ふと気付けば、トゥリフィリは見知らぬ土地に立っていた。風が吹き渡る草原は、よく晴れた
真っ赤な花びらが、風に乗って空の彼方へと消えてゆく。
「あれ、ぼく……ここ、どこ? あれは……フロワロ? そうだ、フロワロの花だ」
血のように赤い色は、ドラゴンの支配を示す
それが今、全て散ってゆく。
そして、風が吹く先へと視線を滑らせ、トゥリフィリは言葉を失った。
そこには、
後ろ姿だけでもわかる、
彼女の名は、アイテル。
では、ここは東京なのだろうか?
だが、周囲の景色に見覚えはない。
トゥリフィリが混乱していると、アイテルは静かに言の葉を
「エデンの民、ルシェの娘よ。問いましょう」
酷く悲しげな、赤い風に消え入りそうな声だった。
そしてトゥリフィリは気付く。
アイテルの足元に、一人の少女がへたり込んでいる。大粒の涙を流して、泣いている。
泣きながら、歌を歌っているのだ。
そして、彼女の
すすけたマントの隙間から、フレームや人工筋肉を隠す包帯まみれの身体が見えた。
そして、その少年の名をトゥリフィリは知っていた。
「ナ、ナガミツちゃん!? え、まって……嘘。間違いない……ナガミツちゃんっ!」
必死で叫んだが、脚が動かない。
ただ、その場所に立ち尽くすしかできない。
見知らぬ少女に
汚れたナガミツの
そして、アイテルの声が哀切の念を帯びる。
「
だが、スズランと呼ばれた少女は泣き歌うだけで、なにも反応を示さない。
そして、彼女の涙に濡れるナガミツは、
ぼんやりとだがトゥリフィリは、ここが今ではないような気がした。
そう、少なくとも西暦2020年の東京じゃない。
確か、自分は神竜の領域にて、神竜ニアラを打ち倒した筈だ。そのあと、仲間の魔女フレッサに導かれ、脱出のために光へと飛び込んで――
「あ、そっか。ぼく、気を失って……これ、夢? ……でも、ただの夢じゃ、ない」
よく見れば、少し離れた場所でスズランを見守る一団がいる。
どことなく、シイナとノリトに似ていた。そして、二人の間に立って
その三人もまた、去りゆくナガミツを見送り三者三様に泣いていた。
格好はどこか、中世ヨーロッパ風の甲冑姿や旅装のようである。
そして、アイテルは言葉を続ける。
「スズラン。あなたの切なる願いを、私は奇跡に変えることができます。運命調律の力で、ナガミツを定められた選択の
「……唯一つの、想い出?」
ようやくスズランは、顔を上げた。
とても可憐な少女で、その美貌はまるで異界の歌姫のようだ。その頭には、
歌うのをやめ、スズランはぼんやりとアイテルを見上げていた。
そんな彼女に、アイテルの声がさらに優しくなる。
全てを
「スズラン、あなたが
アイテルの言っている意味は、半分もわからない。だが、斬竜刀として戦ったナガミツは、戦い抜いて、戦い終えた……それだけはわかる。確信と言ってもいいし、根拠はないがそう強く感じるのだ。
そして、察した。
アイテルの言う奇跡とは、ナガミツの復活に違いない。
自らをヒュプノスの民と名乗る少女は、人知を超えた力を持っている。そう、この世で二人ぼっちになってしまった、竜に滅ぼされし異星の姉妹……憎しみを宿したエメルと、愛に身を捧げたアイテル。
人が望んでも叶わぬ奇跡を、アイテルはスズランに授けようというのだ。
だが、スズランは静かに首を横に振った。
「もう、この星は救われました。やっと、ナガミツは戦わなくてもよくなったの。もう、辛く苦しい永遠を断ち切った……断ち切れた。だから、このまま眠らせてあげたい」
「……遂げられぬ想いを抱えて、これからも生きるのですか?」
「はい……ナガミツとみんなが救ってくれた、この星で生きます。想いは遂げずとも、詩になって溢れるから。その痛みすらも、ナガミツを想えば愛おしいんです」
トゥリフィリはすぐにわかった。
スズランは、ナガミツに恋していたのだ。そして、その気持ちを打ち明けることがなかった。自分よりも大切なものを、ずっと大事にしてきたのだろう。
そっとスズランは、ナガミツの頭を胸に抱く。
そして再度、今度ははっきりと「このまま、眠らせてあげて」と
アイテルは、そんな彼女に淋しげな微笑を浮かべるのだった。
「では、私の慈愛と慰撫でもって祝福しましょう……スズラン。あなたのような人の生きる星が守られて、本当によかった」
「アイテル様……」
「私もまた、自らの愛が眠る場所に戻りましょう。もうすぐ消えて無に帰す身なれば……私もあなたのように、愛する人との最後の時間を大切にしたいのです」
アイテルが愛した男は、自ら己に竜の力を招いた。常軌を逸した痛みと苦しみを乗り越え、人の心を持つ竜の化身となって戦ったのだ。
その人がまだ、生きている……ここはそういう時間なのだとトゥリフィリは思った。
だが、不意に突然背後から気配が近付いてくる。
強い歩調で、誰かがトゥリフィリを追い越した。それは、和服に身を包んだ妙齢の女性だ。ルシェと呼ばれたスズランと同じ、獣の耳がピンと突き立っている。
彼女は、慌てて涙を拭うスズランを見下ろし、腰に手を当て仁王立ちで言い放った。
「ナガミツ! なんです、
突然のことで、アイテルもスズランも目を丸くしていた。
だが、その女性は語気を荒げているのに、どこか悲しげに喋り続ける。
「……そうですか。フィーのところに行くのですね。本当にナガミツ、貴方は馬鹿です。大馬鹿者です。愚直なまでに真っ直ぐで、不器用でも自分を曲げられない……そういう貴方は、確かに斬竜刀でした」
そう言って彼女は、突然トゥリフィリを振り向いた。
自分が空気のように透明な存在だと思っていたので、目と目が合ってトゥリフィリは驚く。とても綺麗な、どこか老成した瞳に星の海が潤んでいる。
和装の女性は、徐々に狭くなるトゥリフィリの視界の中で、はっきりと言い放った。
「今、滅竜の輪廻は無限の
――望んで求め、絶望せずに手を伸ばして。
そう言って、その女性は泣きながら笑った。
急激に意識が現実に引き戻される中で、トゥリフィリはその人の名を叫んだ気がする。なんと言ったか自分でもわからぬまま、身を声にして呼びかけた。
名も知らぬその人は、最後に大きく