戦慄に身が
ジルベルトは今、原初の恐怖に支配されていた。
本能的に、全身の遺伝子と細胞が震える。
目の前の
だが、そんな死の静寂を絶叫が塗り潰す。
「う、うう、うわああああああっ! リベルタッ、今助けるですっ!」
まひろが信じられないスピードで飛び出してゆく。
その長身に真っ直ぐ、
大地が弾けて土砂が舞い上がり、土柱の中へとまひろが消えた。
衝撃波に思わず、ジルベルトも吹き飛ばされる。
だが、背後で受け止めてくれる影があった。
「大丈夫ですか、ジル」
「あ、ありがと」
「戦力的に戦闘は不可能かと思われます。ここは撤退を」
ユーティスの言う通りだ。
視界がゆっくり晴れてゆく中、近くに何かが落ちてきた。
ひしゃげて割れたまひろの盾だ。
そして、まひろ自身の姿が見当たらない。
「嘘っ、まひろ……もぉ、馬鹿っ! どうして」
「ジル、あそこです。ケルヌンノスの首元に」
「あっ!」
見上げる巨躯の、その巨大な首筋に影があった。
取り付いたまひろが、両手で握った剣を突き立て押し込んでいる。
だが、暴れるケルヌンノスが地響きを
すぐにカラブローネの方陣が広がるが、その範囲が先程よりも狭い。
皆、獣王ベルセルケルとの戦いで消耗していた。
「ちょいとまずい、まずいヨォこれ! ユーティス! 最悪、ジルを連れて逃げな、いいね?」
「
「ああそうだヨ! っとに、変なとこで融通きかないなぁ、クソォ!」
まひろはあっさり、突き刺さる剣から引き剥がされた。
そのまま地面に叩き付けられ、何度もバウンドしつつ四つん這いに着地する。ズザザと
おぞましいまでの蛮勇、魂に刻まれた人造英雄の呪いである。
だが、その悲壮的なまでの愚直さがジルベルトの震えを取り去っていった。
「身体が……動く。ユーティス! まひろを援護して! わたしはリベルタを!」
「了解。ウカノとヒロを保護しつつ、タスクを並列実行します」
ちらりと見れば、あのウィラフも
「ターヴュランス! 途中でくんできた癒しの清水だよっ! これで少しなら――」
ひんやりとした飛沫に、不思議と疲労が溶けて消える。
わずかながら、体力が回復してゆくのが感じられた、その証拠に、必死の形相で杖を握るカラブローネの、その方陣の広がりが光を増していた。
時々迷宮には、不思議な泉や水場が存在することがある。
癒しの雫に濡れれば、自然とジルベルトは走り出していた。
「ウィラフさん、ありがとっ! あとは私たちで……ウィラフさん!?」
怒れる
あっと言う間に、ジルベルトの全身が痺れて竦んだ。それはウィラフも同じで、この場の冒険者全てが自由を奪われた。絶叫はまるで、質量に満ちた音の鉄拳だった。
沸騰する空気の中で、ウィラフへとケルヌンノスが迫る。
一息に踏み潰そうとあげられた足に、意外な人物が飛び込んだ。
「ヒロはそこにいてくださいっ! ……厄神ケルヌンノス、せめて足止めだけでも!」

ウカノだ。
彼女は転んだウィラフの前にたちはだかると、降ってくる巨大な足を受け止め、受け流す。それだけで踏み締める衝撃波が周囲に広がり、直撃をいなしたのにウカノの足元が大きく窪んだで沈んだ。
その力、まさに神……全く相手にならない。
ユーティスが
迷宮の魔物とは次元の違う強敵に、ジルベルトは勇気を振り絞る。
そして、それはジルベルトだけではなかった。
「ユーティス! 援護続けて! 師匠の方陣も生きてる! 攻めて一太刀でも――ッ!?」
「う、う、うああああっ! ウカノからっ、離れろおおおおおおお!」
意外な人物がよたよたと走っていた。
ヒロが落ちた投刃を拾うなり、身を浴びせるようにしてケルヌンノスに襲い掛かった。まるでなっちゃいない動きだったし、
小さく唸って、ケルヌンノスが震えた。
その瞬間には、体勢を立て直したウカノがヒロとウィラフを抱えて離脱してゆく。
「麻痺が通じた! もしかして今なら……駄目だっ、リベルタは置いてけないよ!」
今なら逃げる、逃げられる。
だが、誰もその選択肢を選ばなかったし、カラブローネの方陣は無言で姿を変えつつ広がり続けている。そして、先程の獣じみた声が今は静かに正気を取り戻していた。
「ジル、ユーティスも! さっきのお水で頭が冷えたです……手を貸してほしいのです!」
まひろの瞳にはいつもの光が戻っていた。
そして、応じるようにユーティスは無言で走り出す。
ならば、ジルベルトもやるべきことは一つだ。
三者は三様に、唯一無敵にして無双の神へと駆け出していた。
「膝に一撃、動きを止めます。その隙に」
「頼むね、ユーティス。私はリベルタを」
「二人と一緒なら、わたしは……今度こそ、本当のヒーローになるのですっ!」
刹那、ユーティスが消えた。
消えたと錯覚するほどの高速移動で、彼はケルヌンノスの膝裏に回り込む。
逆手に握った両のナイフを、重ねるようにして彼は突き立てた。絶叫と共に、よろけたケルヌンノスの足元に血の海が広がってゆく。
しかし、泥のような黒い血に
淡々と刃を押し込み、
そして、ナイフとナイフの間に切り開かれた空間に、容赦なく手持ちの投刃を全て押し込んだ。体毛と筋肉の奥へと、直接神経を犯す毒が忍び込んでゆく。
「今です、ジル。まひろも」
ケルヌンノスが片膝をついた。
次の瞬間には、残像を振りまきジルベルトが駆け抜ける。彼女が突っ伏すリベルタの元に滑り込んだ時には、既にまひろが天井高く宙を舞っていた。
それは、ホップ、ステップ、そしてジャンプ。
ジルベルトの刻んだ残像を足場に、影の手が押し上げてくれるままにまひろが跳ぶ。
「これでっ! ザ・エンドなのです! うっ、うなあああっ!」
先程ケルヌンノスの首に突き立てた剣へと、まひろが取り付いた。そしてそのまま、喉側へと横に一回転。
取った、捕らえた……打ち破った。
そう思えた瞬間の希望はしかし、あっと言う間に霧散して消えるのだった。