戦場の雰囲気が変わった。
トゥリフィリは今、アダヒメと名乗った少女の隣で彼女を見上げる。少し自分より背が高くて、多分年上。でも、不思議と
それでいてなかなかにエキセントリックで、驚くほどに豪胆で肝が座ってる人だ。
アダヒメは、静かに息を吸って吐いて、次に吸い込んだ呼気を胸に留めた。
そして、再び空気が波紋を広げてゆく。
「ええい、また歌かっ! 歌ごときで!」
マキシマ大佐の
それでもアダヒメは、静かに歌声と共に歩み出す。それはまるで
そして、徐々にアダヒメの声音が奥行きと深さを増していった。
トゥリフィリにもはっきりと、ここには存在しない楽団の旋律が聴こえてくる。歌う楽器と化したアダヒメの声色が、この場の全員から記憶の中の音を引き出しているのだ。
そしてアダヒメの歌は、徐々にテンポアップして転調する。
厳かな響きは弾んで加速し、あっという間に歌の背景は時間を進めた。
アダヒメは、リコリスに抱えられたまま二人でへたり込むアヤメの前に立った。
「さあ、あなたも」
「えっ? わ、わたし!?」
「ええ。当世の歌にも、気持ちと想いは宿るものでしょう? さあ!」
おずおずと伸べられたアヤメの手を、アダヒメは握って引っ張り立たせる。
瞬間、見えないスポットライトが聴こえないスモークを爆発させる。突然のオン・ステージ……アダヒメの声がアヤメの中から、ありふれた流行歌を引っ張り出す。
それはあっという間に、二人の輪唱でこの場の空気を踊らせた。
そして……アヤメはそのまま、リコリスの手を取り隣へと招き寄せる。
「わ、私は歌は……私の歌は」
「歌って、リコリスさんもっ!」
「そうです、あなたの歌を。それはわたしの歌であり、わたしたちの歌」
その声に込められた全てが、この場の戦意に引き金を忘れさせた。
ただ一人、大戦の亡霊として生きてきた男を除いで。
「ええい、やめんか! 歌でなにが変えられる! この国を守れなどしないぃぃぃぃ!」
震える手で、マキシマ大佐が拳銃を撃った。
だが、その弾丸は金属音と共に消えた。
白煙を巻き上げるリコリスの手が、銃弾を受け止め握り潰していた。
当のリコリス本人が、自分の驚くべき俊敏さと反応速度に驚いている。
「こ、これは……」
「そう、それがあなたの歌……ならば共に歌い上げるのです! この国を、日ノ本を守るのはもはや過去の亡霊ではありません! 過去ではなく、未来へ進む者……狩る者の力を示すのです!」
――
アダヒメの言葉に、トゥリフィリは不思議なデジャヴを感じた。
その時にはもう、リコリスが地を蹴り跳躍している。
空中で身を
刺し貫いて、
鈍い金属音と共に、戦車の残骸に大きな穴が空いた。
紙一重で避けた……否、意図的にリコリスが外したので、マキシマ大佐はそのまま震えてへたりこみ、無様に地面に転げ落ちた。
「ひっ、ひあっ! き、貴様等! 私を守れ! 予備戦力を、後方の戦車も全部出せっ!」
だが、兵士たちは顔を見合わせたまま戸惑いも顕だ。
そしてトゥリフィリには、それが酷く納得できる。
響き渡る歌が、愛や夢、希望を
その優しいぬくもりに鼓膜を撫でられ、誰もがささくれだった気持ちを落ち着かせているのだ。見えぬ手で心に触れられれば、人はもう憎悪も敵意も忘れてしまう。
それはもともと、この場の多くの若者にはなかったのだ。
あるのは、少しこじらせた救国の意思……そして、手段を間違えた罪悪感。
アダヒメとアヤメの歌は、あっという間に戦いそのものを無力化してしまった。
それでも、キャタピラの音がすぐに近付いてくる。
仲間たちは絶体絶命を忘れて、すぐにトゥリフィリと共に走り出した。
「くっ、動画を取らねば! ……手がかじかんでスマホが上手く扱えません!」
「ククッ、ノリトよ! まずは奴らを片付ける! 俺様を援護、任せた!」
「ええ、キジトラ先輩! 今こそ響かせましょう……一発逆転のコンチェルト!」
ノリトが気取ってその場で一回転、風を巻いてターンする。すぐに彼の周囲に、無数の光学キーボードが現れた。ピアノの鍵盤をタッチするように奏でれば、瞬時にトゥリフィリの身体も熱くなる。
ハッカーが操る電子の術が、全身の神経を走る電気信号を加速させた。
軽やかに、そして正確に……トゥリフィリの早撃ちが目標を叩き落とす。
「キジトラ先輩っ、これ!」
「委細承知!
トゥリフィリが撃ち抜いたのは、左右の建物からぶら下がる
それは空中でキラキラと、顔を出した太陽の光を反射して回転した。
すかさずキジトラが瞬発力を撃発させる。
彼はオーバーヘッドで飛翔しつつ、舞い散る氷柱の全てを蹴り飛ばした。
次の瞬間、無数の爆発音が連鎖する。
「必殺忍法、氷柱を突っ込まれた砲身が暴発してドカンの術ッッッッッッ!」
「そ、そのまんまのネーミング……あ、それより! ナガミツちゃんっ!」
どの戦車も、主砲に氷柱を突き刺されていた。ようするに、大砲に栓をされたまま発砲してしまったのである。
それでも、鋼鉄の騎士たちは重々しい音を響かせ突っ込んでくる。
だが、歌は
そして、三つの影が疾駆する。
「これは……身体が軽い! これが
「トシ、やるぜ……俺もまだ戦える! また、戦えるんだ!」
「コテツ、カネサダ! 歌に合わせて力を揃えろ! 俺たちなら……俺たち
同じ顔を持つ三人が、異口同音に気迫を叫んだ。
その背が、居並ぶ戦車の津波に突撃してゆく。
刹那、斬撃と刺突、そして蹴りが空気を嵐に変えた。三人の斬竜刀が、それぞれに力を技に乗せて放ったのだ。それは風を切り裂く真空の刃となって、あっという間に戦車を三枚におろしてしまう。
しかも、
まるで熱したナイフで切り分けられたバターのように、全ての中戦車チハが
「おっしゃ、フィー! みんなも! ずらかろうぜ!」
ナガミツは蹴り足をそのまま振り抜き一回転すると、そのまま積雪を散らして走り出す。その足跡に誰もが続いた。
シイナがキリコを抱き上げ走る。
アダヒメもまた、先程廃車同然になったベンツの運転手と共に続いた。
こうしてトゥリフィリは、京都での目的を達成した。
だが、この地で仲間が味わった恥辱と陵辱は筆舌し難く、癒す術を見出だせぬ程に傷は深い。それでも、奇妙な出会いでようやく交わった
それが、時空も次元も貫く閉じた円環、滅竜の輪廻の特異点とも知らずに。