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 走った、逃げた、駆け抜けた。
 ジルベルトたちの背後には、獰猛な殺人熊は『森の破壊者』と呼ばれている。そのことも知らずに、五人は必死で闇雲(やみくも)に逃げた。
 そして、背後で再び木々が砕かれる音がする。
 最後尾を走っていたユーティスが、全く速度を落とさず振り返る。彼はそれでも、後と前を同時に見てるかのように足並みを乱さなかった。

「もう大丈夫なようです、ジル。魔物は奥へと去っていきました」
「っと、とと! ふう……よかった」
「どうやら、倒木等で塞がれた通路を見つけると、破壊行動を行うようですね」
「なるほど。……あ!」

 各々が立ち止まる中で、ジルベルトは思い出す。
 先程の場所も、朽ちた巨木が折り重なっている場所があった。そこでは、ハチミツのような甘い香りを感じたのである。
 恐らく、適度に湿って枯れた古木にだけ、巣を作る(はち)がいるのかもしれない。
 そして、その甘い甘い(みつ)を求めて、あの巨大熊は徘徊(はいかい)しているのだ。

「なるほど、若ぇの! はは、よく気付いたじゃねーか」
「確かにね。私もオリバーも逃げるので精一杯だったよ。メモして後で探索司令部に報告しておこう」
「マルコ、随分奥へ来ちまったが、地図を確認してくれねえか?」
「ああ、いいとも」

 マルコとオリバーの二人組は、すぐに冷静さを取り戻した。
 一方で、大の字に伸びてしまったリベルタは、全身を上下させて呼吸を(むさぼ)っている。流石(さすが)の帝国騎士といえども、フル装備で砲剣を担いで走るのはしんどいようだ。
 しかし、しばらくすると彼女は、愛剣を杖代わりに身を起こす。
 呼吸を整えたリベルタは、やはりマルコに目を細めてニヤァと笑みを浮かべた。

「リベルタ、大丈夫?」
「んー、へーき、へーき! ちょっとヘバったけどさ。いやあ、びっくりした」
「……などと言いつつ、またスケッチブックを取り出しているね」
「あっ、手が勝手に! い、いやあ、バディ物って尊いなあって」
「そなの?」
「そーなのっ!」

 確かに、マルコとオリバーを見ていると、ジルベルトも感心してしまう。
 二人は手練(てだれ)の熟練冒険者だ。ジルベルトのような新米が見ても、その実力はひしひしと感じられる。入り口で合流して何時間も経っていないが、二人が交互に互いをカバーし合って、ジルベルトたちを密かに守ってくれていたのだ。
 一目散(いちもくさん)に逃げている時も、魔物の襲撃がなかった。
 つまり、そういうことである。

「はあ、てぇてぇ……ま、今はスケッチは無理か。さて」
「リベルタ、素になってるけど」
「ん、もう諦めた。なんかこぉ、つい条件反射で猫を被っちゃうんだよね」
「でも、私は今のリベルタの方が好きだよ? しっかりね、未来の相棒さん」

 ジルベルトはまだ、自覚がなかった。
 自分が凛々(りり)しい男装の麗人で、その言動が時として () () () () () () () () () () () () () を発揮しているということを。
 リベルタはひたすら照れたように視線を逸らす。
 (ほお)がほのかに紅潮(こうちょう)していた。

「お、おうてばよー? ま、まあ、うん、まずはお友達から」
「友達? とっくにだって」
「ッッッッッッッ!?!?」
「っと、あれ? ユーティスがいない。どこいったのかな」

 周囲を見渡し、そっと注意深く通路の奥をうかがう。
 すると、すぐ隣の部屋で無貌(りり)の青年が振り返った。
 表情らしい表情もなく、淡々と彼が調べているのは……先程の魔物だ。慌ててジルベルトは剣を抜いたが、すぐに察する。
 自分たちを追い回した熊とは別個体で、しかも(すで)に息絶えていた。

「し、死んでるの? かな?」
「そのようです、ジル」
「……倒せるんだ、こんなでっかいの」

 小さく(うなず)き、ユーティスは突然屈んで地べたに伏せる。
 なにをしてるのかと思ったが、彼は(まばた)き一つせずになにかを凝視していた。

「何、してるの?」
「足跡を見ています」
「……ど、どこに?」
「そこかしこに」
「見えるんだ。えっと、どれどれ」

 ユーティスの隣に並んで、ジルベルトも同じことをしてみる。
 (こけ)むす地面は小さな密林、虫たちの楽園だ。名もなき草花が生い茂る中に、ミクロの生態系が広がっている。その中では、人の足跡など判別しようもなかった。
 だが、ユーティスは淡々と見えぬものを見抜く。

「冒険者は単独行動、一人です。長身の女性、体重は全備重量で70kg程」
「――! も、もしかして!」
「先日、私を回収してくれた少女ではないでしょうか。一致の可能性、97%」
「まひろだ……もぉ、なにやってんのあの子!」


 ユーティスはさらに言葉を続ける。
 その冒険者は別ルートでここまでたどり着き、さらに先の閉鎖された通路を破壊させた。だが、そのあと戻ってきた熊と鉢合わせして戦闘になったようである。

「そこから一足飛びに、この踏み込み……こっちでは敵の攻撃を盾でガードしたのでしょう。(かかと)が大きく沈んだあとがあります」
「そっか。無事だといいけど。どう? ユーティス、あとはなにかわかる?」
「私の分析では、かなり急いで焦っている印象があります。足運びは恐ろしく正確で、歩幅に全くブレがないのですが……手間取っての勝利なのに、素材を剥ぎ取っていません」

 全く意味がわからない。
 まひろはなにをやっているのだろうか?
 だが、マルコとオリバー、そしてリベルタもやってきて驚きが広がる。
 そんな時、かすかに悲鳴が響き渡った。
 地の底から湧き上がるような、反響を繰り返して細くなった声である。

「ユーティス、先行して! マルコさん、オリバーさん! リベルタも! 行こう」

 リベルタはちゃっかり、まひろの倒した魔物から毛皮と爪を手早く調達する。それを背嚢にしまうと、ガチャガチャと鎧を歌わせ走り出した。
 当然、マルコもオリバーも緊張感を漲らせる。
 疾風(はやて)のようにユーティスが馳せて、その姿は通路の奥へ消えた。
 そして、二度目の悲鳴。
 それも、複数の声である。
 すぐにジルベルトはユーティスのあとを追った。
 同時に、錆びた鉄の臭いが鼻を突く。
 鮮血の臭いだ。

「ユーティス! 大丈夫?」
「問題ありません。要救助者を複数確認、保護して応急処置を施します」
「ん、お願い! ……酷い、誰がこんな」

 そこには、重傷者が並べられていた。比較的傷の浅い者が、動けなくなった者を手当している。すぐにそこにユーティスが割って入り、テキパキと処置を開始した。
 ざっと、五、六人はいるだろうか……皆、それなりのベテランに見える。
 そして、彼らの血が点々と続く先に、下り階段がさらなる悲鳴を張り上げているのだった。

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