自分を気にもとめないノァンがいた。
そして、目の前の透明な障壁が消えゆく中……その奥から、邪悪が身をもたげる。
凝縮された闇のような、息苦しい程の圧迫感が
その中心に、ニカノールは確かに見る。
「……ちょっとした
――
アルコンたち星海の民が生み出した、究極にして禁忌の兵器。目的もなく、ただ無差別に星々を食い荒らし、終わることを知らずに銀河をさまよう
その姿は、どんな魔物よりもおぞましく
貪欲な憎悪を象る表情、顔が真ん中にあって……そのシルエットは無数の武器で膨れ上がっている。さながら、
「あ、あれが星喰……ニカ」
「うん。……ノァンもわかるんだね?」
「はいです。なんか、なんだか……
意外な言葉に、周囲の仲間が息を呑む。
だが、ニカノールも気持ちは同じだった。
目の前に浮かぶ破壊の
だが、冷酷無比な殺戮マシーンに同情は禁物だ。
「クァイ、早く糸を! みんな、やろう!」
「あいっ! アタシ、頑張るです! アルコンのパパやママの
だが、星喰はニカノールたちを
僅かな
ならばとニカノールが身構えた瞬間……不意に周囲は灼熱の光に包まれるのだった。